24日目 秋風

彼曰く、あるだけで感じ方が段違いです。


8月、最後の週。

31日のことを忘れているわけではありません。

決してカレンダーに小さく書かれているからといって、

暦から消すなんてことは、

いち小市民である私には不可能です。

出来ることは想定から無くしてしまうこと。

あることは知っていてもないものとして扱ってしまう。

1週間には7日あるのに、

8月が存在していられるのは月曜日のたった1日のみ。

残りの6日間は9月の領域。

プライバシーなど月同士の中にはないでしょうけど、

何事にも絶対領域というものがあるのです。

葉月は早々に役割を終えて、長月が準備を始めている。

そんな8月最後(仮)の週、今日はその月曜日です。


ずっと暑い日が続いてはいるのですが、

今日は珍しく涼しい方だと感じてしまいました。

「昨日よりはまだマシやろ~」

朝イチ出勤、おはよう暑いですねーという夏の定番挨拶をしたところで、

先輩がそんなことを抜かしおりました。

「頭おかしいんちゃいますか?」

剣道時代という部活での暑さトップ3に入る時代を乗り越えた私でも、

最近の暑さには文字通り脱帽して白旗を上げざるを得ないのに、

あろうことかそれほど暑くないなんて言い出すものですから、

思わず素のテンションで突っ込んでしまいました。

先輩が関西弁で返すものだから、エセ関西弁で返してしまうくらい。

そのとき私は気付くべきでした。

親しめていない方言で返すくらいの余裕があったのだから、

昨日と比較した気温くらいは。

朝から熱めの味噌スープを飲んでしまったのが原因ですね。


先輩の言に疑問を感じながら仕事をしておりまして、

一方で話しかける人みんなに「暑いからね」なんて言っていたのですが、

不思議なことにみな一様に「今日はそうでもないですよ」


「熱帯雨林からやり直してからそういうこと言ってください」


我ながら強烈なツッコミが来そうなツッコミをしてしまいましたが、

不思議と今日は一段と暑いという人はいませんでした。

ここまでくれば私も疑ってしまいます。

自分の感覚を。

自分の年齢と同じ期間を共にしてきて、

親より信じている自分の感覚なのに、

久しぶりに疑ってしまいました。

なぜみんなそれほど暑くないというのか。

熱感覚器官を原初の森に捨ててきたとでもいうのでしょうか。

アマゾネスに渡しちゃった、みたいなノリで。

たしかに今の人類は弱いけども、

技術の進歩で乗り越えることくらいはできるでしょう。

去年の夏は強い存在であり続けていましたが、

今年の暑さは殺人的。

弱い身上を守るため、文明の利器、冷房に頼る日々です。

家に帰ればつけっぱなしの冷房が冷えた空気をたたえて待ってくれています。

早く帰って寝てしまおう。


そこそこに片づけたところで帰宅のため、

いつもの自転車に乗った私。

ここで今日の自分の感覚の誤差を確信に変える覚悟ができました。

吹いていたのです、風が。

しかも涼しい。

これは不思議。なんともびっくり。

今月一番の驚きといっても過言ではないかもしれません。

散々暑い暑いと言っていた私も鳴りを潜めて、

帰っていく間しばし涼しい夏の夜風に感じ入っていました。

なるほど、暦の上では処暑を過ぎたばかりのころ。

立秋などとうに過ぎていたのです。

処暑とは、暑さが峠を越えて後退し始めることを指します。

知らぬ間に夏の日差しは和らごうとしていたというのでしょうか。

昼間の本気を部屋にこもって避けているというのもあるかもしれませんが、

しかしそこは現代人、新旧の文化をうまいこと折衷して、

己の都合のいいように解釈してやろうという魂胆です。

暑さを忘れられる日も近いかもしれません。

朝方の私が見れば「頭おかしいんちゃうか」と言われるでしょうけど、

「お前はまだ秋を知らないんだな」なんて返せる自信があります。

くだらない妄想問答もそこそこに、

和らいだ気持ちで帰宅することができました。


鈴虫でしょうか、風に乗ってリリリという声が聞こえます。

秋は近い。

夏っぽさのないままの今年、せめて気持ちはまだ夏に痛いという想いを、

晩夏という言葉に込めて過ごすのも終わりが近いということです。

秋になっても暑い日は続くでしょうけれど、

ちょっとずつ涼しい気分を味わえる機会が増えるはず。

小さな涼でも気づいていけるといいですね。

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