25日目 ハドソン川の奇跡

彼曰く、これは私が英雄だからではない、みんなの力あったからだ。


『ハドソン川の奇跡』

クリント・イーストウッド監督。

トム・ハンクス主演。

アメリカ、ニューヨークで起きた飛行機不時着水事故。

世界が驚嘆した奇跡の生還。

不可能と言われたものの見事任務を果たした実話です。

圧倒的実話。


当時の話を知っている人にとってはまさに奇跡。

私は遺憾ながら知らない人間でした。

2009年と言うとまだ中学生。

私の関心ごとと言えば、

テストの順位とその日の部活の練習が憂鬱だってことくらい。

何でもかんでもうるさく叱る顧問が嫌いでしたね。

目の前の対処で精一杯でした。

世事に疎かったのはあの人のせいですね。

いいじゃない、髪の色が周りと少し違うくらい。

私の毛なんだから好きにさせてくれ。


この年になって初めて見ましたが、

まさか冬の出来事だとは思ってもみませんでした。

1月15日。

ニューイヤーを迎えてまだ気持ちが浮ついているころ、

ハドソン川上空でまさかこんな事故が起こるとは、

だれも思っていなかったでしょう。

緊張感の溢れる冒頭の事故シーンは、

機長がまさに感じていた緊張を表しているようで、

一気に肝を冷やされました。

呆然とした様子でランニング、

道路に出ようとしたところで

パイロット歴40年、飛行経験はウン千回。

パイロットという仕事が好きでないと勤められません。

機長のサリーはそれほどにパイロットの仕事を愛していました。

パイロットになるために空軍に入隊し、

除隊後に旅客機のパイロットへ転向。

パイロット経験を積むだけでなく、

事故調査についても関心を向け、

安全コンサルタントも副業として行い始めようとしていたのです。

そんな機長でさえ、このような事態は想像していませんでした。

しかし不断の努力と日々の積み重ねがあったからこそ、

成しえた偉業だったのです。


緊迫したシーンを作るのに、

荒げた声は簡単に作用してくれます。

荒ぶる感情の権化のようなものですから。

しかし、声を荒げるシーンはほとんどありません。

すべてが淡々と、しかし目まぐるしい速度で事態が動いていく。

事故の瞬間は3度にわたりスクリーンに映りましたが、

そのすべて、手に汗握るものでした。

バードストライクが起き、

管制官が必死の誘導を試みる。

何が起こったのか分からない乗客。

慌ただしくなる機長室とそれを察したCA。

前代未聞の不測の事態が起きたにもかかわらず、

クルーは全員冷静でした。

どうすればいいか分からない状況だからこそ、

乗客も冷静にそれに従うしかない。

そうしたとき、人は冷静になり、従順になるものなのだと知りました。

変化に乏しい日常と比較して、

次々と起こる命のやり取り。

助かったと思っても侵入してくる水。

シューターを下ろしても、翼上に避難しても、

沈んでいく機体、足を濡らす水は氷点下。

乗客の一憂、その後の一喜、更なる恐怖、不安。

緊迫感を欲するならば、それだけで事足りるのです。


そして『ハドソン川の奇跡』には、

それだけの緊張感がありました。

魔法も、剣戟も、戦争も、

悪魔も、魔物も、魔神もいない。

ファンタジーなしの圧倒的リアリティ。

ただ起きた事実を分析し、

そしてあり得た現実を検証する。

分析官とのやり取り、

味方についてくれる仲間の言葉、

副機長ジェフとの励まし合い。

徹底して静かな台詞と画面は、

当時の機長の心情をまじまじと伝えてくれます。

事故を知らない私にとっては新鮮な映像でした。

何故でしょうね、

似たような危機的状況は、

色んな作品で見てきたはずなのに、

初めて遭遇するモンスターと対峙したときのように、

心に冷たいものが溜まっていく感じがありました。


一番の山場はやはり公聴会でしょう。

シミュレーションの結果を、

機長、副機長はもちろん、

国家輸送安全委員会の検察官、

各所関係者、公聴会参加者が、

固唾を飲んで見守ります。

もちろん私も。

同じ気象条件、事故、当時の機体、出力状況、

提案された引き返し先などを踏まえた結果、

引き返し可能でありました。

ですが機長が反論します。

「人的要因が完全に排除されている」と。

シミュレーションはあくまでデータ上のものだ。

それをなぞらえれば確かに結果は出てくるでしょう。

しかし事故は未曾有のもの。

航空史上前例のない、もちろん対処法もない事態です。

誰も予測していなかった超低高度での両エンジン喪失。

シミュレーションと同じように動くことができるでしょうか。


事故が起きた瞬間に。


そんなこと不可能です、コンピューターでない限り。

機長たちも人間です。

命を持ち、命を背負う身なのです。

目の前の状況も、機体の状態も、

知っているのは2人だけ。

どうすればいいか。

あらゆる事故を調査し、

幾度もの飛行経験があったからこそ、

155人もの命を救うことができたのです。

公聴会の再度のシミュレーション、

実際の音声記録を確認し、

審議を改めた委員会の1人がこう言います。


「この事故は、サリー機長だったから逃れられた」


しかしサリーは否定します。

「それは違います。私だけではない、全員の力です」


副機長、CAたちはもちろん、

乗客、救助に駆けつけた人々、管制官、

フェリーに潜水班…

全員が尽力したからこそ、

全員が生還することができたのです。


"155"というのはただの数字ですが、

様々な顔を持っているのです。

それほど大きな命を救った英雄ですが、

サリーは最後まで謙虚でした。

彼の高潔な精神があるからこそ、

ハドソン川での生還劇は奇跡と称されるのでしょう。


AmazonPrimeVideoで是非。

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