24日目 洋画

彼曰く、ノンフィクションには、エンタメ以上の言葉の力がある。


久しぶりに映画を見ました。

『ハドソン川の奇跡』

こういう現実に起きたことを映像化することって、

相当の勇気と覚悟と経験が必要だと思うんですけど、

大人になったからか、だんだんと良さが分かるようになってきました。


洋画をよく観るようになったのは大学生に入ってからです。

それまでにハリー・ポッターシリーズや、

ジュラシックパークシリーズ、ディズニーだとか、

ベースターゲットが子供の映画はそれなりに観ていましたが、

一般に流行っているものはなかなか観る機会がありませんでした。


スター・ウォーズも、アベンジャーズも知りません。

知っているのは名前だけ。

ぶっ飛んだキャラクターたちが暴れまわるっていうお話ですよね?

知らんけど。


子供ってやっぱり即物的と言うか、目の前のものしか信じないというか、

字幕があってもそれってあまり読むことがなかったんですよ。

本当にただ映像を「見て」いるだけ。

観察することも、読解することもあまりなく、

画面越しの世界を脳内で変換してただ浸る。

純粋に、透明になった心地で映画体験をしていたので、

感情は分かっても、背景や歴史とかはあまり関心を向けていませんでした。

目の前にニンジンたらされた馬みたいなものですよ。

ニンジンの生産者さんも、

たらされたニンジンにどんな意図があるのかも読み取らず、

ただ「食欲」を満たすためだけにひた走る。

同じように「没入欲」を満たすためだけに映画を見る。

聞きなれた日本語の冗談は多少反応しても、

特有のアメリカンジョークは分からないのです。

たとえ吹き替えされていても。

今となってはそんな残念な幼少期でした。

人より薄い映画人生ですけど、それなりに満足していたつもりです。


でも大学生になる前後で知識も理解も増してきて、

難しい話でも分かるようになってきましたし、

聞き取って頭で反芻できる台詞の量も増えました。

単純に想像力も増したからだと思います。

一方で没入感も保ったままでいられるようになったので、

映像レイアウトを観察しながら、

映画の内容に強く惹かれる、という立ち位置を知るようになりました。

まだまだ不完全ですけど、感心しながら感動できるので、

個人的には面白いです。

これに気付いたのは改めて『ハリー・ポッター』を観た時なんですけど、

「これが大人の遊び方かぁ」と思った記憶があります。

個人的映画転換期ですね。


それでもやはりノンフィクション系は避けて通ってきていまして。

というのもエンタメはフィクションであるべきだという理論が、

自分の中で強くあったからです。

現実にはない、起こりえない、あり得ない、想像しがたい。

そういう空想的な要素が多分に詰まっているからこそ、

エンタメはエンタメたり得るし、

だからこそフィクションという名を冠されると考えていました。

今となっては実に単純です。

大人の真似事はできるようになっても、

思考法はまだまだお子様だったわけです。


でも大学の授業中に観た映画が考え方を変えてくれました。

『インビクタス』という映画です。

主人公はネルソン・マンデラ。

南アフリカ共和国大統領、黒人の権利解放に尽力した英雄です。

ラグビーワールドカップに向けて、

当時のアパルトヘイト体制により国民の大多数である黒人から、

圧倒的不人気のラグビーチーム「スプリングボクス」を、

メンバーのほぼ全員が白人だったにもかかわらず、

全力で応援して民族融和に努める物語です。

私にとって興味のないスポーツもの、

ルールも知らないラグビーでしたが、

台詞の1つ1つに重みを感じました。

自伝に残されたマンデラの想い。

当時感じた差別的意識とそれに対抗する国民の反感。

ラグビーチームからも向けられる見下した視線。

それらを束ね、壁をなくし、全人種が平和に暮らせるような国づくりをする決意。

静かで、確固たる意志を持った言葉に、

生きた熱を感じたのです。


エンタメ映画では奮い立つような、肌が粟立つような緊張は経験しました。

しかし心に染みて、深く考えさせる、

現実に目を向けさせてくるような感覚は初めてでした。

普段友達に向けている視線。

何気なく吐いている「ありがとう」の言葉。

「テストで上位に入らないといけない」という問題に対し、

どのような姿勢で取り組んでいるか。

一挙手一投足、行住坐臥、すべての思考と感情。

それらに対して改めて目を向けるように訴えてくる、

会ったこともない人間の言葉。

偉人の生きた人生、すなわち歴史。

それを背負うなんておこがましいですが、

それを目の前にしてどう感じるか。

ただ「へーすげー」と脳死で感想をじゃぶじゃぶ流すだけでいいのでしょうか。

いい大人なんですから、もう少し思案してみた方がいいでしょう。

偉人をただただ英雄視するだけでは、

絵本を読んでる3歳児と変わりません。

3歳児ですべてを理解できるなんてあまりいてほしくないですが、

他人の人生の厚みを感じれないほど薄っぺらい人間もいてほしくない。

たとえ自分の人生が薄くても、他人の人生が薄くても、

それにも厚みを感じられるかが、

歴史に向かい合う覚悟があるかだと思うのです。

その事実を目にして、あとに残された私たちがどう感じられるか、

後世にどう伝えていくか。

ノンフィクション映画を観ることの意義を知るきっかけが、

ただの英語の授業の一幕というのも面白い話ですが、

現実と言うのは案外そういうものです。

思ってもみないタイミングで、驚きの経験を得ることができる。

それはまさにフィクションに求めているものと同じでした。

個人的目からうろこ事件です。


それからたくさんのノンフィクションを観るようになったわけではありません。

結局はエンタメを求めてフィクションばかり観てしまいます。

比率でいえばフィクションの方が多いのですから当然ですけれど。

それでもたまには趣向を変えて、

ノンフィクションを観るのもいいものです。

そんなことを感じる休日でした。

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