26日目 風鈴

彼曰く、夏を、感じる。


ちりん・・・。

ちりんちりん・・・。


初夏、という言葉がいつからなのか。

梅雨明けと猛暑が同じタイミングでやってくる今では、

夏と言うイメージだけが先行して、

気温が上がり始める5月くらいから、

高い気温が続く10月くらいまで、

ずっと常夏の箱の中に閉じ込められている気分です。

まるで天然のサウナ。

高いビルのコンクリートに吸収された太陽光は、

人の肌を焦がすほどに昂ぶり、

歩く人の気力と体力を奪っていきます。

下はずっとぶっ壊れた床暖房。

上は熱風が常に吹く、ロウリュの特別サービス。

癒しになるかとミストを撒いても、

ただ湿度が上がるだけで不快感しかない。

肌はべたべた、服も濡れる。

汗でなのか、ミストでなのか、

歩いている間に分からなくなってしまいます。

地面にときどきある水たまりも、

ただの熱湯風呂のようにチンチンに熱いです。

夏の風物詩であるプールもこれでは形無し。

ついでに言うと熱いところにわざわざ赴いて、

「暑い暑い」とのたまう人たちは、

暑いところに自分から出かけずに冷房ガンガンの部屋で寝静まっていてください。

暑いを求めて出たんなら最後まで自分の欲望に従っていなさいよ。

「暑い」と誰かが言うとみんなが熱くなっちゃうんだから。

熱気に叫ぶ夏フェス会場のように、ね。


ほんとにイヤんなっちゃうわね。


心の中であらゆる熱に対して一通り文句を言ったせいか、

ちょっとだけ心が熱くなってしまいました。

熱を感じたせいで体も熱いです。

不覚、熱の恐ろしさたるや、と愚痴を垂れてしまいます。


ちりん・・・。


そんなとき、どこからか涼やかな声が聞こえました。

高らかで、どこか冷たく、でも高級感のあるような。

金属とガラスが触れ合う音。

氷の中からそのまま取り出した空気を、

優しく一瞬だけ吹かせるような。

心に風を、耳に優しい声を、たぎった感情を収めてくれる冷たい熱を。

日本人なら、耳にしただけで心が鎮まるはず。


風鈴の音ですね。


夏の風物詩の1つ。

人によっては高すぎる音を嫌がることもあるかもしれませんが、

私は好きな音です。

季節はもちろん夏、おばあちゃんの家を訪れたとき。

縁側に座ってスイカをほおばりながら、

家族と談笑していたあのころを思い出すようで懐かしいです。

人並みですけどね。

でも人並みだからこそ、懐かしく思うものです。

今となっては親戚の家を訪れることも少なくなってしまった時代。

私より年上の世代はそうした家族同士の繋がりがあったでしょうけれど、

私以下の世代はなかなかそういう機会もない。

なにしろ横の繋がりが疎遠になってしまったのですから。

いとこがどのあたりまでいるのか分かったものではありません。

あっても鬱陶しいだけな気がします、今となっては。


そもそもコロナの影響で実家に帰ることもできませんし。

それは少し悲しく思います。

実家に帰ることは夏と正月を感じる要素の1つでした。

お盆の実家で感じる畳の匂い。

正月の実家で感じる畳の匂い。

・・・どちらも畳を感じているだけでは?

それはともかく。

畳に寝転がり、畳でみんなと卓を共にする。

一家団欒の時間があるからこそ家族を感じ、

そしてそれこそが私の季節感を表す道具でした。

親戚一同が集まる時期はお盆と正月と決まっていましたから。

昔は鬱陶しかったし、今でも誰が誰だか分かっていません。

まあ年寄りばかりでしたし、

私も向こうも覚えていないという点では同じ思いだったと思いますが。

しかしただ実家に帰れないだけで、

夏を感じることができないのも寂しいです。

日本人で、日本文化は好きですから。

夏らしい天気はブレてしまっても、

日本らしい夏は感じていたい。

家にずっとひきこもっていて感じる夏と言えば、

ただ蒸し暑いだけの室内で、

無為につけてしまう冷房の音でしょうか。

電気代をもったいなく感じてしまうあたり、

夏を感じるとは言えないでしょうね。


だからこそ、あの風鈴の音が懐かしい情景に見えたのだと思います。

駅の改札前、慌ただしく動く人々の足並みの音の中ではっきりと聞こえた、

キンと響くきれいな音色。

音なのだから、見えるわけがありませんが。

ですが一瞬だけ感じたあのころの記憶が、情景が、

私の心に夏をもたらしたことは確かです。

感染者だの、外出自粛だの、

ただうるさくて鬱陶しいだけの世事にまみれ、

嫌になるだけのに警鐘を鳴らしてくれたようで。

警鐘というよりは、夏の訪れを告げる虫の音のような。

あると鬱陶しく感じることもある、

でもどこか昔ながらの日本を感じさせる。

街の一角で感じることができる僥倖。

駅運営者の心づかいが身に、

いえ耳に沁みますね。

駅は普段使いませんが、

この音を聞くためだけでも来ていいかなと思いました。


これで電車を使おうものなら、

鉄道会社の企みとコロナに負ける気がするので、

夏という熱に浮かされないよう気を付けることとしましょう。

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