25日目 自粛期間の夜明け前、ちょっと考えた日曜日

 彼曰く、新しいことを始めるならば、行動するまえに満足してはならぬ。


 日曜日です。松竹梅です。


 最近煮詰まっています。違います、詰まっています。

 8割自分の力試し、2割惰性で続けてきたこの小エッセイ。(日記、吐き出したい感情の置き場所、短編ネタの覚書、など呼び名は様々)


 このまま続けるだけではつまらないなあと、ここ2,3日思っておりました。


 というのも、もともと小説の続きを書くためにどうしたらいいかを考えたのが、この日記の発端だったわけです。

『わすれられもの』を書き始めて1年が経過。プロット的なものを作って結末まで考えてはいるものの、なかなか筆が進まない。内容に自信がないからなのか、書いてる途中で嫌になってくるからなのか、終わらせるのがさみしいのか。理由はいろいろありますが、やはり自分の中で納得がいっていないのが本音ではないかと思ったわけです。自分が書きたいのはこういうことなのか、何に向けて書いているのか、それともテーマをもって書いているのか。

 考えれば考えるほど、自分の考えている「描きたい世界」からどことなく離れているような気がしました。いえ、というよりも「小説を書いている自分」という理想像から現実が離れていることに気付いてしまった、と言った方がいいかもしれません。


 俗にいうスランプという奴でしょうか…。


 デビューしてもいない人間が大それたことを言っていると思われるかもしれませんが、それでも人間、理想は追い求めていたいもの。納得がいかなくても続けることが大事だとは分かってはいるものの、どうも釈然としないもやもやとした感じが胸の奥の方に残っている。給料を貰って満足していながらも、自分のやりたいことってこういうことなのだろうか?と将来を想像して、未来に悩む大多数の学生みたいな思考から離れられないわけです。

 そのもやもやを吐き出したいがために書き始めたのがこの日記でした。小説を続けるためにはどうしたらいいか。今後自分はどうしたいのか。書き続けたいのか。


 結論、「書きたい」っていう気持ちが残っていました。


 自分で生み出せる世界は他よりもずっと小さいかもしれないけれど、それでも自分が気持ちよく、楽しく、面白いと思える世界を自由に書いていいっていうのはやはりいいことです。心が晴れやかにもなるし、重くもなるし、ちゃんと考えないといけないと思うし、脳を溶かしたい(何も考えたくない)なって思うし。

 そういう自由が表現の世界にはあるなと、自粛中の籠っている期間に韓流ドラマを見ながら思いました。海を越えて愛や誠実を伝えてくれた彼らに、図らずも涙と賛辞と祝福を心の中で送っていました。届くわけないと分かっていながらも、思わずにはいられなかったのです。


 今月から始めたこのエッセイにハート、応援をしてくれた方々には、心から感謝しています。まだ1カ月終わっていませんが、少しずつでも細々と続けられたのは誰かに見られているという実感と、求められているという満足感が味わえたからでしょう。形はどうあれ、見てもらえているという結果を残すことができたのは、自分の中で大きいことで、継続的な投稿の重要性を知ることができました。本当にありがとうございます。


 ひとまずは『わすれられもの』を書き終える。結末までの流れに弱さはあると分かっていながらも、彼らの物語を終えなければ次には進めない気が、やはりします。次に書くものは練られていないけれど、少なくとも書きたいという欲求があることは分かっていますので、今はその熱が冷めないようにしつつ一本目の結果を残したいと思っています。

 書き終えたら更新がしばらく顔を出さないかもしれませんが、エンタメは続けます。電子書籍に本格的に変えようかと、自粛中の本屋利用不可現象の影響で考え始めました。ので、これを機にカクヨムやなろうのサーバー上の小説も読もうと思います。(実は今まで読んでない)

 もっとよく考えてみよう、そう思わないではいられない、自粛期間でした。

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