24日目 眠り

彼曰く、睡眠は最も純粋な欲求だ。


気付けば外が茜色に染まっている。

今日も1日ベッドから離れることがなかった。

携帯の充電は十分だけど、わざわざ充電器を外すのも面倒に感じる。

それに外したところでどうせすぐにつけるのだから、その行動がもったいない。

お腹が空いた気がして台所に向かおうと思い立つ。

けれど昨日のうちに宮棚に置いておいたお菓子があるのを思い出す。

寝転がったまま頭上の宮棚に腕を伸ばし、バウムクーヘンを一袋取った。

ペリッと開けて、半分に割る。

半分は手に、もう半分は袋に戻して宮棚へ。

いつもと同じ天井を見上げながら、ぼーっとした頭でひと齧り。

薄皮を剥がすようにして手と口を動かし、ナマケモノのようにゆっくりと食べる。

「今日も平和だ」

そんな言葉が不意に口から出ていく。


世間は戦争がなくなって平和になったというけれど、

結局それはまやかしだと思うし、事実世間にはつらいことがたくさんある。

もちろん楽しいこともあるけれど、その数とつらいことのそれはたいていイコールで繋がっている。

待望の子供が生まれたと、どこかの夫婦が喜びを歌えば。

愛する人がこんなに早くと、誰かの旅立ちを悲しむ人がいる。

ここのレストランも最高だと、誰かが腹を肥やせば。

今日も食べ物にありつけないと、どこかの家族が飢えを積む。

私が経済を回しているのだと、金を持て余す貴人もいれば。

どうかお恵みをくださいと、だれかれ構わず求める貧乏人もいる。

神はいないと、現実主義を地で行く人もいれば。

神こそがすべてと、宗教に走る人もいる。

悠々と立っているか、追い詰められるか。

人生には様々な分岐点が存在する。

生まれた時点で強制的にスタートし、死ぬまで続く選択ゲーム。

まっさらな紙に山や谷、破れた部分や鮮やかに彩られた部分が作られるほど、

その人の人生の語りは豊かになっていく。

ときにそうした考えが、とても空虚だと感じることがある。

最終的にみんな死という悲しみを迎えるのならば、

緩やかにそこにたどり着くのが一番平和ではなかろうかと。

何事もなく、貴賤も争わず、自己の生命維持のみを重視して、

静かに一生を終えた方が平穏の時代は続くのではなかろうかと。

平穏には楽しすぎるということがない。

強いて言えば時々満たされる腹に生命維持のついでに感じる達成感くらい。

そしてつらすぎるということもない。

強いて言えば動かな過ぎて体が不自由になった気がするくらい。

それでも私は生きていられる。

睡眠と覚醒を繰り返すだけで、自分の生を実感できる。

ああ、この単純な快感を、世界が理解できたらいいのに。


気付けば眠ってしまっていた。

外はすっかり夜の色。

静かな時間が流れていく。

結局この後物足りなくて、近くのコンビニでポテチとチョコレートとドーナッツ、

それから米とサラダチキンとサラダとレトルトカレーを買った。

お金をおろし忘れていたから、財布の中身は寂しくなった。

小さな幸せと小さな後悔。

ずっと眠っていたいと思いつつも、こうしたことは求めている。

眠ることは大好きだけど、やっぱりこれはやめられない。

だって死んだらできないことだから。

眠っている間も、これはできない。

夢の中で食べ放題は開けるけれど、腹持ちがいいわけではない。

睡眠は死の予行演習。

流し見した世間の情報を整理しながら、明日のわが身と世界を想う。

その中で何度も生死を試行し、そのたびにやっておきたいことを考えた。

その結果が睡眠と食欲を満たすこと。

世界がどれだけ醜くても、自分の周りだけは平和でありたい。

波風立てず、争わず、欲望のままに生きていく。

たとえ地球が消えてしまって、人類が急に滅ぶときが来ても、

自分だけは欲望を満たしていたい。

手近なことで簡潔に、緩やかに死を迎えられるように。

最期のときが空腹でも、せめて静かに眠れるように。

今しばらくは睡眠という平和を味わっていたい。

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