第53話 海水浴の始まり。

 夏も絶好調の8月初旬。


 目の前には、どこまでも広がる日本海。ザザーンと、波の音が聞こえる。


 周りには、海水浴に来た人々がわんさかと。


 そんな海水浴のジリジリと照り付ける日差しの下、俺は砂浜に立ち尽くしていた。


「あー、ヤバい。緊張してきた」


 ヤバいヤバいちょーヤバいって。


 やっぱ無理。陰キャに海水浴とか無理だって。


 ほら、何すればいいか分かんないし? なに? あははは捕まえてごらんなさーいって走ればいいの?


 わからねえよ。海って何するところでしたっけ……?


 というか、そもそも。そもそもだよ。


 もう少ししたら水着に着替えた結愛がやってくる。


 俺、どうすればいいの?


 いやいや、ダメだ。こんなんじゃダメだ。結愛はきっと俺よりも緊張しているはずだ。俺がリードしなくては。俺がちゃんとしなければ。


 最近はけっこう上手くやれてたじゃないか(俺基準)。


 平常心。平常心だ。大丈夫。俺はできる子可愛い子かっこいい子。


「な、なおくん……? お、おまたせ、……しました」


「お、おう結愛っ。速かったな――――っっ!?」


 振り返って結愛の姿を視界に捉えた俺は、高速で目を逸らした。


「な、なおくん? どうかしましたか?」


「え、い、いやその……」


 ちらと結愛の方を見る。黄色いビキニタイプの水着が目に入った。それと同時に、日差しなんかよりも100倍眩しい白い肌が見える。


 これは……目の毒以外の何物でもない。直視できない。


 いやだって、結愛の水着姿を見るのも初めてなら、こんなに肌を晒しているのを見るのだって初めてだ。


 結愛のおへそってあんな風になってるんだなとか、太もももすべすべしてそうで綺麗だなとか、邪な思考ばかりが頭の中を支配しそうになる。


「私、何かおかしいですか……?」


「い、いや! そんなことはない! ぜったいにない!」


「えっ、えっ!? なおくん!?」


 少し悲しそうに目を伏せる結愛が見えて、俺は慌てて結愛に正対してその手を取った。しっかりと強く握った。


「めちゃくちゃ可愛い。今すぐ抱きしめたいくらい可愛い」


 俺が拙い言葉を伝えると、困惑していたはずの結愛は一気に顔を真っ赤に染める。恥ずかしくてたまらないとでも言うように、もじもじと膝をこすり合わせる。


 それから、瞳を揺らめかせながら上目遣いに俺を見た。


「あの……抱きしめちゃっても……いいんですよ?」


「えっ……」


「ほんとは、抱きしめたくなかったですか……?」


 ためらった俺を見て、結愛がまた少し悲しそうにする。


「じゃ、じゃあえっと、……お言葉に甘えまして……」


「はい……」


 俺はゆっくりと、その柔らかい身体を抱きしめた。


 夏の日差しと、滲んだ汗と、結愛の香りがした。


 熱さなんか気にならないくらい、結愛の肌と体温は心地よくて。ずっと抱きしめていたいとさえ感じた。


「あー、お母さん! あそこのおにーちゃんたちラブラブだよー。ラブラブー」


「こ、こら。あんまり見ちゃ悪いでしょう!?」


 何分くらいそうしていただろう。分からないが、ふと耳に入ったその声で俺たちは我に返った。


 おば様が「オホホホごめんなさいね~」と言って男の子を引きずっていく。


「あ、あはは……そ、そろそろ離れます……か?」


「そう、だな……」


 お互いに冷や汗をかきながら、俺たちは離れた。


 ここは海水浴場。人は俺たちだけではない。たくさんの人がいるのだ。


 恋人同士の時間を過ごすのも大切だが、節度はわきまえなくては……。


「こ、これからどうします……?」


「えっと、……まずはやっぱり海、入るか?」


「そ、そうですね……」


 また、あははと乾いた笑いが漏れる。


 こうして微妙な空気の中、海水浴が始まった。

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