第44話 夏祭りとかき氷。

「すごい人ですねえ」


「はぐれないようにな?」


「はいっ」


 笑顔で頷く結愛の黒髪がさらりと揺れた。髪には、以前プレゼントした髪留めがしっかりと付けられていて、そんなことに少し頬が緩む。



 夏休みが始まってすぐの7月26日。


 昼間に夏休みの宿題と格闘した俺と結愛はその夕方、町の夏祭りへやって来ていた。


 商店街は提灯で明るく照らされ、いくつもの露店が立ち並んでいる。


 夜には花火大会も行われるため町の外から来る人も多く、辺りはかなりの人波となっていた。


「あっ、なおく――――」


「おっと」


 言った傍から人波にさらわれそうになった結愛の手を掴んでそっと抱き寄せる。


「大丈夫か?」


「は、はい。ありがとうございます……」


 俺の胸に顔をうずめるようにして、結愛は恥ずかしそうに言う。


「やっぱ手、繋いどくか」


「そ、そうですね。お願いします……」


 こんな人混みで手を繋ぐのは結愛が恥ずかしがるため控えていたのだが、俺はその結愛の小さな手を取って歩き出した。


「えへへ……」


「……どした?」


「な、なんでもないです……よ?」


「そか」


 顔を赤らめながらもにやにやと満足そうな笑みを浮かべる結愛だった。





「結愛は何か食べたいものあるか?」


「うーん、そうだなあ……」


 聞くと、結愛はきょろきょろと露店を見渡す。


 人が多いこともあり、結愛の小さな背丈ではあまり見えないらしくそれだけでも少し必死だ。その姿には小動物っぽい可愛さがある。


「あっ、かき氷なんてどうですか?」


「いいな、暑いし」


「アタマキーンっとさせちゃいましょう!」


「いやそこまではいらんから」


 日が沈み始めているとはいえ、夏だ。祭りにはかなりの熱気が漂っていた。


 どうしても汗だってかくというものだ。


 そういえば繋いでる手も……やべえ! めっちゃベちゃってるぅ! やっと緊張で手汗をかかないようにはなってきたのに……。


 人並みをかき分けてかき氷屋の前へ顔を出すと、結愛が勧めんで注文を始めた。


「おじさん、かき氷をひとつ、お願いしますっ」


「あいよ~、味はどうする?」


「うーん……」


 かき氷屋のおっちゃんに問われると結愛は意見を求めるようにこちらを見やった。


 そもそも一つでいいのだろうかとも思ったが、あえてつっこむこともしなかった。


「結愛の好きなのでいいぞ?」


「……じゃあイチゴでお願いします!」


「ほいきたイチゴひとつね~」


「ありがとうございます!」



 かき氷屋を受け取ると、結愛は満面の笑みでそれを受け取った。率先して注文を済ませたことといい、今日は人見知りが発生しないらしい。お祭り効果だろうか?




 それから俺たちは人混みを離れて一息つける場所を探した。


「ここでいいか」


「はい」


 露店の群れから少し離れただけの、歩道の端っこだがまあいいだろう。


 こんなに人が多くてはなかなか落ち着ける場所もない。


 ふと結愛を見ると、こちらとかき氷を順々に見つめて右往左往していた。


「どした? はやく食べないと溶けるぞ?」


「は、はい。では、いただきます」


 赤いイチゴシロップのかかったかき氷を崩してスプーンにちょこんと乗せると、結愛は小さな口にそれを頬張った。


 瞬間、その冷たさが結愛を襲ったのかゾクゾクと震えて、悶絶するように目をぎゅっとつむる。しかしその口角は上がりっぱなしで、喜んでいるんだなということがわかった。


「うまいか?」


「はいっ、イチゴの味がします! 甘いです!」


「ははっ。でも実はかき氷のシロップって――――」


 と、言おうとしてやめた。


 かき氷のシロップというものは大抵、色と香料だけの違いであり味に違いなどない。つまり実際にはイチゴの味などするはずはなく、それは視覚と聴覚の錯覚によるものだ。


 でも、そんな蘊蓄を垂れるのは無粋かなと思った。


 お祭りで食べるかき氷は美味い。夏に食べるかき氷は格別。それでいいだろう。


 また、別の機会があったらドヤ顔で披露するとしよう。


「……? どうしました?」


「ああいや、なんでもない。それより、俺も食べていいのか?」


「もちろんです。――――はい、どうぞ?」


「……へ?」


 結愛はかき氷を一口分すくって、俺の口元へ差し出してくる。


 これは完全に……


「あーん、ですよ?」


 だよなあ……。


 たしか前にも一度、したことがあった。お互いのクレープにかじりついた、あれだ。いやあれは正確にいうと、あーんとはまた違うような……?


 あの時は後になって意識するとかなり気まずい空気になった。



 でも、俺は一瞬の逡巡のあと、おとなしく口を開いた。


「あ、あーん……」


「はい、どうぞ♪ なおくん♪」


 俺は若干の緊張を覚えながらも、冷たいかき氷を口の中に迎えた。


 砂糖の甘さが口いっぱいに広がる。


 しゃくしゃくと、かき氷の食感が心地いい。


 暑さも、緊張も、吹き飛ばしていくようだった。


 

 そしてやっぱり、思った通りだ。あのときほどの動揺はない。


 もうキスだってしているのだから、それは当然だろうか?


 でも、ふとした時の間接キスにはそれはそれで良さがあって。あーんとキスもまた比べられるようなものではなくて。


 あの時のような戸惑いと、それにも勝るあの高揚感を味わえないことを少し残念にも思うけれど、それはそれだけ俺たちの関係が先に進んだということで。


 結論を言えば、この上なく幸福を感じた。


「……甘いな」


「ですねっ。あ、なおくん、私にもあーんしてくれますか?」


「おう」


 そう言って俺は結愛からかき氷をもらい受ける。


 今更になってかき氷を一つしか頼まなかったのはこういうことなのか、と思った。


 ひとつの食べ物を二人で分け合って、食べさせ合う。美味しいねと笑いあう。それもまた、恋人同士なら幸せだった。





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