第37話 興奮の微熱。
何か物音がした気がして、私の意識は微睡から掬い取られた。怖がりな私はこういった物音にも敏感だ。
愛奈が帰ってきたのかな。それとも、お母さん……?
私は重い目蓋をゆっくりと持ち上げる。
と、そこにあったのは見慣れた部屋の見慣れた天井ではなく————
「……え? な、なおくん!?」
私の目に映ったのは、少しやる気のなさそうな、怠そうな目。はっきりとした顔の輪郭。最近はちょっとだけ整えたりしているようにも見えるけど、でもやっぱりぼさぼさの黒髪。
大好きな人の顔が、ベッドに寝転がる私を覗き込むようにしてそこにあった。
「悪い。起こしちゃったか?」
「い、いえあの、あのあの……それはいいんですけど……。な、なんでなおくんが……?」
私は布団を手繰り寄せて、なるべく身体を隠しながら言う。今はパジャマだし、それに寝汗もかいている。彼氏にそんなところを見せるわけにはいかない。
本当は顔も隠してしまいたいけど、さすがにそれは失礼だと思うから我慢した。
「あーいや、その、風邪引いたって聞いたからさ。お見舞いに。体調はどうだ?」
お見舞い……?
え? そんな、まさかなおくんが来てくれるなんて思ってもいなかった。ううん、もしかしたら……なんて少しは妄想したりはしたけれど。
でもなおくんは私の家の場所を詳しくは知らないはずだから、と思っていたのに。
ちゃんと、お見舞いに来てくれた。私のことを心配してくれたんだ————。
事態を正しく認識した瞬間、ボッと顔が熱くなるのがわかった。
表情が溶けるのがわかった。
ぜったい今私、すごい顔してる。真っ赤で、それにきっとふにゃふにゃな顔。
どうしようどうしよう……驚きと嬉しさと恥ずかしさと興奮と、色んな感情がごちゃごちゃになって……。顔、元にもどらないよぉ……。
「お、おい結愛っ? 大丈夫か? 顔真っ赤だぞ!?」
「だ、だいじょぶれす……だいじょぶれすから、心配しないでください……」
「だいじょぶっつったって……。絶対熱あるだろ。ちょっと、……触るぞ」
「へ? な、なおくん……!?」
なおくんが恐る恐るといった様子で差し出した右手が、私のおでこにぴとっと触れる。
あ、……なおくんの手、冷たくて気持ちいいかも……。
「あっつ……! やっぱ熱あるなこれ」
「い、いえこれはその……ちょっと興奮しただけと言いますかその……」
「え?」
「あ、あの……なおくんが来てくれたのが嬉しくて……。だからその、……すぐ落ち着くと思うので。手、そのままにしててもらえますか……?」
「お、おう……」
「……なおくんの手、冷たくてとっても気持ちいいです」
ひんやりして、でもなおくんの温もりを感じる。とても温かい。とても、落ち着く。
しばらくすると、心臓の鼓動も随分と静かになってきた。
それを察してか、なおくんが優しい声音で言う。
「それで? 結局体調の方はどうなんだ?」
「なおくんが来てくれたから、元気100倍ですよ?」
「そういうんじゃなくて。ちゃんと答えてくれ」
戯けた私に、真剣で温かい顔を向けてくれるなおくん。やっぱり優しいなぁ……。
自然と笑みが溢れてしまいそう。
「……ちゃんと寝てたのでかなり良くなったと思います。だからあんまり心配しないでください」
「そっか。良かった」
「はい」
ああ……なんだろうこれ。風邪を引いた彼女の元に、彼氏がお見舞いに来てくれる。
とってもありふれたシチュエーション。だけど、きっとみんなの憧れのシチュエーション。
とってもとっても、温かくて、幸せだ。
この時間がずっと続いて欲しいって。そう思っちゃうくらい。
だけどやっぱり、ずっとは続かない。
ピンポーン。
インターホンの音が鳴り響いて、私は幸せな世界から切り離されて現実に戻ってきた。
「お客さんでしょうか」
「そうみたいだな」
まったく、なおくんとの幸せを邪魔するなんてどこのじゃじゃ馬さんでしょうか。
「あ、愛奈が出るので大丈夫ですよ〜」
どうしたものかと玄関の方を気にする私たちだったが、自分の部屋に控えていたらしい愛奈がとたとたと玄関へ向かって駆け出して行った。
もしかして、さっきまでの会話も聞かれていただろうか? 愛奈はちゃっかりした子なのでお姉ちゃんは心配です。
「————あ、学園の方でしたか。結愛ねえは今起きてるんですけど、えっとその〜……」
玄関の方から愛奈がお客さんの対応をする声が聞こえた。
「学園の関係者っぽいな」
「ですね。誰でしょう?」
「教師か、生徒か。とりあえず俺も出てみるわ」
「あ、はい。お願いします」
そう言ってなおくんは部屋を出て行った。
学園の人……。さすがに1日休んだくらいで先生が来たりはしないだろうし、一体誰だろう?
〜〜〜〜〜
☆500感謝ですm(_ _)m
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