十一 混沌
啓介は、閉じていた目を開けると、いつの間にか、寝てた。と思う。
「美羽が眠いって言った時に、ベッドの上に座ったのが良くなかったか。どれくらい寝てんだろ? 絵美の様子を見に行こうって思ってたのに」
啓介は隣で寝ている美羽の顔を見ながら呟くように言い、体を起こすとベッドから下りる。
「にーに。どこ行くの?」
「ごめん。起こしちゃったな。絵美の事見て来る。美羽はまだ寝てな」
美羽の声にそう応えて部屋を出た啓介は、テーブルや冷蔵庫やテレビのある部屋を通って、絵美の部屋へと向かう。
「絵美。起きてるか?」
別々の部屋にいてもお互いの声が聞こえるようにと、開けたままになっている部屋のドアの横で足を止めた啓介は、寝ていたら悪いと思い、普段の声よりも小さな声で言った。
「寝てるみたいだな」
返事がないのでそう独り言ちた啓介は、返事がないのに中を見るのは悪いとは思うけど、心配だし、しょうがないもんな。顔だけ見て向こうに戻ろう。と思うと、ドアの横から移動し、部屋の中に顔を向けてベッドを見た。
「あれ? 絵美?」
ベッドの上に絵美の姿がないのを見て、啓介は言葉を漏らす。
「絵美? どこにいる? 起きてるのか?」
啓介は、ハルに安静にしているようにって言われてたんだから、部屋の中にいるんだよな? と思いながら言う。
「絵美。部屋の中に入るよ」
返事がないので、啓介はそう言うと、部屋の中に足を踏み入れる。
「いない」
誰もいない部屋の中を見回し、啓介は呟いた。
「にーに。どうしたの?」
美羽の声が聞こえた。
「美羽。絵美が部屋にいない」
「え? どうしたんだろう?」
啓介が言うと美羽が言う。
「ああ、トイレとか行ってるのかな?」
啓介は言い、玄関に続く廊下の途中にあるトイレに向かう。
「美羽も探す」
美羽が言って、部屋の中から外に出る。
「トイレにもお風呂にも入ってない」
トイレを見た後に、トイレの隣にある風呂場も見た啓介は、そう言いながら風呂場のドアを閉める。
「にーに。どこにもいないね。外に行っちゃったのかな?」
啓介の見た場所を、もう一度見て来た美羽が、啓介の傍に来て言う。
「外?」
啓介は言いながら玄関のドアに目を向ける。
「外には出ちゃ駄目ってハルが言ってた。防衛軍に見付かったら大変だからって」
美羽が啓介の着ている上着の裾の端を掴んで言う。
「うん。絵美だってそれは分かってるはずだ」
啓介は、言いながら、そうだ。ハルを呼ぼう。確か、声をかければ聞こえるようにしておくってハルが言ってた。絵美の事だ。ハルに何か言ってあるのかも知れない。と思った。
「にーに。外、行ってみる?」
美羽が言う。
「先にハルを呼んでみよう。絵美がハルに何か話をしてるかも知れない」
啓介は言って、美羽の手を握ると、ハルのボディの元へと向かう。
「ハル。ハル。聞こえる? 絵美がいなくなっちゃったの。ハル。聞こえてたら戻って来て」
ハルのボディの傍に行くと、美羽が言った。
「本当に、ハルには聞こえてるんだよな?」
啓介は、微動だにしないハルのボディを見つめながら言う。
「美羽。啓介。何かあったのです?」
なんの前触れもなく、不意にハルが頭部を上げて言った。
「ハ、ハル。聞こえてて良かった。絵美がいなくなったんだ」
「絵美がいなくなったとは、どういう事なのです?」
ハルが突然戻った事にびっくりしながら言った、啓介の言葉を聞いたハルが言う。
「絵美から何も聞いてないか?」
啓介はハルのフェイスガードを見つめながら言う。
「ハルは何も聞いていないのです」
ハルが言ってから小首を傾げるような仕草をする。
「ハル。絵美は大丈夫だよね?」
美羽が言う。
「きっと大丈夫なのです。すぐに探してみるのです。家の中をスキャンして、それから、外の情報を見てみるのです。ちょっと待つのです」
「ハル。ごめん。俺、寝ちゃってて。俺が起きてればこんな事にはならなかったんだ」
ハルの言葉を聞いた啓介は言った。
「啓介の所為ではないのです。大丈夫なのです。きっとすぐに、見付けたのです。ここから少し行った所にある公園にいるのです。PS結合体と戦っている姿が防犯カメラに映っているのです」
「PS結合体と戦ってる? ハル。公園の場所を教えてくれ。絵美の所に行って来る」
ハルの言葉を聞いた啓介はそう言って、握っていた美羽の手を放す。
「啓介。待つのです。話しておかないといけない事があるのです」
ハルが啓介の腕を掴んで言った。
「絵美が心配だ。絵美の所に行った後じゃ駄目なのか?」
啓介は言う。
「では、移動しながら話をするのです。美羽。ゴーグル型カメラを装着するのです」
ハルが言って、啓介の腕から手を放すと、美羽の手を握り、玄関のドアの方に向かって歩いて行き、靴箱の前で足を止める。靴箱の中からゴーグル型カメラを一つ取り出したハルが、ゴーグル型カメラを美羽に装着する。
「はっ、なのです。ハルも装着するのです」
そう言い、ハルがもう一つゴーグル型カメラを取り出し、フェイスガードの上に装着した。
「ハル?」
啓介は、ハルの様子を見て言う。
「話したい事に関連している事なのです」
ハルが言って歩き出す。
「ハル。俺も美羽を一人にはしたくないけど、美羽は置いて行った方が良いんじゃないか?」
「もうここは放棄するのです。だから美羽も連れて行くのです。今、外は酷い事になっているのです。ここは地下にあるので他の所よりは安全なのですが、いずれ、危険になってしまうのです。これからの事も考えて地下都市に行こうと思うのです」
啓介の言葉を聞いたハルが、玄関のドアノブに手をかけながら言う。
「地下都市に?」
啓介は驚きながら言った。
「大丈夫なのです。ハルが啓介と美羽と絵美が入れるようにするのです。皆で地下都市で暮らすのです」
ハルが言うと美羽が、地下都市で暮らすの? と大きな声で言う。
「そうなのです。美羽。だから頑張って行くのです」
ハルが言ってドアを開けた。ドアの外は上に向かって行く階段になっている。階段を上がって行くと、下に向かって開く丸型の、直径がニメートルくらいの大きさの扉があり、その先は、先ほどまで啓介達がいたのと同じような作りの部屋になっていた。部屋の中を通って、また玄関に行く。
「外は戦場のようになっているのです。気を付けて行くのです。美羽。ここからはハルが抱えて行くのです。ハルにしっかりと掴まっているのです」
ハルが言い、うん。と言った美羽を抱き上げる。
「なんか、燃えてる臭いがする」
ハルと一緒に外に出た美羽が言う。二人に続いて玄関を出た啓介は二人の傍に行き、美羽の手を握りながら、周囲に目を向ける。啓介達は隣り合う家々の塀に囲まれた迷路のような路地の中にある、一軒の家のドアの前に立っている。辺りからは黒煙が上がっていて、人々の悲鳴のような声が聞こえて来ていた。
「にーに。上見て。天井が」
美羽が言葉を漏らす。啓介は顔を上に向け、思わず息を飲む。
「あれは、本物だ。本物の空だ。それに、あの黒い、たくさん、浮かんでるのは」
啓介は言葉を漏らしながら、空に無数に浮かんでいる黒い物体を見て、あれは、絵美のウデに触れた時に見えた、宇宙船? と思う。
「啓介。美羽。移動を開始するのです。美羽はこのまま、啓介は、走りながら聞いて欲しいのです。今、都市に起きている事態のすべては、ハルの所為なのです。ハルが、ハル自身が、PSを視認できるか実験をしたのです。それで、視認する事できて、結合したのですが、その結合で生まれた者、ハルツーと名乗っているのですが、その者が都市の天井や壁を破壊したのです。ハルツーはPSの意思を持ったPS結合体なのです。ハルツーはこの星を乗っ取ると言っているのです。あの空に浮かんでいる黒い物はハルツー達の乗って来た宇宙船なのです。それと」
話しながら走り出したハルが、そこまで言って言葉を切る。美羽の手を握ったまま、ハルの右斜め後ろを走っていた啓介は、ハルの言っている事と事態の急変に驚愕するばかりで、終始、唖然としながら聞いていた。
「驚くのも無理はないのです。けれど全部実際に起こっている事なのです。ハルは、啓介の、いえ、ちょっとした切欠があって、人のような何かになっているのです。それで、PSを視認できるようになって結合する事もできたのです。そこまでは良かったのです。PSの事を色々調べられると思ったのですが、まさか、こんな事になるとは思ってもいなかったのです。それで、啓介にお願いがあるのです。ハルツーは啓介に会いたがっているのです。恐らく、地下都市に行く前に接触する事になるのです。そうなったら、啓介。ハルももちろん戦うのです。けれど、啓介にも手を貸して欲しいのです。一緒にハルツーを倒して欲しいのです」
「ハル。ごめん。ちょっと、待ってくれ。頭の中が滅茶苦茶だ。ハルとPSの結合? この星を乗っ取る? 宇宙船? 都市の天井だってなくなってて」
再び話し出したハルの言葉を聞き終えた啓介は、混乱している頭の中を、そのまま剥き出しにするようにして言葉を出す。
「にーに。あれ見て」
美羽が片手を動かし、指を差しながら声を上げた。啓介は美羽の声に反応して、美羽の指差す方向を見る。
「PS結合体」
啓介はハルが向かって行っている、路地から出た先の、大通り沿いの歩道の一角で、複数のPS結合体が人々を襲っているのを見て言葉を漏らす。
「にーに。助けてあげて」
美羽が言う。啓介は、ウデを出さないと、いや、でも、人類を助ける? 防衛軍にあんな事をされたのに? と思う。
「にーに?」
美羽が啓介の顔を見つめて言う。
「ハル。防衛軍は何をしてるんだ?」
啓介は、握っている美羽の手を放しながら言った。
「防衛軍は、外から雪崩れ込んだPS結合体とハルツーの対応に追われていて、都市の住民達を助けるどころではないのです。啓介。美羽をお願いするのです。ハルが行って戦うのです」
ハルが言った。
「ハル。戦うって、本当に戦えるのか?」
「戦えるのです。実は、もう既に、スペアボディを使用したり、ハッキングで動かせる兵器などを使用したりして、住民達を助ける為に動いてはいるのです。けれど、PS結合体の数が多くて追い付かないのです。これは全部ハルの所為なのです。この場はハルがなんとかするのです」
啓介の言葉を聞いたハルが言う。
「ハル。ハルに、何かあったら困る。ここは俺がやる。ハルの為だと思えばやれる。ただ、絵美の事がある。だからこのまま足は止めない。絵美の所に向かって行きながらPS結合体を倒す」
啓介は言って、ウデよ十本生えろ。と思う。すぐに思った通りに背中からウデが十本生える。ウデの先端をすべてアサルトライフルに変えよう。いや、駄目だ。できれば、あの時みたいに、殺したりはしたくない。あれは元々、人なんだ。でも、殺さないように倒したとしても、きっとすぐに体が再生してまた人を襲う。どうする? どうすれば良い? ああなってる人達にだって家族がいるのかも知れない。俺や美羽みたいな、そんな存在がいるのかも知れない。俺は、俺達に酷い事をした防衛軍の奴らを、許す事ができない。防衛軍の奴らと同じ人類を、できる事なら助けたりなんてしたくない。でも、襲われている人々をこのまま見過ごす事もできない。寄せては返す波のように色々な考えが頭の中に浮かび、行動を起こせなくなってしまった啓介の耳に悲鳴が飛び込んで来る。悲鳴のした方に反射的に顔を向けると、美羽と同じ年齢くらいの女の子とその母親らしき人物がPS結合体に襲われているのが見えた。啓介は、咄嗟に、助けないと。と思うと、すべてのウデの先端をアサルトライフルに変え、二人に襲いかかっているPS結合体を撃った。
「啓介。ありがとうなのです」
ハルが言って頭を下げる。啓介は、ハル。お礼なんていらない。と言葉を返す。ハルが、啓介。と呟くように言った。啓介は、己の中にある人類を助ける事に関する葛藤に答えを出せぬままに、人々を襲っているPS結合体を殺し始める。
「着いたのです。あの公園の中に絵美がいるのです」
啓介達の進行方向に現れた、コンクリート製の壁に囲まれた公園を見てハルが言う。
「にーに。後ろ」
美羽の言葉を聞いた啓介は後ろを向く。いつの間にか、啓介達の後ろには大勢の人々がいて、皆、啓介達の後について来ているようだった。
「きっと、皆、啓介の傍にいれば助かると思っているのです。とりあえず、公園まで行けば、皆を公園に避難させられるのです」
ハルが言う。
「こんなに大勢。こんなにたくさんの人を、助ける事なんて俺にはできない」
啓介は、人々から目を逸らすように前を向きながら言った。
「啓介。ごめんなさいなのです。ハルだけでもなんとかなるのです。啓介には美羽と絵美をお願いするのです」
ハルが言う。
「にーに」
美羽が小さな声で言う。
「ごめん」
啓介は目を伏せると、呟くように言った。
「啓介。美羽。もう少しなのです。絵美の所に急ぐのです」
ハルが大きな声を上げる。美羽が、うんと返事をする。啓介は、何も言葉を返さずに、ハルの後を追った。公園の中に入ると、公園の中心にある広場にPS結合体が数十体集まっているのが見える。
「あれなのです。あの中に絵美がいるのです」
ハルが言う。
「絵美。絵美。聞こえるか? 絵美。聞こえたら、返事をしてくれ」
啓介は叫んだ。
「啓介? 啓介なのか? どこにいる?」
絵美の声が聞こえる。
「絵美。どこだ? 姿が見えない。大丈夫か?」
啓介が言うと、PS結合体の集団の一角が崩れる。血塗れになった絵美が、PS結合体と戦闘をしながら、啓介達の目に見える場所に出て来る。
「絵美」
「にーに。絵美を助けて」
ハルと美羽が言う。啓介は絵美の姿を目で追いながらウデを動かし、集団を形作っていたPS結合体達を殲滅した。
「啓介。助かった。ありがとう」
啓介達の方を見た絵美が言う。
「絵美。体を調べるのです」
絵美が傍に来ると、ハルが言って、絵美の全身をスキャンする。
「ハル。これは大丈夫。そんな事より、ハル。啓介。美羽。勝手な行動をしてしまって、本当に済まない。外の様子が気になって、セーフハウスのドアを開けてしまった。外が大変な事になっていて、我慢ができなくなった」
絵美が言う。
「絵美。無事で良かったのです。スキャンが終わったのです。怪我なども本当にないようなのです」
「本当に無事で良かった」
ハルが言い、啓介も言葉を出す。
「絵美。本当に平気なの? 血だらけだよ」
「全部、PS結合体の血。心配ない」
美羽と絵美が言葉を交わす。
「啓介。絵美。美羽。お願いがあるのです。少しここで待っていて欲しいのです。ついて来ている人達を全員公園の中に入れて、公園のすべての出入り口を封鎖して来るのです」
ハルが言って、美羽を地面に下ろす。
「ハル。それが終わったら皆で地下都市に行く?」
美羽が言った。
「地下都市に行く? ハル。何が起こっている?」
絵美が言う。
「絵美。話は後でするのです」
ハルが言い、歩き出す。
「これも行く」
絵美が言ってハルの後を追う。
「美羽も行く」
美羽が言うと走り出す。啓介は、三人を追わずに、顔を巡らせ、周囲を見る。公園内には、絵美の周りに集団を形成していたのとは別のPS結合体が、まだ数体残っていた。
「殺す事に、抵抗がなくなって来たみたいだ」
啓介は、ハルはきっともう俺には頼まない。自分でやろうとする。と思いつつ呟くと、PS結合体達を狩り始めた。公園内の広場の一角に人々を集め終わると、ハル達が啓介の傍に来る。
「啓介。ありがとうなのです。啓介のお陰で本当に助かったのです。今、公園の出入り口を塞ぐ為の大型車両を用意している所なのです。後少しで終わるのです」
ハルが頭を下げながら言う。
「ハル。それは良かった」
啓介は、ハルの姿を見つめて言う。突然ハルが、何かに弾かれたように勢い良く頭を上げる。
「大変な事になったのです。防衛軍が、都市に住む人々を殺し始めたのです」
「ハル? 何を、言ってるんだ?」
ハルの言葉に愕然としながら啓介は言った。
「防衛軍の動きを探る為にずっとハッキングしているのです。それで、今、この情報を得たのです。この都市を放棄する事になったのです。放棄するにあたって、移動中の安全確保の為と、これ以上、PS結合体の脅威を増やさない為に、この都市に住む人々をすべて処分すると防衛軍が言っているのです」
ハルが言う。
「なんだよそれ」
啓介は言葉を漏らす。
「こっちにも防衛軍が向かって来ているのです」
ハルが言って、周囲を見るような仕草をした。凄まじい破壊音が公園内に響き渡る。啓介達が入って来た出入り口の、反対側にある出入り口付近の壁が破壊され、都市迷彩を施された30式戦車が二両、並走しながら公園の中に入って来た。
「戦車」
啓介は反射的に言う。啓介達について来ていた人々の間から、悲鳴や防衛軍の登場を喜ぶ声が上がる。
「公園内にいる住民達に告ぐ。当戦車の前に集合せよ。公園内にいる住民達に告ぐ。当戦車の前に集合せよ。何? PS結合体特異種? 二体?」
啓介達から見て右側に停車している三〇式戦車に搭載されている、拡声器から発せられる男の声が言った。
「皆。戦車の方に行っては駄目なのです。防衛軍は、この都市の放棄を決めたのです。この都市に住んでいる人々を皆殺すつもりなのです」
ハルが大きな声で告げる。人々の間から悲鳴や怒号などの様々な声が上がり、混乱を来し始めた人々の中から、戦車の方に向かって走り出す者達が現れる。
「ハル。他に防衛軍は?」
絵美が言う。
「にーに。ハル。絵美」
絵美と手を繋いでいる美羽が、不安そうな声で言う。
「美羽。大丈夫なのです」
ハルが言って、美羽を抱き上げた。
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