七 初陣

「今のがハルの知っている絵美の過去の話のなかでも、最も壮絶だと考えられる話なのです。今話した内容に関して、何か疑問に思った事や質問があれば、知っている限りなんでも答えるのです」

 ハルが言葉を出力する。

「ハル。俺は、あの人に、本当に酷い事ばかりした」

 啓介は小さな声で言った。

「ちなみになのです。絵美の髪の色が今のようになったのは、この時からのようなのです。父親に髪を切られ、再生した時に今のような色になったようなのです。精神的に強いショックを受けると、髪が白髪に変わってしまうというような話は昔からある話なのですが、絵美の場合は白髪ではなく、白銀色に変わったようなのです」

 啓介の耳にハルの言葉は届いてはいなかった。啓介は、とにかく絵美さんに謝ろう。それで、自分の事を許してくれたら、自分がこれからどう生きて行けば良いのかを絵美さんに聞いてみよう。と考えていた。

「絵美が来たようなのです。絵美。今開けるのです」

 ハルがそう言葉を出力すると、部屋のどこかからドアの開くような音がする。

「ハル。あの子の様子はどう?」

 絵美の声が啓介の耳に入って来た。

「絵美。今から、啓介の事は啓介と呼ぶのです。啓介。今から絵美の事をちゃんと絵美と呼ぶのです」 

 ハルが絵美と啓介の方を、交互に見るような仕草をしながら言葉を出力する。

「ハル?」

「ハル。いきなり何言ってんだ」

 絵美と啓介の声が重なる。

「ふー、なのです。二人の呼吸はバッチリなのです」

 ハルが言葉を出力した。

「ハル。何を言っている?」

「ハル。変な事言うな」

 またも絵美と啓介の声が重なる。

「ハルは、余計な事を言ったようなのです。若い二人を残して、散歩にでも行って来るのです。後は、若い二人に任せるのです」 

 ハルがそう言葉を出力すると、歩き出す。

「ハル。どこに行く?」

「ハル。行かないでくれ」

 更に絵美と啓介の声が重なる。

「ハルはもう何も言わないのです。二人でお幸せになのです」

 そんな言葉を出力したのを最後に、ハルの姿が啓介の視界から消えた。少しの間があってから、また部屋のどかからドアの開くような音がする。

「君。具合はどう?」

 絵美の言葉が聞こえ、絵美の姿が啓介の視界の中に入って来る。

「あ、ああ。なんというか、大丈夫、というか。それより、ごめんなさい。俺、君に酷い事をしたし、酷い事を言った。君は、昔、俺よりも大変な思いをしてたのに」

 啓介が言うと、絵美が小首を傾げる。

「どういう事?」

 絵美が言う。

「ハルが絵美の過去の話を啓介に話して聞かせたのです」

 ハルの声がする。

「ハル。いつの間に戻って来た?」

 絵美が振り返りながら言う。

「いや~なのです。気になってついこっそりと隠密モードを使用して戻って来ていたのです。気配を消していたのですけれど、つい、声を出してしまったのです」

 ハルが言葉を出力しながら啓介の視界の中に入って来る。

「隠密モード?」

 啓介は思わず言葉を漏らす。

「ハルにはそういう機能もあるのです。ボディを戦闘用に換装すれば、通常の戦闘だけでではなく、ある程度の潜入作戦などにも対応できるのです」

 ハルが言葉を出力する。

「ハル。これの過去の話とは?」

 絵美が言う。

「むむー、なのです。絵美のリアクションがいつもと変わらないのです。絵美。そこは、どうして勝手に話した? などと言ってみたりして、ちょっと怒ったりとか、困ったりとかすると、啓介の気持ちを惹き付けられると思われるのです」

 ハルが言葉を出力する。

「えっと、その、君のお父さんの最期の時の話とか、どうして、お母さんと妹さんが死んだのかとかを聞いた」

 啓介はハルの方から話してくれたとはいえ、話を聞いたのは自分なのだから、自分が何を聞いたのか言うべきだ。と思うと言葉を出した。

「そう。教えてくれてありがとう」 

 絵美が言った。

「俺、こんなふうになって大変な思いをしてるのは、俺だけじゃないんだって思った。後、PS結合体になったけど、生きて行こうって思えた」

「絵美。啓介の拘束衣をもう脱がしても良いとハルは思うのです」

 啓介の言葉を聞いたハルが言葉を出力する。

「これも、もう必要ないと思う」

 絵美が言うと、ハルが啓介の傍に来る。

「啓介。今、拘束衣を脱がしてあげるのです」

 ハルが言葉を出力し、腰を曲げて、啓介の体に向かって両手を伸ばす。しばらくの後、啓介の体を覆っていた拘束衣の感触が啓介の体から消えた。

「啓介。これでもう自由なのです」

 ハルが言葉を出力してから、拘束衣を手に持ったまま啓介から離れる。

「本当に、両手がある」

 啓介は、自分の手を顔の前に持っていきながら言う。

「足ももう生えている。歩く事もできる」

 絵美が言う。

「あの、ええっと、酷い事したり、言ったりして本当にごめんなさい。こんなふうに謝っても、やった事は消えないけど、ちゃんと頭を下げて謝りたいと思って」

 啓介は体を起こすと、すぐにベッドの上に正座して深く頭を下げた。

「そんな事はしなくて良い。これは君の母親を殺している」

 絵美が言った。

「啓介。落ち着くのです。感情を乱すとまたウデが暴れる可能性があるのです」

 ハルが言葉を出力する。

「大丈夫。俺は落ち着いてる。悪いのは俺だから。絵美さん。母さんの事は、あれは、しょうがなかったんだ」   

 啓介は頭を下げたまま言った。

「頭を上げて。きみは何も悪くない。これの方こそ、本当に、お母さんの事は悪い事をしたと思っている。本当にごめんなさい」

 絵美が言う。

「二人とも、頭を上げるのです。そうやって謝っていても良いのですが、そればかりをやっていても、何も進まないのです。啓介はこれから、絵美にたくさんの事を教えてもらうと良いのです。絵美はこれから、啓介に自分の経験して来た事をたくさん教えてあげると良いのです」

 ハルが言葉を出力する。

「ハル」

 絵美が言う。

「ハル」

 啓介は頭を上げながら言った。

「そうして、二人はラブラブになるのです? 二人の子供の名前は、いや。待つのです。二人がラブラブになるとハルの居場所がなくなるのです。おや? なんなのです? これは?」

 ハルが言葉を出力した。

「君が構わないというのなら、まずは、ウデの使い方を教えたい。ウデの制御ができるようになれば、この部屋からも出られるようになる。それに、妹さんにも早く会えるようになると思う」 

 絵美が啓介の傍に来て言う。

「ありがとう。絵美さんの言う通りにする。なんでも良いから、この体の事、PS結合体の事を教えて欲しい」

 啓介は絵美の顔を見つめながら言う。

「なんなのです? なんか面白くないのです。きいぃーなのです。ハルを無視して、二人が見つめ合って、ん? なのです」 

 ハルが言葉を出力するのを途中でやめる。

「通信が入っているのです。絵美。緊急出動なのです。PSが降下して来るのです。そ、そんな、なのです。啓介も同行せよとの命令が出たのです」 

 少しの間を空けてからハルが言葉を出力し、啓介と絵美の顔を交互に見た。

「同行せよって、俺も戦えって事なのか?」

 啓介はハルの方に目を向けて言う。

「大丈夫。君は一緒に来るだけで良い。これが戦う」

 絵美が言う。

「まったく統制機構の連中は無茶な事を言うのです。ハル達の事を馬鹿にしているのです。絵美。ハルもいつも以上に絵美のフォローをするのです。だから絵美は頑張って戦うのです。啓介にはまだ戦いは早過ぎるのです」

 ハルが絵美の方にフェイスカバーを向けて言葉を出力する。

「絵美さん。行く途中でウデの使い方を教えてくれ。俺も一緒に戦う」

「戦いは君にはまだ早い。大丈夫。これだけで事は足りる」

 啓介の言葉を聞いた絵美が言う。

「啓介。やめておくのです。戦闘中に万が一にも、啓介のウデが暴走したりしたら大変な事になるのです」

 ハルが言葉を出力する。

「それは、確かに、そうだけど」

 啓介は、目を伏せながら言った。

「では、行くのです。啓介。出動する時は地下駐車場にある装甲車を使用するのです。一緒にこっちに来るのです」

 ハルがそう言葉を出力し、歩き出す。ハルに先導されエレベーターに乗り、地下駐車場に降りた啓介達は、一台の白色の装甲車の前まで行く。

「この装甲車で行くのです」

 ハルが、装甲車の方にフェイスカバーを向け、言葉を出力する。

「この車、都市の中で見た事がある。あの、屋根の真ん中から出てるのはなんなんだろうって思ってた」 

 啓介は装甲車の屋根の中央部分から、上に向かって一メートルくらい突き出ていて、直径が二メートルくらいある、円筒形の物体を見ながら言った。

「あれは」

 ハルが言葉を切るように、途中で言葉を出力するのをやめる。

「ハル。急ごう。話は移動しながらでもできる」

 絵美が言い、装甲車の後部に近付くと、後部扉を開ける。

「絵美。シュレディンガーの猫の事、啓介にどう伝えるのです?」

「いずれ知る事になる。ハルが話し難いと思うのなら、これが話す」

 ハルの言葉を聞いた絵美が、装甲車の中に乗り込みながら言う。

「分かったのです。ハルが話すのです。啓介。あれの事は乗ってから話すのです。ここから装甲車に乗るのです」

 ハルの出力した言葉を聞いた啓介は、ハルのフェイスガードと絵美の顔を交互に見ながら、分かった。と言って装甲車に乗り込んだ。

「では出発するのです」

 ハルが最後に装甲車に乗り込み、そう言葉を出力すると、装甲車が走り出す。円筒形の物体の下部がかなりの部分を占めている車内には、左右の側面の壁に沿うようにして設置されている、細い横長の椅子が二つあり、右側に絵美と啓介が並んで座っていて、左側にハルが座っていた。

「ハル。さっきの話。シュレディンガーの猫ってなんなんだ?」

 啓介は車内を一通り見回してから、円筒形の物体の下部を見つめながら言った。

「それが、この装置の名前なのです」

 ハルが言葉を出力する。

「装置? この円筒形の物は何かの装置って事なのか?」

「そうなのです。啓介はきっと、この話を聞くと、酷いショックを受けるのです。けれど、これは必要な装置なのです。現状ではこの装置に頼る事でしか、地上に降下して来たPSを周囲の者達を危険にさらす事なしに、発見する事はできないのです。この円筒形の物体、シュレディンガーの猫の中には人が一人入っているのです。その人物がPSを視認する事によって、PSをヘイズ状態、人の目に見える状態にして現出させるのです。そうする事によって、周囲の者達は自分達が狙われる事なくPSを見られるようになるのです」

 啓介の言葉を聞いたハルが言葉を出力した。

「なんだよ、それ。中の人を犠牲にするって事なのか?」

 啓介は、こんな装置を使うやり方をするなんて狂ってる。と思いながら言う。

「犠牲にはしない。中の者がPSと結合する前に現出したPSを倒す」

「そうなのです。それに、この円筒形の物体とこの装甲車の装甲はキボウでできているのです。キボウについては、絵美の過去の話をした時に出て来たので、もう啓介もその名前を知っていると思うのです。キボウという金属はただ硬いだけではなく、PSの透過能力を阻害する性質も持っているのです。ただ、それでも、透過して来るPSもいるのです。ちなみになのです。ドーム都市の天井や、地下都市の天井も、キボウでできているのです」

 絵美が言葉を切ると、ハルがそれに代わるようにして言葉を出力する。

「透過するって、通り抜けるって事だろ? それじゃ、意味ないじゃないか。ドーム都市の中にもしょっちゅうPSが入って来てる。ハル。絵美さん。中の人を出してやろう。こんなのおかしい」

 啓介はハルと絵美の顔を交互に見ながら言う。

「中に入っている者達は皆自分の意思で中に入っている。皆、PSやPS結合体と戦おうという意思を持っている」

 絵美が言う。

「啓介。気持ちは分かるのです。ハルもできる事ならば、こんな事はやめさせたいのです。今の啓介にこんな事を言っても、納得してもらえないと思うのです。けれど、言っておくのです。中にいる者に危険が及んだ事例はほとんどないのです。絵美が傍にいる場合には、危険が及んだ事はまったくないのです」 

 ハルが言葉を出力する。

「絵美さん。絵美さんはこれで本当に良いと思ってる?」

 啓介は絵美の顔をじっと見つめながら言う。

「これは、PSとPS結合体を倒す為ならば、どんな手段も厭わない」 

 絵美が啓介の目を真っ向から見返しながら言った。

「絵美。どうしてそんな言い方をするのです。啓介。本当は絵美だってこんな事は良くないと思っているのです。だから絵美の事を悪く思っては駄目なのです」

 ハルが絵美と啓介の顔を、交互に見るような仕草をしつつ言葉を出力する。

「俺がやる。中の人の代わりにPSを視認する」

 啓介はハルの方に顔を向けて言う。

「何を言い出すのです。駄目なのです。啓介がPSと再結合する可能もあるのです。そんな事が起きたら、どうなるのか分からないのです。他のPS結合体よりも凶暴になる可能性もあるのです。啓介はそんなふうになって人を襲いたいのです?」

「中にいる人だってPS結合体になるかも知れないんだ。俺なら、もう人じゃない。だから、どうなったって構わない。それに、暴れ出したら絵美さんがいる。絵美さんに俺を殺してもらえば良い」

 ハルの言葉を聞いた啓介は、絵美の方に顔を向けながら言う。

「啓介。絵美の気持ちを考えるのです。絵美にそんな事をさせてはいけないのです」

 ハルがフェイスカバーを啓介の方に向けて言葉を返す。

「分かってる。俺だって、こんな、絵美さんに辛い思いをさせるような事はしたくない。けど、絵美さんがさっき言った、PSを倒す為ならばどんな手段も厭わないっていう言葉を聞いて、思ったんだ。俺も、どんな手段も厭わないようにしなきゃ駄目だって。俺は、中の人を守りたい。だから、今、俺にできる事をやりたい」 

「この後、現地に到着して、戦闘に入ったら言葉を選んでいる余裕はなくなる。これは君の事を今から啓介と呼ぶ。これの事は絵美と呼んでくれて構わない。啓介。それは啓介がする事ではない。啓介には啓介にしかできない事がある。PSの降下回数と降下数は増えて来ている。戦力の増強は必須。今回は無理でも、今後、ウデの使い方を覚えれば、通常兵器を持つ者達とは比べ物にならないくらいの強さを、啓介は持つ事ができる」

 啓介の言葉を聞いた絵美が言う。

「お願いだ。もう、母さんや美羽に起こったような事が、誰かに起こる所は見たくない。だから、俺にやらせてくれ」

 言い終えた啓介の脳裏に、あの日の母親と美羽の姿が過る。啓介は両手で拳を作るとそれを強く握った。

「啓介。一つ聞きたいのです。啓介は、どうして、そんなふうに思うのです? 啓介は、死にたいとか、こんなふうになった自分なんてどうなっても良いんだとか、そういう気持ちからそう言っているのではないのです?」

 ハルの言葉を聞いた啓介はハルの方を見る。ハルが啓介の顔をじっと見るような仕草をする。

「それは」

 啓介はハルの言葉に、それ以上言葉を返す事ができず、押し黙った。俺は、俺と同じような思いをする人を増やしたくない。家族が死んでしまうという悲しい事が、誰かの身に起こらないようしたい。こんな物の中に人を入れて、その人にPSを視認させるなんて酷い事をしたくないって思ったから、それなら、もう人じゃない、俺が代わった方が良いって思ったんだ。でも、どうしてだ? 全然知らない他人の事なのに? どうして、自分を犠牲にしてまで守りたいんだ? 前の俺だったら、普通の高校生だった俺だったら、こんなふうに思ったのか? 今のように聞かれてしまうと、死にたい。こんなふうになった自分なんてどうでも良い。そういう気持ちが絶対にないと言い切れる自信がない。俺はまだ、この現状を受け止めて生きて行こうって完全には思えてない。生きて行きたいとは思ってるけど、まだまだ心は揺れてる。俺は、自殺したいのか? その手段の為に、中の人を守りたいとかって思ってるのか? と啓介は思った。

「啓介。どんな事があっても、自分を大切すると誓うのです」

 ハルが言葉を出力する。

「誓う?」

 啓介は、そう呟くように言った。

「これがやる。啓介にもシュレディンガーの猫にもやらせない。最初からこうすれば良かった」

 絵美がハルと啓介の方を交互に見ながら言った。

「絵美。駄目なのです。絵美にもしもの事があったら啓介の事はどうするのです?」

「これを狙って来るPSを倒せば良いだけ。大丈夫」

「これは今考え付いた事なのですが、再結合の事だけではないのです。PSの方もどんな変化を起こすか分からないのです。絵美が視認した事で、PSに何か変化が起こる可能性もあるのです」

 ハルと絵美が交互に言葉を交わし合う。

「ハル。俺は自分を大切にすると誓う。だから俺がやる。これで問題ないはずだ」

 ハルを騙す事になるけど、俺がさっき思った事は黙っていれば分からない。中の人を助けたいって思うのは、きっと、俺が、PSに何もかもを奪われて、変わったからだ。誰かが目の前で不幸になるかも知れないって分かってて、その不幸はもう俺には起こってて、これ以上、俺が不幸になる事は、死ぬ事くらいしか、それだって、それが俺にとって本当に不幸なのかどうなのか、分からないっていう状況で、何もしないなんて、今の俺にはできない。自殺をしたいのかも知れない。それならそれでも、いや、違う。駄目だ。美羽がいる。俺は死ねない。まだ死にたくない。だけど。中の人を見捨てる事も、絵美を俺の代わりにするなんて事も絶対にしたくない。俺は、大丈夫だ。前を向いてる。今の俺は、ハルを騙してない。自殺したいなんて思ってない。啓介は心の中での葛藤を終えると、二人の間に割って入るようにして言葉を出した。

「二人とも、この話はまた今度なのです。もう現場に到着したのです。今回はシュレディンガーの猫を使用するのです」 

 ハルが言葉を出力すると、装甲車が停止する。

「ハル。そんなの駄目だ」

 啓介は声を上げる。

「ハル。PSの地上到達予定時刻と降下予定数は?」

 絵美が言う。

「シュレディンガー機関の計算によると、地上到達予定時刻は五分後、誤差はプラスマイナス二分。予測降下数は五体との事なのです」

 ハルが言葉を出力する。

「ハル。啓介にゴーグルを。これはこのまま行く」

 絵美が言い、椅子から立ち上がると、装甲車の後部扉の方に向かう。

「絵美。駄目なのです。待つのです」

 ハルが言葉を出力しつつ、絵美の元に向かって行く。啓介は二人の後を追いながら、自分もこのまま行こう。行って絵美よりも先にPSを見付けよう。と思った。絵美が後部扉を開けると、鳴り響くPS警報が聞こえ、外の景色が啓介の視界に入って来た。装甲車は学校の校庭のような場所に止まっているようだった。正面の奥には、校舎のような作りの大きな建物がある。

「ここは」

 啓介は、ここは俺の通ってる学校じゃないか。と思うと、言葉を漏らしながら足を止めてしまった。

「絵美。駄目だと言っているのです。待つのです。ああ、もう、なのです。絵美が行ってしまうのです。でも、啓介の事を放っては置けないのです。しょうがないのです。絵美。くれぐれも気を付けるのです。啓介。外を見ては駄目なのです」

 ハルが言葉を出力しながら啓介の方に戻って来ると、啓介の視界を遮るように啓介の前に立つ。

「ハル。啓介を頼む」

 絵美の声が装甲車の外から聞こえて来る。

「絵美。本当に気を付けるのです。啓介。ゴーグル型カメラとインカムを装着するまでは、絶対に外には出さないのです」

 ハルが言葉を出力すると、啓介の体を両手で持ち上げ、回れ右をさせる。

「ハル? 急に何するんだ?」

「そのままにしているのです。こっちを向いては駄目なのです。今、椅子の下からゴーグル型カメラを出すのです」

 啓介の言葉に応じるようにハルが言葉を出力し、しばしの間があってから、啓介の右手にプラスチック製の何かが当たる感触があった。

「このゴーグル型カメラを装着するのです。それを通して見ていればPSを視認する事はないのです」

 ハルがぐいぐいとゴーグル型カメラを、啓介の手に押し付けつつ言葉を出力する。

「絵美だって着けてないんだ。俺だけ着けるなんてできない」

 啓介は言いながら、ハルの方に体の正面を向ける。

「外を見ては駄目なのです」

 ハルが言葉を出力し、啓介の目を片手で覆う。

「ハル。絵美は? こうしてる間にも絵美は一人で戦ってるんじゃないのか?」

「そういう事を言う前にゴーグル型カメラを装着するのです。啓介が言う事を聞くまではハルはここを動かないのです。絵美の傍には行かないのです」 

 啓介の言葉を聞いたハルが言葉を出力しつつ、啓介の胸にゴーグル型カメラを押し付ける。

「分かった。着ける」 

 啓介は言い、ゴーグル型カメラを受け取ると、装着する。

「それで良いのです。PSの殲滅が終わるまでは何があっても絶対に外しては駄目なのです。後はこれなのです。これでもしもハルと離れてしまっても通信ができるのです」

 ハルが言葉を出力してから、啓介の右耳にインカムを入れると、踵を返して外に向かって走り出す。

「ハル。このカメラがもっとあれば良いんじゃないか? 都市の皆がこれを着ければ、PSは視認されなくなる」

 啓介は右耳に入れられたインカムの位置を調節しながら、ハルの後を追うように走り出しつつ言う。

「そんな事は無理なのです。三百六十五日、ずっとそれを装着したまま生きる事は、人類達にはできないのです」

 ハルが振り向かずに言葉を出力する。啓介は、確かに、それは難しいかも知れない。けど、それなら、PSが降下して来ると分かった時だけでも装着すれば良いじゃないか。と思い、それを口にする。

「そんな事を提案しても却下されるのです。材料が足りないと言われるだけなのです。地下都市の建設が、今最も優先されるべき事項という事になっているのです。その為にあらゆる物資や資源が使われているのです」

「地下都市ができたって、そこに住む人達がいないきゃ意味がない」

 ハルの言葉に啓介は言葉を返す。

「啓介。統制機構の者達も、軍部の者達も、ドーム都市に住む人々すべてを助けようなんて思ってはいないのです。実際に、こんな事が起きているのです。あるドーム都市が壊滅したのです。そこにいた人々は本当は地下都市に移送されるはずだったのです。けれど、統制機構の判断で別のドーム都市に移送されたのです。理由は地下都市の準備不足の為の一次措置という事になっているのです。ハルは真相を知っているのです。それは嘘なのです。地下都市に住んでいる人々はすべて選ばれた人々なのです。生き残るべき人類の選定が行われているのです。それから外れた人々は地下都市には行けないのです」

 ハルの言葉を聞いた啓介は、思わず足を止める。美羽と美羽の友達の美奈という子の話をした時に思った事を、啓介は思い出した。

「なんなんだよ。シュレディンガーの猫とか、おかしい事ばかりじゃないか。何をやってんだよ」

 啓介は大きな声を上げる。

「ハル。駄目だ。ここからではPSを視認できない。正面にある校舎の中に入る」

 絵美の声が聞こえて来る。

「了解なのです。PSはこの装甲車を中心して、周囲五十メートル以内に降下して来るはずなのです」 

 ハルが絵美に言葉を出力して返す。

「ハル。校舎の入り口の所でPS結合体一体と遭遇。ウデの展開を確認。戦闘に入る」

 絵美が言う。

「絵美。気を付けるのです」

 ハルが言葉を出力する。

「PS結合体? 誰がなったんだ? 皆、大丈夫なのか」

 啓介は言いながら走り出すと、ハルの横をすり抜け、装甲車から外に出る。

「ハル。遭遇した一体の処理は完了した。これから校舎の中に入る」

 啓介は絵美の声がした方に顔を向ける。走り出す絵美の後ろ姿と、校舎の昇降口の前に倒れている人物の姿が啓介の視界に入る。

「先生? 柿沢先生?」

 啓介は足を止めて言葉を漏らしてから、のろのろとした動きで歩き出し、倒れている人物に近付いた。仰向けに倒れている人物は、額に穿たれている傷から血を流している。

「なんで、こんな事。先生。先生」

 啓介は倒れている柿沢の傍に膝を突くと、ゴーグル型カメラを外して言う。

「啓介。カメラを外しては駄目なのです」

 ハルが言葉を出力する。

「ハル。もう一体を確認。こっちももう結合体になっている。校庭に誘い出す」

 絵美の声が校舎の中から聞こえて来る。

「絵美。大変なのです。啓介が、啓介の体からウデが生えて来たのです」

 ハルが叫ぶような声で言葉を出力する。

「処理が完了したらすぐに戻る」

 絵美の声が返って来る。

「なんでだよ。なんなんだよ。なんで、皆死ぬんだよ」

 啓介は絶叫する。

「啓介。落ち着くのです。ウデが生えているのです」

 ハルが言葉を出す。

「落ち着いてなんていられるか」

 啓介は叫んで、ハルの方を見る。啓介の背中から生えている十数本のウデが、先端部分をコンバットナイフの刀身のような形に変えながらハルに向かって行く。

「何やってんだよ。止まれ。止まってくれ」

 啓介が叫ぶがウデは動きを止めない。

「啓介。しっかりしなさい。自分を見失ってはいけない」

 校舎の中から走り出て来た絵美が一喝する。啓介は絵美の声を聞き、体をびくりと震わせながら、頼むから止まってくれ。と思った。啓介の体から生えているウデ達の形作っている、コンバットナイフの刀身のような形の物の切っ先が、ハルの体に触れるか触れないかくらいの位置で止まった。だが、一つのウデの先端部分のコンバットナイフの刀身のような形の物だけは、ハルの右肩に接触していて、肩の関節部分からハルの右腕を切断していた。

「啓介。ハルは大丈夫なのです」

 ハルが肩の切断された部分を、もう片方の手で押さえながら言葉を出力する。

「また、俺は、また」

 啓介は地面の上に落ちているハルの右腕に目を向け、声を漏らす。

「啓介。落ち着いて。啓介は、もう、ウデの動きを止めている。感情に流されなければ大丈夫」

 絵美が言い、啓介の傍に来る。

「絵美。でも、俺は、また」

 啓介は言い、血が出るほどに唇を噛み締める。

「啓介。今は起きてしまった事を後悔している場合ではない。とにかく冷静でいる事。感情に流されない事。落ち着いている事。その状態でいればウデは暴走しない。その状態でいればウデを制御できる。その状態でウデに命令すれば良い。そうすればウデは言う事を聞いてくれる」

 絵美が言って両手を啓介の肩に置く。

「本当に? 本当に、それで制御できるようになるのか?」

「できるようになる」

 啓介の言葉を聞いた絵美が言う。

「分かった」

 啓介はそう言ってから、すべてのウデに向かって、消えろ。と言った。啓介の体から生えていたすべてのウデが空間の中に溶けるようにして消えて行く。

「啓介。それで良い」

 絵美が言い、啓介の肩に置いていた両手を、自分の方に戻す。

「こんなに、簡単なんだ」

 啓介は自分の体を見ながら言った。

「心さえ乱さなければ簡単にできる。だが、最初はそれが分からない」

 絵美が言う。

「また一体PS結合体が現れたのです」

 ハルが校舎の二階にある窓の一つを、残っている左腕を動かし、指差しながら言葉を出力した。

「今度は二階。場所が悪い」

 絵美が言って走り出す。

「教室にいる皆が殺される」

 啓介は言葉を漏らす。

「啓介。落ち着くのです。ウデがまた生えて来ているのです」

 ハルが言葉を出力すると、残っている左腕で啓介の体を抱き締める。

「ハル?」

 啓介はハルが突然抱き締めて来た事に驚き、ハルのフェイスカバーを見つめて言う。

「ハルは、絵美のように啓介に対して、ウデの扱いに関してのアドバイスをしてあげる事ができないのです。だから、せめて、こうして啓介の心を落ち着けようと考えたのです」

 ハルが啓介の顔を見つめ返すような仕草をしながら、言葉を出力した。

「ハル。PS結合体と遭遇。二階の者とは違う者がもう一体いた。今から戦闘に入る」

 絵美の声が校舎の中から聞こえて来る。

「絵美。気を付けて戦うのです」

 ハルが校舎の方を向き、そう言葉を出力してから、啓介の方を向く。

「啓介。ハルは二階にいるPS結合体をすぐに処理する方法を思い付いたのです。啓介のウデを使うのです」

「俺のウデ?」

 ハルの言葉を聞いた啓介が言うと、ハルが頷く。

「啓介のウデは銃器になるのです。ここからあの二階にいるPS結合体の頭部を撃ち抜けば、すぐにあのPS結合体を止める事ができるのです」

 ハルが言葉を出力し、啓介から体を離す。

「そんな事、できたとしても、それは、あのPS結合体になった人を殺すって事じゃないのか?」

 啓介は言った。

「そうなのです」 

 ハルが言葉を出力した途端に、校舎の方から窓ガラスの割れる音と、複数の生徒達の上げる悲鳴が聞こえて来た。

「啓介。やらなければ大勢の犠牲者が出るのです」

 ハルが、じっと啓介の顔を見つめるような仕草をしながら言葉を出力する。

「いつも、絵美は、いつも、戦う時、こんな思いをしてるのか?」

 啓介は見つめ返すようにして、見ていたハルのフェイスカバーから、ハルの右肩の切断部分に視線を移しながら言葉を出す。

「啓介? どうしたのです?」

 ハルが言葉を出す。

「ハル。ハルの言った事、やってみる」

 啓介はそう言ってから、ウデよ一つ生えろ。生えたらスナイパーライフルになれ。と言った。

「啓介。凄いのです。制御できているのです。ウデが生えて、先端部分が銃に変わったのです」 

 ハルが驚きながら言葉を出力した。

「狙撃は、FPSゲームの中で一番得意だったんだ」

 啓介は自身を鼓舞するように呟くと、ウデを動かし狙いを定めようとする。不思議な感覚が啓介を襲う。ウデで形作られた銃に備え付けられているスコープをまだ覗いてはいないのに、啓介の頭の中にスコープを通して校舎の二階を見ている、鮮明な映像のような物が浮かび上がり始める。頭の中の映像のような物の中で、PS結合体の頭部に狙いを定めると、PS結合体になっている者の顔がはっきりと見えた。啓介はその顔に見覚えがある事に気が付く。確か、あいつは隣のクラスの、山田。そうだ。山田利通。そう思った瞬間、銃が激しく揺れ、狙いが大きくずれる。

「啓介。今ウデが大きく揺れたのです。どうしたのです?」

 ハルが言葉を出力する。

「あのPS結合体、隣のクラスの知ってる奴なんだ」

 啓介は言うと、ハルのフェイスカバーを見る。

「啓介。ハルは今から残酷な事を言うのです。あれはもうPS結合体なのです。啓介の知っている人間ではないのです。PS結合体になった時点で、人間は人間ではなくなり、人間や物を傷付け、暴れるだけの存在となるのです」

 ハルが啓介の顔を、じっと見るような仕草をしてから言葉を出力した。

「もう、駄目なのか? 俺や絵美みたいにはならないのか? 本当にもう殺すしか方法ないのか?」

 啓介はハルのフェイスカバーをじっと見つめて言った。

「その事に関する議論は何度となく行われているのです。実験も何度も何度も行っているのです。ああなったPS結合体を絵美や啓介のようにする事ができれば、今のこの世界がひっくり返るような変化が訪れるかも知れないのです。けれど、残念ながら駄目なのです。現状では、どうやっても、あの状態のPS結合体を変える事はできないのです」

 ハルが言葉を出力しながら頭を動かすと、フェイスカバーの角度を変え、顔を俯けるような仕草をする。

「そう、だよな。もしも、ああやって暴れてるPS結合体を、俺や絵美みたいなPS結合体に変える事ができるなら、今のこの世界は、こんなふうにはなってないはずだ」

 啓介は言うと、再びウデを動かし、狙いを校舎の二階にいるPS結合体の頭部に定める。また、複数の生徒が悲鳴を上げた。血飛沫が上がり、窓の一部を朱色に染める。

「啓介」

 ハルが言葉を出力する。

「分かってる。分かってるんだ」

 啓介はPS結合体の頭部に狙いを定めたまま言う。

「途中で遭遇したPS結合体の処理は完了した。二階に上がり、もう一体もすぐに処理する」 

 絵美の声が校舎の中から聞こえて来る。俺が撃たなければ、絵美がこのPS結合体を殺す事になる。絵美は、母さんを殺した事で、何度も済まないと言ってた。絵美だってPS結合体を殺す事で苦しんでるんだ。けど。このまま何もしないで絵美だけにやらせてれば、俺は人を殺さなくて済む。絵美の声を聞いた啓介はそう思うと、目を閉じる。俺がこうやって考えてる間も、あのPS結合体は暴れてる。早く殺さなければ父さんや美羽みたいな人を増やしてしまう。俺も絵美と同じように戦う事ができてしまうんだ。やらなきゃ駄目なんだ。絵美だけに、俺と同じ、こんなふざけた、残酷な運命を背負ってる絵美だけに、PS結合体との戦いを押し付ける事なんて、できない。犠牲者だって、増やしたくなんてない。啓介は、心を引き裂かれるような思いを抱きつつ、撃て。とウデに命令した。

「啓介。命中したのです。PS結合体が倒れたのです」

 ハルの言葉を聞きながら、啓介は閉じていた目をゆっくりと開けた。

「俺は、人殺しだ」

「啓介。あれはもう人ではないのです。啓介は正しい事をしたのです。何も気に病む事はないのです」

 啓介の言葉を聞いたハルが言葉を出力する。

「ハル。今の発砲音は? 誰がこのPS結合体を処理した?」

 校舎の二階のPS結合体の所に到着した絵美が、窓から顔を出して言った。

「啓介がウデを銃に変えて撃ったのです」

 ハルが言葉を出力し絵美の言葉に応える。

「啓介。ありがとう。ハル。これは、このまま校舎の中から内外を捜索する。啓介の事は頼む」

 絵美が言って、走り出す。

「降下して来るPSは残り一体のはずなのです。絵美。くれぐれも気を付けるのです。啓介の事は任せるのです」

 ハルが絵美に向かって言葉を出力して返す。

「残りは一体」

 啓介は言葉を漏らすと、周囲を見回すように体と顔を動かす。

「あれ? あそこ。俺か? 俺が見ちまったのか?」

 校舎の方から声が上がった。啓介は声のした方向に顔を向ける。一階にいくつかある窓の一つの所に、見覚えのある生徒が一人、啓介達のいる校庭の方に顔を向けて立っていた。

「田中?」

 啓介は思わず声を漏らす。田中と啓介の目が合った。

「啓介、なのか? なんで」

 田中がそこまで言って不自然な感じで言葉を切る。

「啓介。後ろなのです。PSが出現しているのです。絵美。こっちにPSがいるのです」

 ハルが大きな声で言葉を出力する。

「ハル。俺がやる」

 啓介は言うと、もう一度周囲を見回す。

「いた。さっき見てた時は何もいなかったのに」

 啓介はそう言い、再びスナイパーライフル動かすと、PSに狙いを定め始める。

「啓介。お前、それ、どういう事だよ?」

 田中が声を上げた。啓介は反射的に田中の方に顔を向ける。

「これは」

 啓介は、言葉を返そうしたが、何をどう言えば良いのか分からず、それだけを言って口を噤んだ。

「ハル。PSを視認した。今から向かう」

 絵美の声が校舎の中から聞こえ、二階の窓から絵美が跳躍する。

「啓介は、人類を守る為に戦ったのです。啓介は啓介なのです。変わってはいないのです。他のPS結合体とは違うのです」

 ハルが田中から啓介を庇うように啓介の前に立つと、言葉を出力した。

「啓介。他のPS結合体とは違うってなんだよ?」

 田中が言う。

「田中、俺は」

 もう一度、言葉を返そうとしたが、駄目だ。やっぱり、何をどう言えば良いのか分からない。俺はもう人じゃないんだ。何を言っても、田中は、きっと、俺と前みたいに話をしたりはしてくれない。啓介は、そう思うと言葉を途中で切り、目を伏せた。

「ハル。啓介。PSの処理を完了した」

 絵美の声が啓介とハルの背後から聞こえて来る。

「そこの生徒。PS警報が鳴っているのよ。教室から出てはいけないと言ってあったでしょう。なんでこんな所にいるの?」

 女性教員の大きな声がする。

「保健室で寝てて、起きたら誰もいなくって。それで慌てて、教室に戻ろうとして」

 田中が声を上げると、啓介の方を見つめたまま体の向きを変え、窓の傍から離れて行く。

「ハル。何があった?」

 絵美が啓介達の傍に来て言う。

「啓介が知り合いに会ってしまったのです」

 ハルが絵美の方を向いて言葉を出力する。絵美が啓介の方に顔を向ける。啓介は田中の姿が見えなくなっても、田中のいた場所から視線を離す事ができず、じっと、その場所を見つめていた。

「啓介。ハル。装甲車に戻ろう。ここにいる必要はもうない」

 絵美が言う。

「通信が入ったのです」

 ハルが言葉を出力する。

「PSの降下がまたある?」 

 絵美がハルの方に顔を向けて言うと、ハルが、先にこちらからの報告を求められているのです。通信が終了したら内容を伝えるのです。と言葉を出力して返す。

「絵美。次は、最初から俺も一緒に戦う」

 啓介は絵美の方に顔を向けてから言った。

「啓介。ありがとう。だが、大丈夫。啓介はまだ戦いには慣れてはいない。無理はしなくて良い」

 絵美が言うと、まだ生えたままになっている、啓介のウデの方に目を向けた。

「啓介。もうウデはしまって大丈夫」

 絵美が啓介のウデにそっと手で触れて言う。

「まだ、しまってなかったんだ。忘れてた」

 啓介は言ってウデをしまう。ふっと、意識が遠くなるような感覚を覚え、啓介は足をふらつかせる。

「ウデを使うと、最初の頃は特に疲れが酷く出る。ハル。啓介を早く装甲車の中へ連れて行って休ませよう」

 絵美が言いながら啓介の体に片腕を回すと、啓介の体を支える。

「絵美。大丈夫だ。一人で歩ける」

 啓介はそう言うと、絵美から離れようとする。

「啓介。無理をしてはいけない」

 絵美が言う。

「そうなのです。無理は禁物なのです」

 ハルが言葉を出力しながら、先に装甲車の方に行き、後部扉を開ける。

「啓介。ここで横になると良い」

 絵美とハルの手を借りて装甲車の中に入り、二人に支えられたまま壁沿いにある椅子の傍まで行った啓介の顔を見つめて、絵美が言う。

「俺なんかよりたくさん戦った、絵美のが疲れてるはずなのに」

 啓介は椅子に座りながら顔を俯けて言った。

「これは平気。啓介。言う事を聞いて横になって欲しい」

 絵美が言う。

「啓介。絵美の言う通りなのです。椅子の上に横になるのです」

 ハルが後部扉を閉め、言葉を出力する。

「絵美は、強いな」

 啓介は言い、椅子の上に横になった。

「啓介」

 啓介から離れ、啓介が横になっている椅子の向かいにある椅子に座った絵美が、言ってからゆっくりと目を伏せる。

「通信が終了したのです。また、PSが降下して来るのです。二人に現場に急行せよとの命令が来ているのです」

 ハルが絵美と啓介の顔を交互に見るようにしながら言葉を出力する。

「ハル。現場に向かって」

 絵美が言う。

「そうなのです。現場に行く前に言っておく事があったのです。絵美。啓介。ハルは驚くべき発見をしたのです。二人はPSを視認できないようなのです。絵美が処理した最後のPSなのですけれど、あれがいた位置を啓介は見ていたはずなのです。けれど、啓介が見た時はPSは現れなかったのです。啓介の知り合いが見た時にPSが現れたのです」 

 ハルが言葉を出力すると、装甲車が走り出した。

「そんな。じゃあ、次の場所に行ったらどうするんだ?」

 啓介は体を起こしながら言う。

「啓介。起きてはいけない」 

 絵美が言い、椅子から立ち上がって啓介の傍に来ると、啓介を寝かせようとして、啓介の肩に手で触れる。

「シュレディンガーの猫を使うしかないのです」 

 ハルが言葉を出力し、絵美と同じように啓介を寝かせようとする。

「でも、もしも、中の人に何かあったら」

 啓介は二人の自分を寝かせようとする気持ちに抗えず、椅子の上に横になりながら言う。

「大丈夫。これがちゃんと守る」

「絵美の事は信用してる。でも、それでも、心配なんだ」

 絵美の言葉を聞いた啓介は、絵美の顔をじっと見つめながら言った。

「啓介。ハルもいるのです。大丈夫なのです」

 ハルが言葉を出力する。

「でも」

 啓介はハルのフェイスカバーを見ながら言い、言い終えると、シュレディンガーの猫の方に目を向ける。 

「現場に着くまでにはまだ時間があるのです。啓介。寝ておくのです」

 ハルが言葉を出力し、啓介の頭をそっと撫でる。

「啓介。ハルの言う通り。今はできるだけ体を休めた方が良い」

 絵美が言い、座っていた椅子の所に戻る。

「ハル。絵美。分かった。休むようにする。けど、その前に、一つだけ頼む。シュレディンガーの猫の中を見てみたい。それで、どんなふうになってるか知りたい。どんな人が中にいるのかを見て、その人の、なんていうか、その人の命の、責任っていうのか、そういう物を持つようにしたい」

 啓介はシュレディンガーの猫を見つめたまま言った。

「啓介。それは、なんというか、やめた方が良いのです」

「ハル。見せよう。中の者の状態の事もいずれ知る事になる。隠していてもしょうがない」

 ハルの言葉を聞いた絵美が言う。

「絵美。しょうがないのです。分かったのです。啓介。シュレディンガーの猫の内部にある監視カメラとリンクして、映像を装甲車の後部扉の裏に映すのです。それを見ながら中にいる人の状態についても説明をするのです」

 ハルの言葉を聞いた啓介は、中の人の状態? 何かあるのか? と思いながら、後部扉の裏側に目を向ける。

「リンクしたのです。ハルの腕にはプロジェクター機能も付いているのです」

 ハルが言葉を出力し、左腕を動かすと、映像が後部扉の裏側に映し出された。

「これは」

 啓介は言葉を漏らす。

「どういう事? ハル。車を止めて」

 絵美が声を上げる。

「これは、なんなのです?」

 ハルが言葉を出すと装甲車が急停止した。

「絵美。ハル。知ってたのか? 中の人の状態って、美羽が中にいて、その美羽が、こんな、手と足のない状態でいるって事だったのか?」

 啓介は言いながら、絵美の顔を見て、それからハルのフェイスカバーを見る。

「啓介。それは違う。啓介は誤解をしている。ハルとこれが言っていた中の者の状態とは、中の者が誰かという事には関係がない。これも、ハルも、今初めて、このシュレディンガーの猫の中を見ている。誰が入っているのかは今知った」

 絵美が言う。

「啓介。ウデが生えて来ているのです。落ち着くのです」

 ハルが言葉を出力する。

「こんなのを見て」

 啓介は絵美とハルの方に顔を向けながら言葉を出したが、そこまで言って言葉を切った。

「絵美。ハル。ごめん。大丈夫だ。なんとか落ち着くようにする」

 啓介は言いつつ、視界の端に入っていたハルの右肩に目を向ける。もう二度と、感情に流されて人を傷付けるなんて事はしたくない。あのハルの腕のない姿を見ろ。ああしたのは俺なんだ。あの時みたいに、ハルの腕を切るなんて絶対に嫌だ。でも。もしも、二人が、嘘をついてたら? 本当は美羽の事を知っていたのに黙っていたとしたら? 啓介はそう思い、その思いに苦しみながら、必死に怒りの為に爆発しそうになる感情を抑え込んだ。

「啓介。凄いのです」

「啓介」

 啓介のウデが消えると、ハルが言葉を出力し、それとほとんど同時に絵美も言う。

「ハル。絵美。美羽を中から出してやりたい」

 啓介は絵美の顔とハルのフェイスカバーを交互に見ながら言う。

「啓介。この中から中にいる者を出す事はハル達には許されてはいないのです」

 ハルが顔を俯けるように頭の角度を変えながら言葉を出力する。啓介はハルのフェイスカバーに目を向け、その目を細める。

「ハル。妹さんを出してあげよう。このままにはできない」

 絵美が言う。啓介は絵美の顔をじっと見つめる。

「絵美。そんな事をすれば、人類に対する反逆とみなされるのです。これからハルが言葉にする事はハルの推測になるのです。けれど、間違ってはいないと考えるのです。そう思って聞いて欲しいのです。美羽をこの中に入れたのは、啓介に言う事を聞かせる為なのです。啓介が言う事を聞かなかった時、啓介に反逆の意思があると思われる時、そういう時に、啓介の目の前で美羽に何かをする為なのです」

 ハルが顔を俯けるような仕草のまま言葉を出力する。

「だが、このままにはしておけない」

 絵美が言いながら、シュレディンガーの猫に近付いて行き、シュレディンガーの猫の外壁に手で触れる。

「美羽の状態はすべてモニターされ、PS対策本部にその情報がリアルタイムで送られているのです。美羽に何かすればすぐに」

 ハルがそこで言葉を切るように、言葉を出力するのをやめる。

「ハル?」

 絵美が言う。

「ハルがハッキングすれば、嘘の美羽の状態をPS対策本部に送る事は可能なのです。けれど、それも一時しのぎなのです。その後はどうするのです? 美羽を中から出した後の事は何か考えているのです? いずれ知られるのです」

 ハルが絵美の方にフェイスカバーを向けて言葉を出力する。

「二人とも、ありがとう。俺が一人でやる。美羽を出して、美羽を連れてどこかへ逃げる。二人は何もしないでくれ」 

 啓介は、これ以上二人を美羽の事に巻き込まなければ、俺と美羽が二人でどこかへ行けば、二人に迷惑を掛ける事もないし、二人が美羽の事で嘘をついていたとしても、そんな事はどうでも良くなる。と思いつつ、シュレディンガーの猫を見て言った。

「啓介。それは無茶なのです。美羽と二人だけで逃げるなんてできないのです」

 ハルが啓介の方を見て言葉を出力する。啓介はハルのフェイスカバーを見て、それから絵美の顔を見る。啓介は顔を一度俯けて、少し間を空けてから顔を上げ、シュレディンガーの猫を再び見る。

「短い間だったけど、二人は俺にたくさんの物をくれた。二人を傷付けた俺なのに、本当にありがとう。俺は、美羽と行く。その結果、俺達に何があっても、それは、俺の自業自得だから、諦められる。このまま、こんなふうになってる美羽を見てられない」

 啓介はシュレディンガーの猫を見つめたまま言った。

「啓介。そんなふうに考えてはいけない」

 絵美が言う。

「啓介。待つのです。早まった事を考えてはいけないのです」

 ハルが言葉を出し力てから絵美の方を見るような仕草をする。

「絵美。絵美は本当に良いのです? 美羽をここから出す事に協力すれば、人類の敵となるのです。恐らくどのように反論しても、人類達は許しはしないのです。絵美はお父さんに、人の為にその力を振るって欲しいと言われているのです。絵美も、今までその言葉の通りにどんな事があっても、人の為に、人類の為に戦って来たのです。それを、やめても良いのです?」

 ハルが言葉を出力する。

「構わない。父さんはそう言ったが、こうも言ってくれていた。お前はお前だけの剣となり、お前の望むように生きろ。と。今のこれが望む事は妹さんをこの中から出す事。自分の事なら我慢もできる。だが、これは、残酷過ぎる。PS対策本部のやった事は間違っている。これを見過ごす事はできない」

 絵美がシュレディンガーの猫の外壁に触れている手で、拳を握りながら言った。

「啓介は、どうなのです? うまく逃げられたとしても、ずっと逃げ回る事になるかも知れないのです。途中で捕まって美羽が殺されたり、また今のようになってしまうかも知れないのです。啓介自身にも、想像もできないような過酷な日々が待っているかも知れないのです。啓介には話していなかったのです。絵美は、かつて、拷問のような事を、いえ、もっと酷い、拷問以上の事をされていた事があるのです。PS結合体が再生する原理を解明したい。PS結合体の頭部以外の弱点を見付けたい。PS結合体のウデの仕組み、PSとは何者なのかを解明したい。理由はたくさんあるのです。それらの為に絵美は体を切り刻まれ、再生する度にまた死ぬよりも辛い苦痛を与えられるという目にあっていたのです。啓介は覚悟ができているのです? 人類を敵に回すという事がどういう事なのかをしっかりと考えているのです?」

 ハルの言葉を聞き終えた啓介は、目を伏せる。覚悟などはできていない。けど、美羽をこのままにしておく事はできない。けど、何か考えがあるわけでもない。けど、だけど、このままなんていうのは絶対に駄目だ。と啓介は思った。

「覚悟なんてできてない。先の事も、何も考えてない。でも、美羽をこのままにはできない。それだけは絶対に譲れない」

「啓介。大丈夫。これが助ける」

 啓介の言葉を聞いた絵美が啓介の方を見て言う。今の絵美の言葉で、二人とやり取りをしている中で、どんどん小さくなっていっていて、ほとんど消えかけてはいたが、小さな棘のようになって心の中に刺さっていた、美羽の事で二人が嘘をついていたのではないかという疑念が、跡形もなく消えたのを啓介は感じた。

「啓介。ハルを愛していると言うのです。ハルと結婚したい。交尾したいと言うのです」

 ハルが言葉を出力する。

「ハル?」

 絵美が言う。

「故障?」

 啓介は反射的に言葉を漏らす。

「故障? 故障と言っては駄目だと前に言ったはずなのです」

「ごめん。でも、ハルがいきなり変な事言うから」

 ハルの言葉を聞いた啓介はすぐに言葉を返す。

「まあ、確かにいきなりなのです。けれど、しょうがないのです。今は状況が状況で、時間がもったいないのです。で、なのです。どうなのです? ハルを愛しているのです? 結婚したいのです? 交尾したいのです?」

 ハルが言葉を出力する。啓介はハルのフェイスカバーをまじまじと見る。当たり前だが、フェイスカバーからは、ハルの表情も考えている事も読み取る事はできない。

「ハル。どういう事?」

 絵美が言う。

「ハル。どうしたんだ?」

 啓介も言う。

「どういう事? どうしたんだ? なのです? そんなふうに言われると、ハルも答えに困るのです。なんというか、こう、急に、言いたくなった、と言えば良いのです? なんなのです? ハルは何か、故障、いえ、何か、不具合」

 ハルがそこで言葉を切るように言葉を出力するのをやめた。

「ハル? 大丈夫?」

 絵美が言いながらハルの傍に行く。

「まさか、俺の所為? 俺が、人類に反逆するみたいな事をしようとしてるから、それに協力しようとしてるハルが、何か、元々組み込まれてた反逆抑止プログラムみたいなので、中身を壊されるとか?」

 啓介も言いながら、ハルの傍に行った。

「大丈夫、なのです。ハルは、平気なのです。啓介」

 ハルが言葉を出力しつつ啓介に抱き付く。

「ハル?」

「ハル?」

 啓介と絵美が同時に言葉を漏らす。

「少し、少しの間、ハルが良いと思うまでこうしておいて欲しいのです。ハルの気が済んだら、ハルは、啓介の、啓介と美羽の為に、なんでもするのです」

 ハルが言い、啓介を抱く手にぎゅっと力を込める。

「ハル。本当にどうしたんだ? なんかあるのか? 大丈夫なのか?」

 啓介は、何かは分からないけど、今のハルはさっきまでのハルとは何かが違っているような感じがする。と思い、戸惑いながら言った。

「心配はいらないのです。問題ないのです」

 ハルが言い、啓介を抱く手に更にぎゅっと力を込める。

「ハル。ハルのそんな姿は見た事がない。本当に大丈夫?」

 絵美がハルの肩にそっと手を乗せて言う。

「大丈夫なのです。この行動に特に意味はないのです。だから、心配はいらないです」

 ハルが言い、頭を動かし俯くような仕草をする。

「分かった。ハルの大丈夫という言葉を信じる。ハル。啓介から離れられるようになったら、あれを出してくれ。あれを使ってシュレディンガーの猫を切断する」

 絵美が言って、ハルの肩に乗せていた手を引いた。

「絵美。良いのです? あれは、反逆の象徴のような物なのです」

「構わない。これから使う機会も増えるはず。随分使っていないから、早く手と体に馴染ませておきたい」

 ハルの言葉に絵美が言葉を返す。

「絵美。ハル。なんの話をしてるんだ?」

 啓介は絵美の顔とハルのフェイスカバーを交互に見ながら言う。

「美羽をこの中から出す為の相談なのです」

 ハルが言う。

「ハル。絵美。さっきも言ったけど、俺が一人でやる」

 啓介は、もう一度、絵美の顔とハルのフェイスカバーを交互に見ながら言った。

「啓介。一人では行かせない」

「啓介。啓介は絵美とハルの言う事を聞かなければならないのです。啓介は、絵美とハルに大きな借りがあるのです。啓介は絵美とハルに大怪我を負わせているのです。その借りを今返してもらうのです」

 絵美が言うと、ハルがその言葉に続くようにして言った。

「駄目だ。頼むから、二人ともやめてくれ。人類に追われるのは俺と美羽だけで良い」

 啓介はシュレディンガーの猫の方に顔を向けながら言う。

「分かった。では、こうしよう。これからやる事は啓介にはなんの関係もない。これが、これとハルが勝手にやる事」

 絵美が言う。

「絵美。それは良い考えなのです」 

 ハルが言う。啓介は二人の言葉を聞いて顔を俯ける。二人の気持ちは本当に嬉しい。こんな俺にもこんなに素晴らしい仲間がいる。できる事ならずっと一緒にいたい。けれど、だからこそ、二人を巻き込んではいけない。と啓介は思った。

「啓介。ありがとうなのです。ハルはもう満足したのです」

 ハルが言って啓介から離れる。

「絵美。取るのです」

 ハルが絵美の方を向くと、そう言って、跪くような格好をする。絵美がハルの首の辺りに向かって手を伸ばす。小さなモーターの作動するような音が鳴ると、ハルのボディの頚窩の辺りに細い縦線が入り、それが左右に向かって広がって行って、その中から日本刀の柄が迫り出して来た。

「ハル。啓介がこれを止めようとするかも知れない。啓介の事をしっかりと押さえていて欲しい」

 日本刀を抜いた絵美が、白刃を閃かせながら正眼の構えを取って言う。

「まさか、それで斬る気なのか?」

「あの刀は絵美の父親が作らせたキボウでできている刀なのです」

 啓介の言葉を聞いたハルが立ち上がりながら言う。

「シュレディンガーの猫は何重にも施錠されている。その鍵を持つのはPS対策本部の者達だけ。今すぐに開ける為の唯一の方法は、シュレディンガーの猫を切断するという方法。だが、キボウを切断できる道具はここにはない。これのウデを使ってもキボウを切断する事はできない。啓介のウデは、PS結合体用の拘束衣を貫いているから、切断できるのかも知れないが、今は中に妹さんがいる状態。ウデの制御の慣れの問題もあるから、試すような事はしない方が良い。この刀は、ウデと打ち合う事ができた刀だった。だから、これならキボウを斬れるかも知れないと思った。それで前に試してみた事がある。キボウを斬る事ができたが、それを知ったPS対策本部の連中はこの刀を没収していってしまった。だが、ハルが、こっそりと取り戻してくれていて、ずっと隠し持っていてくれていた」

 絵美が言う。

「啓介。絵美に任せるのです。あの刀と絵美の腕があれば大丈夫なのです。啓介はここでじっとしているのです」

 ハルが啓介の片腕にそっと手で触れながら言う。

「二人とも、ありがとう。でも、頼むから、やめてくれ。絵美もハルも、俺と美羽の事は放っておいてくれ。俺達の為に二人に何かあったら、俺は、きっと、もう、耐えられない」

 啓介は絵美とハル、二人の姿を交互に見ながら言う。

「啓介。心配無用なのです。絵美の世話係になってから、ハルは人類に気付かれないようにしながら、色々な準備をしているのです。逃げ込む為のセーフハウスも、そこに長期間潜伏する為の食料も、人類と戦う為の武器も、他にも、言ったら二人が凄く驚くような事も準備してあるのです。二人が人類と決別すると決めたからにはハルは、それらの物すべてを用いて全力で二人をサポートするのです」

 ハルが啓介の顔を見返すような仕草をしながら言った。

「ハル。ハルの事だから、本当にちゃんと準備をしてあるんだと思う。でも、それでも、俺は、二人には協力して欲しくない。二人はこんな俺にとても良くしてくれてる。そんな大切な仲間達を危険な事に巻き込みたくない」

 啓介は言うと、ハルに触れられていない方の手で、自分の手に触れているハルの手に触れる。

「啓介?」 

 ハルが言い、小首を傾げるような仕草をする。

「ハル。絵美。お願いだから、俺の言う事を聞いてくれ」

 啓介は言って、そっとハルの手を握ると、自分の手からハルの手を遠ざけるように動かした。

「啓介。大切な仲間達とは、嬉しい言葉。これは、ハル以外に仲間ができて凄く嬉しい」

 絵美が言い、シュレディンガーの猫に斬りかかる。

「絵美。駄目だ」

 啓介は言いながら絵美を止めようとしたが、絵美の動きのあまりの速さに、足を踏み出す事すらできなかった。

「絵美。後はハルがやるのです」

 シュレディンガーの猫の、車内に突き出ている部分が真っ二つに切断されると、ハルが言って、啓介から離れ、シュレディンガーの猫の中にいる美羽に近付く。

「美羽」

 美羽の姿を見た啓介は、じっと美羽の姿を見つめたまま声を漏らし、美羽に向かって歩き出す。ハルが美羽の体に接続されているセンサー類やチューブ類や、美羽の体をシュレディンガーの猫に固定している金属製のバンド類をそっと丁寧に一つずつ外して行く。

「啓介。美羽が落ちないように抱いていて欲しいのです」

 ハルが言ったので、啓介は美羽の体を両手で抱くようにして持つ。美羽の体を固定しているバンドの最後の一つを、ハルが外したのを見た啓介は、美羽をシュレディンガーの猫の中から出した。

「美羽。大丈夫か?」

 啓介は美羽の顔を見つめて言う。美羽の両目は開かれてはいたが、啓介の事を見てはいないような虚ろな目をしていた。

「薬で意識が朦朧としている。しばらくすれば薬が抜ける。そうすれば会話もできるようになる」

 絵美が傍に来て言う。

「薬ってどういう事なんだ? ごめん。責める気はないんだ。でも、そんな話、聞いてない」

 啓介は絵美の方に顔を向けて言った。

「啓介がシュレディンガーの猫の中を見たいと言った時、その事を話していなかったからハルは躊躇った。ハルやこれが、中の者の状態と言っていたのが、この状態の事。黙っていて済まなかった。シュレディンガーの猫の中にいる者には意識を混濁させる為の薬の投与と、金属製のバンドによる身体の拘束が必ず行われる。万が一にも、PS結合体になってしまった時にその初動を遅らせる為の措置」

「そういう事だったのか。なあ、美羽。そんな事も、望んでやったのか? 本当にこんな事を美羽は望んでたのか? 美羽。どうして、お前は、こんな事をしたんだ?」

 絵美の言葉を聞き終え、美羽の顔に目を戻した啓介は、そう言った。涙が溢れて来て、啓介の視界は歪んで行き、目から涙が流れ出す。啓介の涙が美羽の頬に落ちる。

「にーに?」

 美羽の口が微かに動き、小さなかすれた声がする。

「美羽? にーにはここだ。もう大丈夫だぞ。もう、ずっと離れない」

 啓介は声を上げる。

「PSを、たくさん、殺して。美羽が、見付ける、から」

 美羽が途切れ途切れに小さな声で言った。

「美羽」

 啓介は愕然としながら言葉を漏らす。美羽が、こんな事を言うなんて。これは現実なのか? ここにいる美羽は、本当に俺の知ってるあの美羽なのか? 啓介はそう思いながら美羽の顔をまじまじと見た。

「おかしいのです。美羽のデータを偽装する為のハッキングもちゃんとしているのです。それなのに、もう、近くまで防衛軍の車両が来ているのです」

 ハルが言う。

「啓介。何が起きてもこれが啓介と美羽の事は守る」

 絵美が言った。

「どうして防衛軍が来たのか分かったのです。酷い事をするのです。美羽の体内に、ハル達の事を探る為の、装置が仕掛けられているのです。美羽を出してから今まで、美羽の体調を見る為に美羽の体をスキャンしていたのですが、それで見付けたのです。啓介。絵美。車を出すのです。かなり揺れると思うのでしっかりと掴まっているのです」

「美羽の体内に、装置?」

「ハル。どうするつもり?」

 ハルの言葉を聞いた啓介と絵美はほぼ同時に言う。

「啓介。装置はあっても美羽の体に問題はないのです。それにすぐに除去するから大丈夫なのです。絵美。逃げるのです。セーフハウスに向かいながら、美羽の体内に仕掛けられている装置を除去するのです。そうすればもう追跡もできなくなるのです」

 ハルが言って、装甲車が急発進する。だが、すぐにタイヤを激しく鳴らしながら装甲車が停車する。

「車両だけではなかったのです。原動機付甲冑部隊も出て来ているのです。囲まれたのです。啓介。絵美。中にいるのです。ハルが外に行って時間を稼ぐのです。その間にこの装甲車で逃げるのです」

 ハルが言い、後部扉に向かう。

「ハル。待ってくれ。駄目だ。俺が行く。俺と美羽が外に出たら、二人は俺達を置いて行ってくれ」

 顔を上げ、ハルと絵美の方を見た啓介は、俺は何をやってるんだ。美羽の事ばかり考えてた。俺が巻き込んだんだから、絵美とハルの事も考えないと駄目なのに。何か方法は、ここから、逃げる方法。ハルと絵美と、俺と美羽と。いや。そうだった。俺と美羽が囮になれば良い。それで、ハルと絵美だけでも逃がすんだ。と思い、そう言って美羽を抱いたまま駆け出すと、ハルと絵美の横を通り抜け、装甲車の後部扉に近付き、扉を開けた。

「啓介。駄目なのです」

 ハルが声を上げる。

「これが出て戦う。脱出路を開く」

 絵美が言ったと思うと、素早く動き、啓介よりも早く装甲車の中から外に出た。絵美の言葉を聞いた啓介は、絵美。待つのです。言っては駄目なのです。と叫ぶハルの声を聞きながら、戦う、だって? 相手は人間だ。美羽に酷い事をした連中だから、俺だって、美羽の復讐はしたいって思うけど、本当に、そんな事をしたら、俺は、他のPS結合体と同じなる。父さんを殺した奴と同じなってしまう。でも、俺と美羽が囮になるだけじゃ駄目だったら? それだけじゃ、ハルと絵美を助けられないとしたら? 人間と、人類達と、戦わないと、殺したりしないと駄目なのか? と思い、その場から動けなくなり、絵美。と呟くように言葉だけを漏らした。

「啓介。良く聞くのです。美羽をここに置いて、絵美の援護に行って欲しいのです。絵美と一緒に戦って脱出路を開くのです。脱出路ができれば逃げられるのです」

 ハルが啓介の顔を見つめるような仕草をしながら言った。

「本当に戦うのか? 相手は人間だ」

 啓介は腕の中にいる美羽の顔を見ながら言った。

「啓介。無理は承知でお願いするのです。急ぐのです。絵美は一人で戦おうとしているのです」 

 ハルが言った。

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