六 永訣

 藤柳剣術道場と書かれた大きな看板の出ている建物の中に入ると、静謐な空気が絵美の体を包み込む。

「絵美。稽古着の替えは持って来ておるな。それは床の間に置きなさい。置き終わったら、わしの前に来なさい」

 三十畳の広さのある道場の中央部に、腰に刀を差して正座をしている、絵美の父親、藤柳朴衛が言う。

「はい」

 絵美は返事をすると、道場に上がる。使い込まれ、黒色に変色している床板の上を絵美は進み、道場の奥にある床の間の所まで行く。手に持っていた数着の稽古着を床の間の端に置くと、絵美はその場を離れ、朴衛の正面に向かう。

「絵美。わしと戦え」

 絵美が朴衛の正面に立つと、朴衛が言う。

「戦えません。父さんを殺す事なんてできません」

 絵美は両の目を閉じている、朴衛の顔をじっと見つめながら言う。

「わしに勝てると思っておるのか?」

 朴衛が言い、閉じていた目をゆっくりと開く。

「私は、もう人ではありません。PS結合体です。化物です。こんな体で戦ったりしたら、きっと、父さんを殺してしまいます」

 絵美は言いながら、無意識のうちに微かに目を伏せる。

「化物なんぞに遅れはとらん」

「父さん。父さんと殺し合いなんてできません。もう、こんな事はやめて下さい」

 朴衛の言葉を聞き、絵美は言う。

「くだらん事を言う。日本最後の剣豪と呼ばれたわしの剣術人生において、その最高の敵がお前なのだ」

 朴衛が言い終えたのと同時に、絵美の胴が真っ二つに切断された。

「頭は狙わん。お前がその気になるまでわしはお前の体を斬り続ける」

 突然の事に痛みすら感じていない絵美に向かって朴衛が言う。朴衛が立ち上がると、更に手に持つ刀を振るう。更なる斬撃が絵美の体を襲う。

「父さん。どうして、こんな。今までは、道場に呼んでも、こんな酷い事はしなかったのに」

 絵美は首から上だけとなった姿で、涙を流しながら声にならない言葉を出す。

「戦え。わしはお前のような者が現れるのをずっと待っておった」

 朴衛が絵美の血肉骨脂に濡れている、二尺五寸の同田貫の刀身を懐紙で拭いながら言う。

「父さん。やめて下さい」

 絵美の声は声にはならず、朴衛の耳には届かない。

「もう、再生が始まっておるのか。哀れよの。再生すれば斬られ、斬られれば、また再生する」

 朴衛が言うと、同田貫を鞘に納める。

「やめて下さい」

 絵美の声が声になる。

「戦え。それしかお前に道はない」

 朴衛が言い、床の間の傍に行くと、絵美の持って来た稽古着を一着取り、絵美の方に投げてよこす。

「私が憎いのですか? こんなふうになったから? 母さんと、美葉を、殺してしまったから? だから、こんな酷い事をするのですか?」

 絵美は言うと、再生した上半身を使って朴衛の方に顔を向ける。

「家族を奪われた者が、奪った者を憎まない道理があるのか? 奪った者がたとえ実の娘だったとしても、それは、同じ事」

 そう言った朴衛の目は閉じられていた。

「父さん。私だって、好きで殺したのではないのです。できる事なら私だって殺したりなんてしたくなかった」

 言い終えたとのほとんど同時に、絵美の下半身の再生が終わった。絵美は朴衛が投げてよこした稽古着を手に持ち、ゆっくりと立ち上がる。

「言葉なぞいらん。剣を出せ。そして戦え」

 言いながら、目を開いた朴衛が絵美に近付き、同田貫を抜き打つ。その速さ神速にして、人の目で見る事能わず。朴衛の抜き打つ姿を見つめている、絵美の頭の中にそんな言葉が過る。瞬く前に絵美はまた、頭部だけの存在となる。

「お前の母親が良く言っておった。お前の黒髪は美しいと。お前のその髪を斬ってやろう」

 朴衛が絵美の髪を握って、絵美の頭部を持ち上げて言う。同田貫が閃き、髪を斬られた絵美の頭部が床の上に落下する。

「髪もすぐさま再生するか」

 朴衛が言う。

「どうして、こんな事を」

 絵美は声にならない声を上げる。

「さあ、絵美。わしと戦え」 

 朴衛が言い、また、同田貫の刀身を懐紙で拭う。

「戦いたくありません」

 再生した喉が、絵美の声にならなかった声に音を与える。

「お前は今年で十三だったか。わしが十三の頃は、剣術に明け暮れておった。あの頃にお前のような者と出会っておれば、わしはもっと強くなれたのかも知れん」

 朴衛の声を聞きながら絵美は、再生し終えた体を動かし立ち上がる。

「父さん。お願いします。もうやめて下さい」

 絵美は言いながら深く頭を下げる。

「やめて欲しくば、わしと戦え」

 朴衛が言って、また、床の間に近付く。先ほどと同じように絵美の持って来た稽古着を一着手に取ると、絵美の方に投げる。絵美は体を曲げて床の上に落ちた稽古着を拾う。稽古着を拾い終え、体を伸ばした瞬間、強烈な突きが絵美の喉を貫いた。

「父さん」

 絵美はそう言ったつもりだったが、実際に絵美の口から出たのは声ではなく、空気の漏れるような音だけだった。

「どうすれば良いのかの。どうすればお前は戦う?」

 朴衛が言い、絵美の喉から同田貫を引き抜く。絵美は喉を両手で押さえながらその場に膝を突く。

「絵美。あの日。あれから、もう、ひと月か。あの日の事を話してくれ。思えば、お前の口から直接に、あの日の話を聞いた事はなかった。わしは、お前の口から、お前がどうやって、初子と美葉を殺したのかを聞きたい」

 言いながら朴衛が、同田貫の刀身を懐紙で拭う。

「分かり、ました」

 絵美は再生しつつある、喉を振るわせてそう言い、稽古着を身に付け始めた。

 その日、絵美は母親の初子と、双子の妹の美葉と一緒に、道場と自宅の間にある庭にいた。初子は花をこよなく愛する女性で、庭には、たくさんの様々な花が植えられており、美しい花がいつも四季の庭を彩っていた。

「人工太陽でも、元気に育つお花って本当に凄いよね」

 美葉が言うと、絵美の傍に来る。美葉は生まれ付き足が不自由で、こういう時は、いつも車椅子に乗っていた。

「美葉。母さんが買って来た新しいお花を植えるから手伝って」

 絵美は言い、笑顔を美葉に向けながら、美葉の頭を撫でる。

「うん。お母さん、また新しいお花買って来たんだね」

 美葉が言って、嬉しそうに微笑んだ。

「そうよ。お母さん、出掛けるとついつい新しいお花を買って来ちゃうの。お花が呼ぶのよ。買ってー。買ってーって」

 ホースを使い水を撒いていた初子が、真面目な顔をして言う。絵美と美葉は顔を見合わせると、大きな声を上げて笑った。いつものなんでもない日常の光景がそこにはあった。いつまでも続いて行く光景だと絵美は思っていた。

「お姉ちゃん。お母さん。あれ見て」

 美葉が突然、大きな声で言った。最初にPSを視認したのは美葉だった。絵美は何事が起きたのかと思いながら、美葉の見ている方向に顔を向ける。初子が絵美が動くよりも早く動き、美葉に近付くと、美葉を抱き上げて、絵美も逃げて。と叫びながら、PSから逃げるように走り出そうとする。

「そんな。こっちにも。警報は鳴ってないのに」

 初子が声を上げ、踏み出した足を止める。初子の進行方向にPSがもう一体出現していて、そのPSは初子の方に向かって進んで来ていた。

「絵美。美葉をお願い。連れて逃げて」

 初子が言う。

「でも、母さんは?」

 絵美はどうして良いか分からず、一歩も動けないまま、声だけを上げる。

「私の事は良いの。それより早く美葉を」

 絵美は初子の声を聞きながら、初子の背後、美葉を追って来ているPSの後ろに別のPSが出現するのを見た。

「母さん。私も、PS、見ちゃったみたい」

「どうして」

 絵美の言葉を聞いた初子が言葉を漏らす。

「お姉ちゃん。お母さん。私を置いて逃げて。PSにくっ付かれなければPS結合体にならないんでしょ。私なら大丈夫だから」

 美葉が大きな声で言った。

「美葉。美葉を置いて行くなんてできないわ」

 初子が言う。

「母さん。美葉。二人で逃げて。私がなんとかする」

 絵美は初子と美葉の顔を交互に見ながら言った。

「絵美。絵美の事も置いてなんて行けないわ」

 初子が言う。

「父さんに、剣術を習っているのはこの中で私だけだから。私が戦う」

 絵美は言い、右手で手刀を作ると、それを刀に見立てて片手正眼の構えを取る。

「絵美。無理よ」 

「お姉ちゃん」

 初子と美葉の声が重なる。

「大丈夫だから。二人の事は私が守るから」

 絵美はPSに対する恐怖を抑え込み、二人に対して微笑みながら言った。

「絵美。ありがとう」

 初子が言って、絵美の傍に来ると、美葉を抱き抱えたまま、絵美の体を抱き締めた。

「お姉ちゃん」

 美葉が言い、美葉の手が絵美の体に回る。

「母さん。美葉。駄目だよ。二人で逃げて」

 絵美は声を上げる。PSと絵美との距離が縮まって行く。絵美は、初子と美葉に抱かれたままPSに向かって手刀を振り下ろす。だが。絵美の手刀はPSを虚しくすり抜けただけだった。PSが絵美の全身を包み込む。絵美は、初子と美葉の腕の中から抜け出ようかどうかと迷う。迷っている間にPSが絵美の顔を覆う。絵美は手刀を作っていた手ともう片方の手を動かすと、初子と美葉を抱き締め、目を閉じた。母さん。美葉。ごめん。二人を守りたかったのに。二人の為に戦いたかったのに。私は何もできなかった。二人を助けたかったのに。と絵美は思った。徐々に意識が遠退いて行き始め、絵美は、そのまま意識を失った。

 なんの前触れなく、唐突に絵美の意識が戻る。絵美は、閉じていた目を開く。自分が庭の芝生の上に倒れている事に気が付いた絵美は、ゆっくりと立ち上がった。

「母さん。美葉、足が」

 PS結合体となり、体から十数本のウデを生やした初子と美葉が、庭の中を歩いている姿を見て、絵美は言葉を漏らす。絵美の声に反応するように、二人が一斉に絵美の方に顔を向ける。

「母さん。美葉」

 絵美は二人の顔を見つめながら言う。初子と美葉の体から生えているウデが、一斉に絵美に向かって襲いかかった。

「どうして? なんでこんな事するの?」

 絵美はウデから逃げる為に、庭の中を走りながら声を上げる。絵美の言葉に二人からの返事はない。絵美は走りながら、PS結合体になると、人としての意識がなくなり、ただ暴れるだけの存在になってしまうと、前にどこかで聞いた事があるのを思い出した。

「私は? どうして?」

 自分にはPSに襲われる前と変わらない、人としての意識がある事に気が付き、絵美は言葉を漏らす。芝生の上に投げ出されていたホースに足が引っ掛かり、絵美は転びそうになる。数本のウデがその隙を突くようにして、絵美に迫って来た。激しい痛みが絵美の腹部に走り、痛みの所為で動けなくなった絵美は足を止める。絵美は痛みに耐えながら、自分の腹部に顔を向けた。初子の物か、美葉の物かは分からない。数本のウデが絵美の腹部に深々と突き刺さっていた。絵美はその光景を見て、私はここで死ぬの? 母さんと美葉に殺されるの? どうして? なんで? 嫌だ。死にたくない。死にたくないよ。と思った。絵美の体の背中の部分から、突然十数本のウデが生える。ウデの先端部分から七十センチくらいの所までが、日本刀の刀身のような形に変形すると、初子と美葉に襲いかかった。

「嫌。やめて。お願い。止まって」

 絵美の叫びは、虚しく響いただけだった。絵美の体から生えているウデの一つが美葉の額を貫く。それを合図にしたように、残りのウデも美葉の頭部に殺到する。美葉の頭部が破裂し、脳漿や血液や肉片や骨片を巻き散らす。

「嫌あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 絵美は声の限りに絶叫する。絵美の体から生えているウデ達が、今度は初子に向かって行く。

「やめてやめてお願いやめてお願いやめて止まってお願い止まってよどうしてよなんで駄目やめてお願いとまって止まれ止まれ止まれ止まれやめてやめてお願いお願いお願い」

 絵美は声の限りに、呪文でも唱えているかのように、必死に叫び続ける。自身の両手で自分の体から生えているウデを殴り、掴み、引っ掻き、なんとかしてウデを止めようとする。だが。絵美の体から生えたウデ達は、初子を、殺した。

「そうか。そうやってお前はあの二人を殺したか」

 朴衛が言う。

「はい」 

 絵美は目から溢れ出る涙を拭いながら言った。

「なぜ、お前だけが、お前でいられた?」

「分かりません」

 朴衛の言葉に絵美はそう言葉を返す。

「初子も美葉も、お前と同じようであったなら、死ぬ事もなかったろうに」

 朴衛が言い、目を閉じる。道場の入り口の方から、人の足音が聞こえて来た。

「藤柳朴衛。藤柳絵美の身柄を引き渡せ」

 拡声器を通して発せられた男の声が言う。絵美は声のする方に顔を向ける。道場の入り口に、黒一色で右肩の所に白字で士魂と書かれている、頭の天辺から爪先までを覆う、西洋風の甲冑のような物に身を包んでいる、人物が一人立っていた。

「何度来てもわしの目の黒いうちは、絵美は渡さんと言ったはずだ」

 朴衛が目を開き、言った。

「高名な道場の者だという事でこちらも今までは遠慮をしていたが、今日はそうはいかないぞ。付近の住民から不安の声も上がっている。特殊な事情があるとはいえ、PS結合体を野放しにしてはおけない。引き渡さないというのなら、力づくで連行する」

 士魂が言い終えると、士魂の背後に、右肩に士魂という文字の代わりに、一から始まる番号が書かれている、士魂と同じ物に身を包んでいる者達が四人姿を現した。

「わしが始末を付けると、何度も言っておろう」

 朴衛が言って、ゆっくりと立ち上がる。

「全員狙いは藤柳朴衛。そのままの状態を維持しつつ、目標に接近し確保しろ」

 士魂が言い、手に持っていた短機関銃の銃口を朴衛に向け、道場に上がる。他の四人も、手に持つ銃器を朴衛に向かって構えながら、士魂の後に続く。

「ここは剣術を志す者だけが入る事を許された場所ぞ」

 朴衛が言い、士魂達の方に向かってゆっくりと歩き出す。

「おかしな真似はするな。目標以外の者は殺しても構わないと言われている」

 士魂が言う。

「父さん。私なら平気です。この人達と一緒に行きます」

 絵美は言いながら駆け出し、朴衛の前に出ようとする。

「絵美。さがっておれ」

 朴衛が片手を横に伸ばして絵美の行く手を遮る。

「ウデの展開を確認するまで、目標には銃を向けるな」

 士魂が言う。

「絵美は渡さんと言っておろう」

 素早く士魂との間合いを詰めた朴衛が言い、同田貫を抜き打つ。

「な、なんだと?」

 士魂の持っていた短機関銃が真っ二つに切断され、士魂が声を上げた。

「わしの使う同田貫に斬れぬ物はない」

 朴衛が言うと、正眼の構えを取る。

「死ね」

 肩に一と書かれている者が声を上げ、構えていた軽機関銃の引き金を引く。

「遅い」

 射線から体を外した朴衛が言い、一との間合いを詰める。一に肉薄した朴衛が同田貫を一閃する。振り下ろした一撃で、軽機関銃の機関部を両断し、刀身を返すと、一の胴を斬り上げる。金属と金属がぶつかり合う音が鳴り響き、同田貫の動きが止まる。

「藤柳朴衛。そこまでだ。このキ三号型原動機付甲冑は、モース硬度十以上の硬さがあるといわれる、組成変形型特殊合金キボウで作られている。銃は斬れても、キ三号型は斬る事はできない」

 士魂が言う。

「一度で斬れねば二度。二度で斬れねば三度。三度で斬れねば四度。諦めぬ限り、必ず斬れる時は来る」

 朴衛が言い終えると、大上段の構えを取った。

「あくまでも邪魔をする気か。一斉射用意。撃て」 

 士魂が言った。

「父さん」

 絵美は、父さんが殺される。と思い、不安や恐怖や、士魂達に対する憎悪に心を飲み込まれ、混乱に陥りながら叫んだ。絵美の体の背中の部分から十数本のウデが生え、大きな翼のような形を形作ると、朴衛の体を包み込む。

「絵美」

 朴衛が言葉を漏らす。ウデに当たった銃弾が、ウデを貫けずに勢いを失い、道場の床の上に落下する。

「目標がウデを展開した。狙いを目標へ変更」

 士魂が声を上げる。銃声がやみ、士魂達が、絵美を狙い撃つべく、移動を開始する。絵美の背後に回り込んだ士魂達の持つ、すべての銃器の銃口が絵美に向けられる。絵美のウデ達が先端部分を日本刀の刀身のような形に変えながら、キ三号型を身に着けている者達、士魂達に襲いかかろうとする。

「己を見失うな。絵美。しっかりせい」

 朴衛が大音声で一喝する。

「止まれ。絶対に動くな」

 朴衛の言葉のお陰で、自分を取り戻す事ができた絵美は、強い意志を込め、ウデに向かって命令する。ウデ達が動きを止める。

「止まった」

 動きを止めたウデ達を見て、絵美は呟く。絵美の胸の中で、強い感情と思いが爆発する。どうして? なんで、こんなふうに。急に、動かせるようになったの? あの時、母さんと美葉を殺した時、あの時に今のように動かせていたら、二人を殺す事なんてなかったのに。絵美は、そう思うと、血が出るほどに拳を握り締め、唇を噛み締めた。

「コントロール、できるのか?」

 士魂が声を漏らす。朴衛は士魂達が作った隙を見逃さず、士魂達の持つすべての銃器を叩き斬った。

「どうする? まだ続けるか?」

 朴衛が同田貫の切っ先を、士魂の顔を覆っているキ三号型のヘルメットの装甲に突き付けながら言う。

「今回は、撤退する。だが、近いうちに必ずまた来るぞ」

 しばしの間を空けてから士魂が言い、体の向きを変えると、道場の入り口に向かって歩き出す。他の者達も、士魂の後に続くようにして歩き出した。

「太さは、四寸くらい。長さは、五尺二寸という所か。刀身以外の部分は、柔らかいようだの。刀身の部分は、これは、同田貫を模しているのか。絵美。これを動かしてみなさい」

 士魂達が道場を去ると、朴衛が、まだ生えたままになっている、絵美のウデの一つに、自身の手で触れながら言う。朴衛の言葉は耳に入って来てはいたが、母親と美葉を殺してしまった時の事を考え、後悔の念に苛まれていた絵美は、朴衛のその言葉を上の空で聞いていた。

「絵美。大丈夫か?」

 朴衛が絵美の肩に手を乗せて言う。

「は、はい」

 肩に触れた手の感触で、我に返った絵美は言った。朴衛が、絵美の肩に乗せていた手を引きながら、ウデを動かしてみなさい。と言う。

「これを、ですか? できません。もしも、父さんに襲いかかったら」

「また、先のようにして動きを止めれば良い。さあ、やってみなさい」

 絵美の言葉を聞いた朴衛が言う。

「でも」

 絵美は、さっきは止められたけど、またできるとは限らない。と思い、言う。

「絵美。お前ならできる。わしの言葉を信じて、やってみなさい」

 朴衛が絵美の目をじっと見つめながら言った。

「でも、もしもの事があったら」 

 絵美は、朴衛の目を見つめ返しながら言う。朴衛が、何も言わずに目を閉じると、その場に正座をし、懐から懐紙を取り出す。取り出した懐紙を同田貫の刀身に巻くと、その部分を両手で握り、自身の腹に同田貫の切っ先を当てた。

「父さん?」

「絵美。わしを止めたくば、ウデを使いなさい」

 絵美の言葉を聞いた朴衛が言い、同田貫を動かす。朴衛の腹に同田貫の切っ先が刺さって行き、血が流れ出し始める。

「父さん」 

 絵美は叫びながら朴衛に近付くと、同田貫の柄を握り、同田貫の動きを止めようとするが、朴衛の力の方が絵美の力よりも強く、同田貫の動きを止める事ができない。朴衛が、絵美。わしを止めたくば、ウデを使いなさい。ともう一度言った。

「父さんの手を止めて」

 絵美は声を上げる。一つのウデが動き、朴衛の両腕に絡み付いて、同田貫の動きを止めた。

「絵美。良くやった。これをもっと上手に扱えるようになりなさい」

 ゆっくりと目を開いた朴衛が言うと、絵美の頭をそっと撫でる。絵美は同田貫の柄から手を放し、父さんに、頭を撫でられた。こんなの、いつ以来なんだろう。と思いながら、朴衛の腕に絡み付いているウデに向かって、父さんの腕から離れろと命令する。朴衛が、腹から同田貫を抜き、刀身を懐紙で拭ってから、立ち上がって正眼の構えを取る。

「父さん? どうして、構えるんですか?」

 絵美は朴衛の意図を必死に読み取ろうとして、朴衛の目を見つめながら言う。

「稽古だ。殺し合いではない。それなら良かろう?」

 朴衛が言って優しい笑みを顔に浮かべる。

「でも、怪我が」

 絵美は朴衛の態度の変化に戸惑いながら、声を漏らす。

「大した事はない」

 朴衛が言う。

「でも」

「今は、何も考えるでない。この父の言う事を聞きなさい。またすぐに彼奴等が来る。もう、あまり時間がない。この父を信じて、とにかく今は打って来なさい」

 絵美の言葉を遮るようにして朴衛が言った。

「父さん」

 絵美はそう言ってから、父さんの言う通りにしよう。と思うと、はい。分かりました。と言って、深い呼吸を二度ほど繰り返し、頭の中を空にした。ウデの一つを剣として用い、絵美は剣術の稽古を始める。三合ほど打ち合った所で、同田貫の刀身を絵美のウデが切断する。

「これは。凄いの」

 朴衛が、切断され、床の上に落ちた刀身を拾い上げながら言う。

「すいません。父さんの大事な同田貫を」

 絵美は目に涙を溜めながら言う。

「気にするでない。代わりはまだある。そうだの。あれを、使ってみるか」

 朴衛が言い、道場の奥にある床の間の所に行き、鞘と、刀身部分が僅かに残っている柄と、持っていた刀身とを、一緒にその上に置くと、壁に掛けてある数振りの日本刀の中から一振りの打刀を手に取る。

「それは?」

「これは、少し前に作らせた物でな。さっき来た彼奴等の中の一人が言っておったキボウという金属でできておる」

 絵美の言葉を聞いた朴衛が刀を抜き、刀身に目を向けながら言った。

「さあ、打って来なさい」

 朴衛が腰に鞘を差すと、正眼の構えを取って言う。

「はい」

 絵美は言い、朴衛に向かってウデを振るう。

「これならば、どれほど打ち合っても平気そうだの」

「はい」

 朴衛の言葉を聞いて、絵美は言う。

「どうした? もう、疲れたか?」

 再び稽古を始めて三十分と経たないうちに朴衛が言った。

「すいません。なんだか酷く、体が重い感じがして来て」

 絵美は足をふらつかせながら言う。

「絵美。先にも言ったが、時間がない。頑張れるか?」

 朴衛が絵美の目を見つめながら言う。

「はい」

 絵美は言い、ウデの一つを用い、正眼の構えを取った。

「絵美。今度は生えているすべてのウデを使って打って来てみなさい」

 朴衛が言って、再び稽古が始まる。それから、どれほどの時間、稽古を続けたのか。絵美は必死に朴衛と打ち合い続けた。

「今日は、これまでとしよう」

 朴衛が言うと、刀を腰に差していた鞘に納める。

「はい」

 朴衛の言葉を聞き、ウデの動きを止めてそう言った瞬間、絵美は崩れ落ちるようにしてその場に座り込む。

「絵美。大丈夫か?」

 朴衛が絵美の傍に来て言う。

「はい。平気です。少し休めばすぐに動けるようになります」

 朴衛の言葉に絵美は笑顔を作りながら応じる。

「そうか」

 朴衛が言い、小さく頷いた。

「おお。絵美。ウデがすべて、消えたぞ」

 朴衛が、珍しく驚きの表情を顔に浮かべながら言った。

「本当だ。また、出せるのかな?」

 絵美は言うと、ウデよ出ろと、心の中で言う。

「おお。一つだけ生えたぞ」 

 朴衛が言う。

「良かった。これで、また稽古ができます」

 絵美は背中から一つだけ生えたウデを見つめながら言った。

「絵美。話がある」

 朴衛が言い、その場に正座する。

「話、ですか?」

「絵美。済まなかった。謝って許される事でないのは分かっておる。だが、本当に済まなかった」

 絵美の言葉を聞いた朴衛が言い、額が床につくほどに深々と頭を下げた。

「父さん」 

 絵美は声を漏らす。

「わしは、今日、お前に本当に酷い事をした。これは、人の所業ではない。もはや、これは、悪鬼羅刹の所業。それと。お前が力を得た日から今日までの、わしのお前に対する態度も、親として、決して取ってはならない態度だった。だが、絵美よ。わしは、お前の事を愛しておる。愛しておるがゆえに、やった事。それだけは分かっていて欲しい」

「父さん。頭を上げて下さい。稽古で父さんと打ち合っていて感じました。父さんは私に強くなって欲しいと思っているんだって。父さんの気持ちはちゃんと分っています」

 朴衛が頭を下げたまま言った言葉を聞いた絵美は、目から涙を溢れさせながら言葉を返す。

「絵美。ありがとう。わしは、こう思うのだ。お前がこれから行く道は、修羅の道だと。お前は、その体でこれからを生きて行く。今日来たような連中とも、戦う時が来るかも知れん。これからを生きて行く上で、お前に必要なのは強さだ。己の行く道を切り開いて行く強さだ。だから、わしは、お前に強くなって欲しかった。お前の得たその力を、使いこなせるようになって欲しかった」

 朴衛が言い終えると、頭を上げる。

「父さん」

 絵美は言いながら目から溢れ出した涙を懸命に拭う。涙で歪む視界を早く直して、父さんの顔を見たい。と絵美は思った。

「絵美。いずれ、必ず、わしの存在が、お前の障害となる時が来る。お前がお前らしくお前として生きて行く為に、お前が、本当に強くなる為に、これは、必要な試練だ。だが、これは、決してお前の所為ではない。これはわしが望んで、喜んで、やる事。お前の為にしてやれる、親としての最後の事ぞ」

 朴衛が言うと、ゆっくりと目を閉じ、刀を鞘から抜く。

「父さん? 何を?」

 絵美は声を漏らす。朴衛が腹の傷に同田貫を突き立て、腹を斬る。

「絵美。この父の姿を目に焼き付けよ。この父の想いを心に焼き付けよ。辛い事があったら、この父の事を思い出せ。父亡き後、お前は一振りの剣となれ。お前はお前だけの剣となり、お前の望むように生きろ。人に仇なす事だけはして欲しくはないが、お前が、もしも、そうしたいと望むのならそうしなさい。だが、父は、人の為にその力を振るって欲しいと思っている」

 朴衛が言って優しい笑みを顔に浮かべる。

「父さん。父さん」

 絵美は、他にもっと言いたい事があるのに。と思いながら、言葉を口からこぼれさせる。

「絵美。決して折れるでないぞ」

 朴衛が言うと、片手を刀から離し、その手で絵美を抱き寄せてから、力なく頭を垂れた。

「父さん。私は、いえ、これは、今から、人ではなく、一振りの剣として、決して折れない剣として、生きて行きます」

 絵美は言って、ゆっくりと目を閉じた。

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