五 抱擁

「目が覚めたのです?」

 目を開いた啓介の耳に、聞き覚えのある女性の声が入って来る。声のする方に顔を向けると、ハルと呼ばれていたアンドロイドが、啓介の寝ているベッドの横に立ち、啓介の事を見下ろしている姿が、啓介の目に映った。

「あの人は?」

「あの人とは誰の事なのです?」

 啓介の言葉にハルが言葉を出力して返す。

「あの、銀色の髪の人」 

 啓介は目を伏せながら言う。

「鍵山啓介の事を抱き締めていた絵美の事なのです? 気になるのです?」

「怪我の方は、大丈夫なのか? 治るとかって言ってたけど」 

 ハルの言葉を聞いた啓介は言う。

「鍵山啓介は、一々名字から言うのも面倒なのです。これからは絵美と同じように名前で呼ぶ事にするのです。啓介は、絵美の事をどう思っているのです?」

 ハルに搭載されているであろう、カメラか何かが駆動する音が聞こえ、ハルが言葉を出力する。

「どう思っている? なんだそれ? どういう意味だ?」

 啓介はハルの顔の部分に当たる場所に取り付けられている、フェイスカバーを見つめながら言った。

「男女の関係的な意味なのです。啓介と絵美はこの世界にたった一種類しかいない新しい種族みたいな物なのです。その雄と雌が出会ったのです。何か思う事はないのです?」

 ハルの言葉を聞いた啓介は、思わず、はあ? と声を上げてしまった。

「はあ? とはなんなのです?」

 ハルが言葉を出力する。

「こんな時に、お前、なんなんだ?」

「ハルは女性型アンドロイドなのです。ハルという存在の根本を形作っているAIは既にどの人類よりも優れた知能を持っているのです。ハルが本気を出せば、人類を滅ぼす事なんて朝飯前なのです。けれど、今現在のハルの仕事は、この世界に二体しかいない、人としてのすべてを持っているPS結合体、PS結合体特異種の世話係なのです。どうも、人類はハルを過小評価しているようなのです。あ、それと、なのです。ハルには男女の関係に関して、深く探求し学習せよという指示がプログラミングされているのです。これはハルに人間と同じような感情を獲得させようとした、司馬伽藍博士によって作られたプログラムなのです」

 啓介の言葉を聞いたハルが言葉を出力した。

「そういう意味で、言ったんじゃないんだけど」

 啓介は、ハルが長々と出力した言葉に圧倒されながら言う。それを聞いたハルが、では、どういう意味なのです? と言葉を出力する。

「なんていうか、いや、そんな事はどうでも良い。あの人の怪我は大丈夫なのか?」

「絵美が心配なのです?」

 啓介の言葉を聞いたハルがそう言葉を出力したので、啓介は頷きながら、だから聞いてるんだ。と言った。

「どうしてなのです? やっぱり、それは、雄と雌的な意味でなのです?」

 ハルが言葉を出力する。

「雄と雌とかじゃない。俺が怪我をさせたんだぞ。あんな酷い怪我を。気になるに決まってるだろ。頼むから教えてくれ」

「そういう事なのです。分かったのです。心配はいらないのです。絵美の体は完全に元通りになるのです。PS結合体になると、脳を破壊されない限りは死ななくなるのです。例え心臓が破壊されたとしても、脳さえ無事なら元通りの体となって生き返るのです」

 啓介の言葉を聞いたハルが、なんでもない事を言うように言葉を出力した。

「それは、凄いな。本当に治るのか。それなら、良かった」

 啓介は驚きつつ言いながら、酷い怪我をさせてしまったって事から考えれば良いのかも知れないけど、死なないなんて、もう、完全に人間じゃない。あの人がそうなら、俺も、同じはずだ。俺の、手や、足も、そうだ。動かしてみよう。この服の所為で、全然動かせないけど、確かに、感触がある。あの時、切られた時とは違う感じがする。俺も、もう、完全に人間じゃないんだ。と思った。

「啓介。仕切り直しなのです。ハルは雄と雌的な意味の事を啓介に聞きたいのです。二人の誕生と出会いは画期的で劇的で驚愕すべき事なのです。二人は愛し合うようになるのか? とか、どんな愛し合い方をするのか? とか、二人が交尾したらどんな種が誕生するのか? とか、色々気になるのです」

 ハルが言葉を出力する。

「何言ってるんだ。俺は、そんな話なんてしたくない。母さんが死んで、美羽だって、いや、美羽は、美羽は、生きてるって言ってたよな? 美羽はどうなってるんだ?」

 啓介は言葉の途中で、思わずベッドの上に横たわっている体を起こそうとしたが、拘束衣に包まれている体は動かす事ができず、起こす事もできなかった。

「美羽とは啓介の妹である鍵山美羽の事で良いのです?」

 ハルがそう言葉を出力したので、啓介は、そうだ。と答えた。

「ちゃんと生きているのです。手術が数回必要になるのですが、クローン技術を用いれば、体の方も元のように戻せるのです」

 ハルの言葉を聞いた啓介の頭の中に、四肢を切断された美羽の姿が、鮮明な映像となって蘇った。

「なんで、あんな事に」

 啓介は声を漏らす。

「啓介。落ち着くのです。さっきまでとは明らかに様子が変わっているのです。啓介がまた暴れたりしたら、もう一度鎮静剤を打たなければならなくなるのです。そうなると、また、啓介が意識を失ってしまう可能性があるのです。再生する体なので、健康などには影響はないとはいえ、ハルはできるだけそんな事はしたくないのです。そうなのです。啓介。絵美の事を考えるのです。今は、絵美は、他の部屋で寝ているのでここに来られないのです。けれど、啓介には絵美が、ちょっと待ったなのです。それだけではないのです。このハルもついているのです。だから、大丈夫なのです」

 ハルが言葉を出力し終えると、啓介の体を抱き締める。

「さっき、絵美がこうしていたのです。こういう事をするのは初めてなのです。これは抱擁といわれる物なのです。啓介。啓介は一人じゃないのです。大丈夫なのです」

 ハルが啓介を抱く手にぎゅっと力を込めながら、言葉を出力する。

「お、おい、えっと、あの、ハ、ハルだっけ。痛い。痛いんだけど」

 啓介はハルのこの突然の行動が何を意味するのかを理解し、感謝の気持ちを抱きつつも、ハルのこの行動にどう対処して良いのか分からず、ハルの体の感触に対して感じた事を、何も考えずに言葉にして口から出した。

「痛いの、です?」

 ハルが啓介を抱いている手の力を緩めて言葉を出力する。ハルの言葉を聞いた啓介は、痛いとか、言っちゃったけど、そんな事を言ったら、悪いよな。このロボ、いや、アンドロイドだっけ、は、俺の為を思ってこんなふうにしてくれてるんだ。何か、ちゃんとした事を言わないと。と思ったが、何をどう言えば良いのかが分からず、いや。えっと、なんていうか。としどろもどろになりつつ言った。

「啓介?」 

 ハルがフェイスカバーを、啓介の顔を見つめているような角度にして言葉を出力する。

「なんていうか、ごめん。なんでも、ないんだ。えっと、俺は、もう、なんていうか、大丈夫。ありがとう。俺なんかの為に、そんなふうにしてくれて」

 少し間を空けてから、啓介は顔を俯けつつ、言葉を考え選びながら、そう言った。

「当たり前なのです。ハルは啓介と絵美の世話係なのです。ハルはどんな時でも二人の事を最優先にするのです」

 啓介の言葉を聞いたハルが啓介から体を離すと、起伏のない平らな形状の胸部分を胸を張るように動かしてから言葉を出力する。

「あのさ、突然なんだけど、俺、思い出した事があるんだ。あの時、PS結合体になって、殺されようって思ったすぐ後に、もしも、あの人、絵美さんだっけ。あの人みたいなPS結合体になったら、今度は死んだりしようとなんて思わないで、美羽の為に生き続けたいって俺は思ったんだ」

 啓介は、ハルのフェイスカバーをじっと見つめて言った。

「啓介。ハルだっけ、とか、絵美さんだっけ、とか、さっきからなんか変なのです。普通に呼べば良いのです。ハルはハル。絵美は絵美なのです。絵美にはさん付けはいらないのです。絵美と呼べば良いのです。そうしないと二人の関係の進展が遅くなりそうな気がするのです」

 ハルが啓介の言った言葉とは、全然関係のない言葉を出力する。

「あ、ああ。それは、分かったけど」

 啓介は、いきなり変な事言ったから無視されたのかな。と思うと、そう言って口を噤んだ。

「それではハルと呼んでみるのです」

 ハルが啓介の頬に手で触れると、そんな言葉を出力した。

「ハ、ハル」

「ハ、ハルではないのです。ハル、なのです」

 啓介の言葉を聞いたハルが言葉を出力する。

「ハル。これで良いか?」

 啓介は、先ほどよりも小さな声で言う。

「それで良いのです。うん? ちょっと待つのです。ハルの内部にある演算装置の温度が上がっているのです。うーん? 原因が分からないのです」

 ハルが言葉を出力し、小首を傾げる。

「故障?」

 ハルが、そう言った啓介の頬に触れていた手を動かし、いきなり啓介の頬をつねった。

「い、いひゃい」

 つねられた啓介は、突然の痛みとつねられた事に驚き声を上げる。ハルがつねっていた手を慌てて放した。

「ご、ごめんなさいなのです。なんか、急に、つねりたくなったのです。ううう? どこか、故障、いや、そうではないのです。啓介。これからはもっとちゃんとハルを女の子として扱うのです。今のは、あれなのです。故障とかデリカシーのない言葉で言われたから、その報復の為についつねったのです」

 啓介をつねっていた自分の手を、頭部を動かしフェイスカバーの角度を変えて見つめるようにしつつ、ハルが言葉を出力する。

「女の子として、扱う? それって、どうすれば、良いんだ?」

 啓介はハルのフェイスカバーを見ながら言った。

「そ、そんな事は自分で考えるのです。ハルに聞いては駄目なのです」

 ハルが言葉を出力して返す。

「ちょっと待つのです。良い事を考え付いたのです。それなら、ハルの言う通りにするのです」

 ハルが慌てて付け足すようにそう言葉を出力すると、フェイスカバーを啓介の顔の方に向ける。

「ハルの、言う通りにするのか?」

 啓介は、絶対に変な事言いそうだけど、どうしよう? と思いつつ言う。

「そうなのです。では、早速、ハルの事を抱擁するのです」

 ハルが言葉を出力する。

「ええっ!?」

 啓介は驚いて声を上げた。

「ええっ!? とはなんなのです。ハルの事を抱擁したくないのです?」

 ハルがそう言葉を出力する。

「そ、そんな事ない。そんな事ないけど、いきなりだし。だって、だってハルは女の子なんだろう? 会って間もない女の子を抱き締めるなんて、そんな事、できない」

 啓介は、ハルはアンドロイドだけど、見た目以外は女の子っぽいし、自分で女の子だって言ってるんだから、俺の方から抱き締めるなんていう事は、なんか、恥ずかしいし、気まずくって、ちょっとできない。と思いながら言った。

「啓介。良い事を言ったのです。ハルは今、猛烈に感動しているのです。なので、ハルを早く抱擁するのです」

 ハルが、一歩も退かないのですというような雰囲気を出しつつ、言葉を出力する。

「いや、ハル。ちょっと、その展開は、おかしくないか?」

「おかしくないのです。早く抱くのです」

 啓介の言葉を聞いたハルが言葉を出力しながら、啓介の方にぐっと体を押し出した。

「ああ!!」

 ハルが大きな声で言葉を出力する。

「ハル? どうした?」

 啓介は、ハルの声に驚きつつ言った。ハルががっかりしたとばかりに、肩をがっくりと落とす。

「啓介は今拘束衣を着ているのです。すっかり忘れていたのです。これでは、ハルの事を抱擁する事ができないのです。脱がしてあげたいのですが、ごめんなさいなのです。今は、まだ、その拘束衣を脱がしてあげる事はできないのです。ハルを許して欲しいのです」

 ハルが頭を動かし、フェイスカバーの角度を変え、顔を俯けているような仕草をしながら、言葉を出力する。

「なんか、ごめん。俺の方こそ、ごめん。俺は、何をするか分からないんだから、しょうがない」

 啓介は、ハルとの会話に夢中になっていて忘れていた、自分の今置かれている状況の事を思い出しながら言った。

「啓介。そんな顔をしないで欲しいのです。大丈夫なのです。いずれ拘束衣は脱ぐ事ができるのです。絵美だって最初はそうだったのです。今の絵美を見れば分かるのです。制限はあるのですが、ある程度の自由は保障されているのです」

 ハルが言葉を出力し、啓介の事を抱き締める。

「ハル。慰めてくれてありがとう。でも、なんか、もう、ハルに抱き締められても複雑な気分になるようになった」

 ハルの優しさや気遣いに改めて触れた啓介は、ハルの事を女の子として意識し始めている事もあって、照れ臭くなり、照れ隠しの為にそんなふうに言った。

「どういう事なのです? 啓介はハルに抱かれるのが嫌になったのです?」

 ハルがそんなふうに言葉を出力して返す。啓介は自分の顔が自然に綻ぶのを感じ、俺、今、笑ってる? と思った。

「ハル。ありがとう。ハルのお陰で、なんか少し元気出た」

 啓介は感謝の気持ちを素直に言葉に乗せた。

「わーお! それは、良い事なのです」

 ハルが言葉を出力し、啓介を抱く手にぎゅっと力を込める。

「ハル。あんまり強くはちょっと」

 啓介は、そこまで言って慌てて言葉を切ると、危ない。また痛いって言いそうになった。と思った。

「そういえば絵美も昔は、ハルと出会ったばかりの頃は、元気がなかったのです。啓介よりも元気がなかったのです。でも、今はそんな事はないのです。だから、啓介。大丈夫なのです。啓介も元気に、きっと必ず元気になる事ができるのです」

 ハルが言葉を出力する。

「絵美さ、いや、絵美、にも、そんな頃があったのか?」

 啓介は、言ってから、次にあの人、絵美さ、また。えっと、絵美、にあったら、俺は、どんな態度をすれば良いんだろう? それにしても。なんか、本人に言われてないのに、絵美って呼ぶのには抵抗がある。でも、ハルに絵美さんって呼ぶなって言われたしな。と思った。

「良い事を考え付いたのです。啓介。今から、絵美の過去の話を語って聞かせるのです」

 ハルが言葉を出力する。

「絵美、の過去?」

「そうなのです。絵美の過去を知れば、啓介の気持ちがまた変化すると思うのです。人は人を知り人になる。この言葉は司馬伽藍博士が言った言葉なのです」

 啓介の言葉を聞いたハルが言葉を出力する。

「俺と同じ、存在の、PS結合体の過去」

 啓介は誰に言うともなく、独り言ちた。

「もう。折角良い言葉を言ったのに啓介は上の空なのです。啓介。では、過去語りを始めるとするのです。これからする話はちゃんと聞いて欲しいのです。絵美の過去を知れば、啓介の美羽の為に生き続けたいという思いは、きっともっと強くなるのです」

 ハルが言葉を出力した。

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