4人目
注文はまだしていない。店員が持ってきてくれた水と使ったおしぼりだけが置いてある。
「お水、お入れしましょうか?」
女性の店員がピッチャーを持ってやってくる。軽い会釈をして半分以下になったグラスを手渡す。
小さな氷と共に注ぎ込まれる水はグラスにぶつかり涼しげな音を奏でる。
「ごゆっくりどうぞ」
店員がテーブルに水を置いてくれるがその顔と語尾にトゲがあるように感じてしまうのは気にしすぎなのだろうか。
壁に掛かっている時計を見る。
「午後14時45分」後15分。
遅れないよう30分前に来たのは失敗だったか……いや遅れて待たせるよりは、こうして店員の冷ややかな視線に耐える方が良い。
店内のこじんまりとした密閉空間が外と繋がって深呼吸をするように空気が入れ替わる。
誰か店内に入って来たようだ。
店員に案内され一人の女性がテーブルの横に立つ。
「雪竹先輩お待たせしてすいません」
ちらっと時計を見る「14時50分」遅くない、寧ろ早い。
「あ、いや僕もさっき来たとこだからさ」
案内した店員の冷ややかな視線を感じた気がするが気にせずその女性を席に座るよう促す。
小さな椅子に小柄な体をちょこんと置くと大きな目をこちらに向けてきて、元々可愛い顔を更に笑顔で彩る。
そんな華のような姿に心が浮き足立っているのを悟られないように勤めスマートな会話を試みる。
「えっと華渉さん話ってなにかな?」
「うーんとですね、とりあえずなにか注文しましょう。ここのシフォンケーキが前から気になってたんですよ」
店員に気付いてもらう為に手を挙げてアピールする華渉さんの横顔に見とれながら水を飲む。
しばらくしてやって来たシフォンケーキを華渡さんが美味しそうに堪能する姿を見ながら注文したコーヒーを飲む。
このカフェのコーヒーが美味しいのか、個人的な気分の高揚が原因なのか、どのコーヒーより美味しい。
「華渉さん、最近学校来てないみたいだけど体調悪いの?」
小さな口から紅茶のカップを離すと大きな瞳が輝く。このときの光を綺麗だと思った僕は盲目であったと言わざる終えないのだろうがこのときは気付く訳が無い。
「嫌な事があって体調を崩してました。でも今は元気ですよ。
逆に充実しているぐらいです」
「嫌な事」そのフレーズが気になるが「今は元気」と言うフレーズが聞くのをためらわせる。
そんな僕を見透かしたように無邪気な笑みを見せる。
「嫌な事、気になります?」
「あ、いや言いたくない事もあるだろうしさ」
「ふふ、意地悪な言い方してしまいましたね」
微笑むが目が笑っていない。店内の空調のせいではないゾクリと寒気を感じる。
紅茶を1口飲むその唇がさっきで可愛く感じていたのに今は妖美に感じてしまう。
「雪竹先輩、私の事好きですか?」
突然の問いに戸惑ってしまう。
「私は先輩の事が好きです」
その突然の告白に僕の戸惑いは加速するが、今まで心の奥にあるものを解き放つチャンスだと勇気を振り絞り言葉に出す。
「僕も好きだ」
その答えに満面の笑みで答えてくれる華渉さん。普通ならこれで円満、いやここから楽しい日々の始まりのはず……でも空虚感が心を支配する。
華渉さんの何かが欠けている感じがそうさせるのか。
「私3人の男に犯されたんですよ。汚れていますけどそれでも好きでいてくれますか?」
華渉さんの突然の発言。言っている意味が分からない、思考がついてこない。ふと周りの視線が気になり辺りを見回す。
店員も数人いる客もこっちを見てはいないが、意識が向いているのを感じる。
「華渉さん、落ち着こう。話は聞くからそんな大きな声で──」
僕の口を小さな指が塞ぐ。
「先輩、私は落ち着いてますよ。先輩が私の事気になっていたのは知ってました。視線とかバレバレですよ。
一応私も女ですからそういうのには敏感ですからね」
クスリと笑うがやはり目が笑っていない。
「私が嫌な目にあった時助けに来て欲しかった。せめてその後、気にかけて会いに来て欲しかった」
パチンっと指を鳴らすと周囲の空気が変わり人の気配が無くなる。
「まあ、無茶苦茶な事を言っている自覚はありますよ。実際助けに来るなんて無理なわけですから。それでも期待しちゃったんですよね」
華渉さんが右手を広げる。
「
文字の書いてある白い円が手の前で回っている。その現実離れした光景に間抜け面を晒す事しか出来ない僕の左足に突然、熱い激痛が走る。
目の前の華渉さんの手に白い銃のような物が握られ銃口から煙が出ている。
再び銃口を向けると僕の左肩から鮮血が飛び散り彼女の服にかかる。
「やっぱり先輩の血は綺麗」
床でもがく僕の上に乗ると熱のある銃口をこめかみに置く。
歯はガチガチ鳴き、肩と足は熱いのに背骨が寒い。
そんな僕を見て嬉しそうに笑う。
「怖いですか? 先輩、女の子みたい」
クスクス笑う彼女が僕の血を指に取り舐める。その口が近づき柔らかい感触が唇に触れる。
「ごめんね先輩、なにも悪くないのは分かってるんですよ。でも綺麗な血で染まりたかったんです。ただそれだけなんです。
最初で最後のわがまま聞いてください」
数発の銃弾が体を貫通して血が流れていく。
なかなか死ねず意識がある僕は、目の前の彼女がだんだん赤く染まっていく姿を見て何故か綺麗だと感じてしまう。
死を迎えに来てくれた天使にすら見える。
真っ赤な血に染まった天使はようやく僕を苦しみから解放してくれる。
***
橘花は血に染まった我が身を見て満面の笑みを溢す。
「憎しみの血と違って、愛のある血は綺麗……」
指を咥えて血を舐める。そんな橘花にトリスが近づいて優しく頭を撫でる。
「体の調子はどうかしら? まだ完全に馴染んでないでしょうから無理はいけないわ」
「うん、調子良いよ。心配してくれてありがとう」
「あなたはいい天使になれるわよ。あなたに出会えて本当に幸運だったわ」
そう私はトリスの薦めで天使になる道を選んだ。まだ実験段階の技術らしいが私との相性がよく初めての成功者だと言われた。
最悪な終演を迎えていた私の元には天使が来てくれた。ただ多くの人は来てくれることなく悲しみに暮れることだろう。
そんな人達を救ってあげたい。トリスから教えてもらった愛を持って訪れたい。
私の最悪の人生は終わり、ここから素晴らしい人生が始まる。
血の感触に嬉しさを感じ、身を震わせ明るい未来の光を肌に感じる。
血染めの天使 ~Tris Isolde~ 功野 涼し @sabazukikouno
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