第35話これからもよろしくお願いします
短い滞在の最終日、ティアナは母の墓の前にいた。
「お母さん、わたし行くね」
長い間ずっと墓の前に立ちすくんでいた。ここを発てば、もうクロフトには戻ってこない。ティアナはこの町と縁を切ることを選んだ。猫かわいがりしていた息子が、懸想相手をかどわかしたという事実は町長夫妻にとっては思いのほかショッキングで、特に彼の母は息子の所業をなかなか認めようとはしなかったと聞いている。まあ、あの母親ならそうかもね、とティアナは冷めた感想を持っているのだが、だからこそティアナはこの町に帰ってくるべきではない。ゲイルがこれからまっとうに暮らしていくためにも、邪念の素はこの町にいるべきではないだろう。
「ティアナ、冷えるぞ」
「クリス」
墓標が立ち並んでいる。乾いた地面が擦れる音と共にクリスが近づいてきた。
「風が冷たくなってきている」
クリスは手に大きな肩掛けを抱えている。ティアナの側に歩み寄り、彼は手に持っていたそれを掛けてくれた。
「ん……なんだか、離れがたくて」
クリスはティアナの隣で目を閉じた。
静寂が二人を包み、ティアナは母の墓に祈りをささげるクリスの横顔を黙って見つめた。今、故郷にクリスがいることが不思議に感じる。カーティスには、クリスだって変わると言った。ティアナは自分も変わったことを実感する。田舎の町娘がクリスのような貴族の男の妻になった。二人の間にあるのは契約という関係性で、区切りはひとまず三年。セラフィーナはティアナの結婚をどう思っているのだろう。仕事の一環として結婚契約書に署名したことを怒るだろうか。それとも、あなたの決めたことなら、と認めるだろうか。
「どうした?」
「ううん。お母さん、わたしが結婚したことどう思っているかな」
「きみの母上が安心できるような夫になれるよう精進する」
クリスが生真面目な声を出すからティアナは少しだけ噴いた。それから感謝もする。母の前で誠実な言葉を紡ぐ彼に対して。
「なんだか、夫婦っぽいわね」
「夫婦だろう?」
「そうね。わたし、契約結婚をしたのがあなたでよかったわ」
ティアナはにこりと笑った。すると、彼が少しだけ顔を赤らめた。ティアナの胸には彼がくれた首飾りが光っている。
「あなたってばとってもいい雇用主だもの。ゲイルも、あなたのことを見習って、まっとうに生きなおしたらいいんだわ」
そう言い添えるとクリスはなんとも言えないような、渋面を作って黙り込んだ。どうしたというのだろう。でもまあ、クリスがいい人というのは母にも胸を張って言えることだ。だから、安心してねとティアナは心の中で告げた。
宿へ帰る道すがら、クリスはティアナにある提案をした。
「え、お母さんのお墓を移せるの?」
「ああ。手続きをすれば可能だ。ティアナが今後どこを拠点に暮らしていくかにもよるが。……なんなら、私の領地―」
「じゃあ、やっぱりエニスの郊外かしら。乗合馬車に乗って行けるような、花のきれいなところがいいなあ。クリス、わたしたくさんたくさん働くわね!」
ティアナは嬉しくなって走り出した。これからもまた母に会える。そのことが嬉しくて。
そして、従業員を思いやるクリスの優しさに感謝をした。彼のためにも、もっともっと妻として頑張らないと。クリスからきみは素晴らしい妻だと絶賛されるように、プロの嫁として頑張る、とティアナは誓った。
駆け出したティアナに、言いたかったことを全部言えなかった雇用主はと言うと。
少し恨めしそうに妻のことを眺めていたが、やがて長い息を吐いて、「まあいいか」とつぶやいた。彼女が元気になってくれるのが一番だ。どうにも、自分はティアナが笑顔で無いと落ち着かないらしい。オルタのティアナ心配性が移ったようだな、と一人ため息を吐いたのだった。
☆あとがき☆
最後までお読みいただきありがとうございました
こちらで一度終わりとさせていただきます
理由としては、やはり自分の実力不足といったところが大きいです
完結記念にお星さまをぽちぽち押していただくと作者が喜びます
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます