第31話夫、キレる
クリスはそのまま街の外へ出た。
馬車を使わずに魔法使いらしく箒を使うことにした。さすがに長距離を飛ぶには何かに乗っていたほうが楽だからだ。箒という媒体を使うことにより魔法が安定をして、移動の途中に他の魔法を使うこともできる。すでに夕暮れで、クリスの胸には焦燥が宿っている。
ティアナとゲイルが一緒にいるとしたら、彼は彼女をどう扱うだろう。自分のように紳士ならよいが、クリスはゲイルという男を信用していない。
エニスの街を抜け、畑を抜け荒野へ出た。途中森を抜け、クロフト方面へ続く街道を辿っていく。
クリスは空の上から魔法でティアナを探し続ける。
どこだ、と焦るばかりだ。やがて日が暮れ、星空が姿を現した。青空の上からは地上の星を見ることもできる。うすぼんやりとした町の灯りである。街道沿いにある町のうちの一つにクリスは降り立った。
夕食にはやや遅い時間である。クリスは目的をもって町の中を歩いた。道には申し訳程度にしか明かりが灯っていない。宿屋の看板を見つけ、クリスはもう一度魔法を使った。
(ティアナの気配がする)
確信を強めたクリスは宿屋の扉を開け、居丈高に従業員の男を呼びつけた。王宮魔法局の印章を見せ、権威を傘に着て話を進めていく。
王宮に仕える魔法使いの登場にすっかり怯えた従業員は慌てて宿の主を呼びに行き、彼は自分の宿は何のやましいことも無いことを主張をした。こちらに便宜を図れば宿に対する責任は追及しないと言えば、主は部屋の合い鍵をあっさりと渡した。あまりにも流され過ぎだろうと、若干呆れたがクリスとしてはありがたい展開である。
銀髪の女を連れた若い男の入った客室の場所を聞き、クリスは逸る気持ちを隠さず、階段を駆け上がった。
扉の前に到着をすると、隣の部屋から知った顔が出てきた。
「そうか。カーティス、おまえも噛んでいたのか」
「兄上。ティアナはクロフトへ帰ることを選んだのですよ」
「魔法を使ってティアナとオルタをかどわかして、だろう」
クリスは弟を睨みつけた。氷のような凍てついた眼差しを向けられたカーティスは一瞬ひるんだが、自分の主張をもう一度繰り出す。
「兄上、目を覚ましてください。迎えが来たのですから、勝手にさせておけばいいではないですか。あの女は兄上を騙しているのですよ。金に困っているのなら、幼馴染の愛人で十分ではないですか」
「おまえがゲイルをそそのかしたんだな」
クリスが一歩足を踏み出すと、カーティスがゲイルの泊まる部屋の前に躍り出た。両手を大きく広げ通せんぼをする。
「兄上の目を覚まさせるためです」
「どけ」
「いいえ。どきません。どうせ、お楽しみの最中ですよ」
その言葉を聞いた途端、クリスの中で何かが弾けた。
パシリ、とカーティスの頬を叩いたのである。叩かれたカーティスは呆然と兄を見つめた。
「ティアナを貶めるようなことを金輪際口にするな」
「なっ……」
生まれてこのかた、弟に手を上げたことなど一度も無かった。しかし、今は我慢できなかった。カーティスの口が、ティアナを貶めたのだ。彼女はそのような娘ではない。
乱暴に扉を蹴破り、中へ入る。
「ティアナ!」
部屋の中ではゲイルが中途半端な位置で立っていた。彼の奥の寝台にはティアナが横たわっている。クリスはつかつかと部屋の中に入り、ゲイルの首元を掴んだ。
「ティアナに何をした」
「お、おまえには関係ないだろっ!」
「威勢だけはいいな。妻を返してもらおう」
ゲイルとクリスとではクリスの方が身長が高い。怒りに任せてゲイルの襟首をつかんだまま持ち上げる。彼はそれでも強気な姿勢を緩めることはない。
「へっ。聞いているぜ。おまえ、ティアナに騙されているんだろ」
「カーティスの言うことなど真に受けるな」
「弟の忠告はちゃんと聞いておけよ」
「あいつは昔から私に対して過剰な夢を持っているだけだ」
男二人が至近距離でにらみ合っていると、後ろの寝台の上でむくりとティアナが起き上がった。クリスは彼女がきちんと衣服を身に纏っていることを確認して安堵した。最悪の事態には陥っていないらしい。
「ティアナ」
クリスの呼びかけに、彼女はどこか焦点の定まらない視線を寄越し、よたよたと寝台から立ち上がる。ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「ゲイルを離して……」
「……しかし」
こいつはおまえを誘拐したんだぞ、とクリスは続けようとする前に顔が強張る。ティアナはクリスに冷たい視線をむけているからだ。
「ゲイルを離して。彼と結婚をするの」
「なっ……」
ティアナがはっきりそう言うと、ゲイルが笑い出した。
「ほら、みろ。おまえなんか用無しなんだ。クロフトに戻った方がいいに決まってる。クロフトにはこいつの親の墓もあるしな」
「結婚……ゲイルと」
ティアナは首をかしげながら「結婚する」と繰り返す。クリスは呆然と立ちすくむ。力の抜けたクリスの手の内からゲイルが逃れた。
まさか、そんな。という思いとゲイルから言われた親の墓という言葉に心のどこかが納得をする。
「さあ兄上。これでこの女との縁も切れますよ。この女も生まれ故郷に帰った方がいいに決まっていますよ。離婚証明書に署名を」
いつの間にかカーティスまでもが部屋の中に入ってきていた。彼は手に紙を持っている。離婚証明書を前に押し出しクリスに署名するよう迫ってくる。
クリスはティアナをみつめた。
「ティアナ、きみはクロフトに戻りたいのか? オルタと一緒に」
「……オルタ?」
ティアナの鈍い反応に、クリスは「そういうことか」と低い声を出した。
「カーティス、あとできちんと落とし前をつけるからな。覚えていろ」
「なっ……んのことでしょう」
カーティスの声を裏返る。
クリスはティアナの腕をつかんだ。
「おまえ! ティアナに触るな」
ゲイルが邪魔をしようとするが、クリスは彼を押し払い、低い声で魔法を紡いでいく。光の粒がクリスの手元に集まっていく。光の粒はやがて細長く伸びていき、ゲイルとカーティスにぐるぐると巻き付いていく。カーティスは魔法を使って抵抗をしようとしたが、四つ星のクリスに敵うはずもない。あっけなく自由を奪われたカーティスはゲイル諸共木張りの床に転がった。
ティアナは「ゲイル? 結婚……」とどこか幼子のような口調で繰り返している。
「ティアナ、きみはよくない魔法を掛けられているだけだ。オルタが心配している。家に帰ろう」
「家……結婚……」
ぼんやりと焦点の合わない視線のままティアナはクリスを見上げた。クリスは切なそうに微笑み「大丈夫。悪い魔法は私が解くから」と言って、ティアナの頭を撫でた。
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