第27話妻からのプレゼント

 どういう執念なのか理解できないが、ゲイルはティアナの現在の住まいであるスウィングラー家の蔦まみれの屋敷を見つけた。


 さすがにティアナはオルタと一緒にあきれ顔を作った。よくもまあ、嫌いな相手に対してそこまでしつこさを発揮できるものだ。いや、嫌いだからこそか。よほどティアナの現在の暮らしが気に食わないらしい。

 とはいえ、お屋敷の奥様は馬車での移動が基本のため、侍女を連れて大きな公園にお散歩に行く分には不自由はない。

 ティアナはゲイルと再会以降も自分の生活リズムを崩すことなく生活をしている。


「その後、変わりはないようだな」

「わたしはね。オルタの方が活発に出歩いているから、時々ゲイルに絡まれているみたい」

「オルタは出歩いているのか?」

「ロイのお弁当を届けるのが日課になりつつあるわね」


 帰宅の遅いクリスの口元に「あーん」とスープを運んだら今日も眉間の皺がふかくなった。そろそろ慣れてもいいと思うのに。


「そんなもの、朝出るときに持たせればいいだろう」

「オルタにとっていい気分転換みたい。クロフトと違って、街並みも瀟洒できれいでしょう。お店の軒先を覗くのも楽しいみたいで」


 ティアナとしてはオルタが普通の女の子と同じように暮らしてほしい。のびのびと、自由に。


「ねえ、わたしの報酬の一部を前借りして、オルタを学校に入れてあげられないかな? ここで教師と一緒に習うのもいいけれど、同世代の子たちと一緒の方が楽しいと思うのよ」

 クリスがスープの深皿を奪ってしまったため、ティアナは手持ち無沙汰になる。

「いいところの娘は家庭教師から勉強を教わるのが普通だ。ロイが行っている学校は公立学校だ」


 ティアナは首をかしげる。勉強をする環境に何の違いがあるのかが分からない。ロイが通っているのならオルタが通ってもよいではないか。エニスに友人ができる方が断然いいに決まっている。じとっとクリスの顔を眺め続けていると、彼は少し居住まいを正した。


「オルタの勉強の進み具合を鑑みて……。それからトレイシーと相談する。奴も反対すると思うが」

「どうして」

「スウィングラー家の娘が公立学校に通うなど。家庭教師を雇っているのだからそれで十分じゃないか」

「あの子はわたしの妹よ。スウィングラー家の娘ってわけじゃないわ」

「ティアナは私の妻だろう? ということはオルタは私の娘も同じだ」

「そ、そうなの?」

 義妹じゃなくて、とティアナは少し拍子抜けをする。

「私はきみたちの庇護者だと言っただろう?」


 あれ、本気だったんだ、とティアナは心の中だけで呟いた。けれども、そんなふうにオルタのことまでちゃんと考えてくれるクリスに温かいものを感じる。本当に、クリスは素晴らしい雇用主だ。きらきらした視線を彼に送ると、クリスはなぜだか目線を明後日の方にやったあと、チーズをかけて焼いた魚料理に取り掛かった。


 しばらく彼の食事風景をぼんやり眺める。

 あ、そうだとティアナは思い出したのは彼の食事が終了して、空になった食器を手押しワゴンに片した頃。


「これ、あげるわ」

 取り出したのは紺色のりぼんである。ティアナが自ら刺した刺繍が施されている。

「なんだ、これは」

「習作で悪いんだけど、あなたいつも髪の毛が鬱陶しそうだから。結んだらいいんじゃないかと思って。妻お手製のりぼんをする旦那様。なんか新婚ぽい気がしない?」


 クリスはりぼんを受け取った。男の人がつけてもいいように、魔法の文様を刺すことにした。魔力はもっていないけれど、トレイシーが言うことには、護符の文様を妻自ら刺すということに愛があるとのこと。


「……ここ、間違っている」

「小さいことは気にしないの」


 優秀な魔法使いはりぼんの一か所を指さして間違いを指摘した。普段慣れ親しんでいない文様は初見にはそれなりに難しくて難儀したのだが、わざわざ指ささなくても、とティアナは頬を膨らませる。そこは寛大な心で見なかったことにするところだ。夫婦円満のコツは、たとえしょっぱいスープが出てきても、美味しいよ、と爽やかに褒めることにある。


「だいたい、男がりぼんなど……」

「そろそろ結べそうなくらいの長さじゃない。あ、じゃあわたしが切ってあげましょうか?」

「いや、いい」

「遠慮することないのにー」

 クリスがちっとも懐いてくれなくてティアナは面白くない。自分にもオルタにもよくしてくれるのだから、もっともっと妻らしいことをしたい。


「むう……。じゃあ、そのりぼん直してくるわ」

 返して、と手を差し出すがクリスは「これは貰っておく」と言って仕舞ってしまった。なんなんだ、それは。最近ちょっとだけクリスのことが分からなくなるティアナである。でもまあ、貰ってくれるのは嬉しい。次は完璧に魔法の文様を刺繍してやる、とひそかに誓う。


「少しでも異変があればすぐに知らせるように」

「へ……?」

「ゲイルのことだ」

「あ、ああ。そのこと」

 そういえば最初はその話をしていたのだった。彼と話をしているとすぐに脱線してしまうから。

「ええわかったわ」

 ティアナは手をひらひらと振って、手押しワゴンを押しながらクリスの書斎から出て行った。

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