第28話カーティスの悪だくみ

 黒い蔦に覆われた屋敷はこの界隈では有名である。魔法植物を改造して作られた蔦は、主人の許しを得た人間以外が敷地内に立ち入ると毒をまき散らす。風に揺られて黒い蔦がそよそよと揺れている。近所の子供たちからは化け物屋敷のようだと言われていることを、カーティスはきちんと理解をしている。けれども近所の評判よりも兄が落ち着いて暮らせることの方が重要なため、黒い蔦を外せとは言わない。たとえ現在カーティス自身が出入り禁止の身になっていようとも。


 その兄の屋敷の前を数日前から知らない男がうろちょろしていることは、もちろんカーティスも把握をしていた。

 クリスはデュニラス王国の中でも特に優秀で魔力高い、四つ星持ち。若干二十九歳という若さながら国の要職に就き、王家からの信頼も厚い。こういう胡散臭い輩が難癖をつけ、クリスに付きまとうということも少なからずある。


 カーティスはまだ年若い、少年と青年の境のような男を観察した。

 数日観察をして分かったことは、彼はどうやらオルタとティアナの知り合いだということ。ティアナとは違いオルタは頻繁に外出をする。さすがは元町娘といったところか。姉と一緒というわけではなく、ロイの元へ昼食をよく届けているのである。帰りに街の大通りを物珍しそうに歩くこともしばしば。


 そういうときに件の男がオルタに声をかけている。

 彼女はとても嫌そうに、男を避けているが男はまるで悪びれていない。くすんだ金髪をした、たいして印象にも残らないのっぺりとした顔の男だ。まるで垢ぬけていない。カーティスは興味を惹かれて魔法を使った。風の魔法はカーティスの元に二人の会話を届けてくれる。


「……だから、お姉ちゃんのことはもう放っておいてよ」

「べつにあいつに用があるわけじゃねえよ」

「じゃあどうしてスウィングラー家のお屋敷の周りをうろちょろしているのよ」

 二人は言い合いを続けている。カーティスはじっと耳をすました。


「あいつ、絶対にだまされているだろ。泣かされたって知らないんだからな。だいたい、あんな教養も何にもない娘が魔法使いの嫁とか。無理だろ」


 うんうん、そうだろう。そうだろう。カーティスは木の影から頷いた。しかし、クリスがティアナを騙しているということには異を唱えたいところだ。騙しているのはオルタの姉、ティアナの方ではないか。


「さっさとクロフトに戻ってきた方が身のためだぜ」

「……どっちにしろ、あの町にはもういられないよ」


 さては、居られなくなるような悪いことでもしたのではないか。エニスの出身ではないと言っていたが、クロフトというのが出身地のようである。カーティスは頭の中にデュニラスの国内地図を思い浮かべるが、あいにくと知らない地名だった。無理もない、小さな町なのである。


「コリーのことなら知っているよ。なんだったら、俺から口利きをしてやってもいいんだぞ」

「この街で暮らしていくから、ヘーキ。あんたはさっさとクロフトに戻ってお嫁さんでも貰った方がいいよ」

 オルタは言いたいことだけ言って駆け出した。大人の男の足が子供のそれに追いつくことはたやすくて、オルタは首根っこを金髪の男に掴まれた。


「ちょっと。何をするのよ」

「この俺に、指図をするな。捨て子の分際で」

「う、うるさいっ!」


 オルタはじたばたと手足を動かした。カーティスはまずいと思った。元の出自がどうであれ、今のオルタは一見すると良家の子供である。いつも仕立てのよい子供服を着ているのだから当たり前だ。それを、ややくたびれた外套を身に纏った男が乱暴に扱ったら、どちらに分があるか、わかりそうなものである。なにしろカーティスも一度痛い目に合っている。


 カーティスは小さな声で呪文を唱えた。二つ星だが、カーティスとて魔法使いの端くれなのである。

 すると、金髪の男の足元で風が湧き起こる。初歩の風魔法だ。足元を掬われた男が体の軸を傾けた隙を逃さず、オルタは男から逃れて走り去った。


「あ、こら」


 男はバランスを崩してその場にこけた。幸い、通りの人はまばらで幾人かが彼に視線をやり、その後何事も無かったかのように歩き出す。

 カーティスはゆっくりと男に近づいた。下手に騒ぎを起こされては、その後の接触にも支障をきたすというものだ。


「おい、おまえ」


 カーティスは未だに石畳の上に尻をつけた男に声をかけた。間近で見ると垢ぬけないが、どこか傲慢そうな顔つきをしている。カーティスはわざと胸を大きく反らせた。


「な、なんだよ。おまえ」


 座り込んだ男はカーティスを見上げ、少しだけひるんだように声を出し視線を横に逸らした。ふうん、とカーティスは面白くなる。


「私の名はカーティス。おまえの話次第では……味方になってやらんことも無いが」


 年若い男は、カーティスの言葉を聞き、胡乱気に見上げた。不躾な視線も許してやろう、とカーティスは居丈高な態度で余裕を見せた。

 この男の出方次第ではクリスにまとわりつく大きな虫を駆除できそうである。カーティスは喉の奥からせりあがってくる笑みを一生懸命飲み込んだ。




 その日、ティアナはオルタと一緒に馬車で出かけることにした。デイジーも一緒である。何でも近頃エニスで流行っているお菓子店があるとのこと。


「うーん、でも。夫の留守中に勝手に遊び歩いていいのかしら」

 少し後ろめたくてティアナは馬車の中で何度も同じセリフを吐いている。

「あら、奥様にも息抜きが必要ですわ」

「うーん……。息抜きをするほどつらい生活でもないのよね」


 寝る場所もあるし毎日三食おやつ付きで用意されている。菓子店にケーキを食べに行くことに後ろめたさを感じてしまうのだが、デイジーはまったく気にするそぶりをみせない。むしろ、奥様は質素すぎますと言われる始末。


「流行のケーキを食べたことが無い、っていうほうが笑われてしまいますわ。それに、大きなガラス窓の側でケーキを食すティアナ様。あああもう、麗しすぎて涎が!」

 じゅるり、と口元をぬぐう仕草をするデイジーに、オルタが頬を引きつらせた。


「にしても、ケーキを食べないだけで笑われちゃうなんて、変な世の中ね」

 エニスはクロフトとはまるで違っていて、ティアナは肩をすくめた。

「トレイシー様も、ティアナ様には息抜きが必要だとおっしゃっておられましたわ」

「まあ、彼がそう言うなら……」


 ティアナを乗せた馬車は軽快に街中を進んでいく。高級住宅街から商業地区へと街の景色が変わる。大きな街路樹を飾る葉は黄色く色づき、風が吹くたびにひらひらと踊りながら色づいた葉を散らせていく。


(去年の冬とは大違いだわ……)


 不思議な縁だな、とティアナは街の光景を眺めた。コリーに売られそうになって姉妹二人きりで知り合い一人としていない王都へとやってきたというのに。いつのまにか、この街に馴染んでいる自分たちがいる。新品のドレスを身に纏い、お抱えの馬車に乗り王都を闊歩しているだなんて、誰が想像できたであろう。


 デイジーおすすめの菓子店は、なるほど若い女性客でにぎわっていた。店内はテーブル席と持ち帰り用で仕切られていて、ティアナはオルタと一緒に店内へ案内された。てっきりデイジーも一緒かと思ったのに、侍女は女主人と同じテーブルにつくものではない、と固辞された。


「わたしだってそんな身分じゃないのにね」


 姉妹二人で窓際の席に案内される。デイジーはどうしているのだろう、と思って探したら少し離れた植物台の後ろからこちらを遠眼鏡で覗いていた。目があうと、なぜだか親指を立てられた。


(えっと……気が付かないほうがよかった……)


 とても優秀な侍女だと思うのだが、たまに分からない時がある。


 何を頼んでいいのか分からず、適当に指を刺してケーキとお茶を頼んだ。そういえばそろそろ本格的にお茶の時間の講習を始めましょうか、とトレイシーが言っていたな、とティアナは思い出した。もしかしたら予行演習なのかもしれない。巷で流行っているお菓子店の雰囲気を見て来いという遠回しな教育の一環? とティアナは勘繰った。


「うわぁ。美味しいっ」


 オルタは呑気な声を出して運ばれてきたケーキを頬張っている。チョコレートケーキはクリームとスポンジが何層にもなっていてとても手が込んでいる。添えられた白いクリームは甘さ控えめでケーキを邪魔していない。そっと辺りをうかがうと、女性たちはみんな友人同士で来ているのか楽しそうに会話をしている。


「お姉ちゃん、美味しいね」

 オルタが無邪気に笑った。

「そうね。おいしい」


 難しいことを考えるのはよそうと思った。ケーキは美味しいし、オルタは喜んでいる。作法の教師から習ったとおり、ティアナはお行儀よくケーキを口に運んでいった。妹が嬉しそうだと姉として笑みがこぼれる。たまには、こういうのもいいのかもしれない。できれば、次はクリスも一緒がいいな、と思うが彼はこういう雰囲気は苦手そうだ。けれどもお土産を買っていくくらいなら、とティアナはこの場にはいないクリスのことを考える。そういえば彼の食の好みとはどんなものだろう。帰ったら聞いてみないといけない。彼とは共犯者のようなもので、他愛もない雑談をすることがいい気分転換になっている。


「クリスにお土産買って帰ろうか」

「そうだね。わたしたちだけ甘いの食べちゃったしね」


 ティアナの提案にオルタも素直に頷いた。彼女もクリスには感謝をしているのだ。

 食べ終わり席を立つと、給仕係がやってきて、「この店は温室があるのですよ」と教えてくれた。給仕係の男と目が合ったとき、どうしてだかとても興味を惹かれたティアナはオルタと一緒に店の喫茶スペースから直接外へ出た。大きなガラス戸を開いて、外に出る。


 温室ってどっちかな、と考えていると手を引かれた。

 ふわりと、鼻腔を何かの香りがくすぐった。ティアナが覚えているのはその香りがやけに甘いということだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る