第21話オルタ、初めてのおつかい

 たくさんの人に囲まれて生活をするのは大変だと、最近のオルタはしみじみと感じている。クリスとティアナの結婚が実は雇用関係の延長で、世間の煩わしさから逃れるためにティアナというお飾りの妻を用意したに過ぎないのに、結婚をしたら屋敷の中でも夫婦らしさを求められてしまう。もういっそのこと全部ばらしちゃえばいいのに、と思うのに。大人とは面倒な生き物で、社会とは理不尽だ。子供というだけでオルタは蚊帳の外に置かれてしまうのだから。


 今日のオルタは朝からティアナとは別行動だ。彼女は三日に一度のお手入れの日なのである。デイジーたちの甲斐甲斐しい世話のおかげでティアナは日に日に美しく輝いている。荒れてカサカサだった肌は艶やかぷるぷるだし、手もすべすべだ。オルタの手も昔のそれは大違いであかぎれ一つない。昔からきれいだったけれど、ティアナは本当に美しい。オルタがうっとり見つめるくらい輝いている。


 オルタは朝の授業を一通り追わせて部屋から出た。

 このあとは何をしようかな、と階下へ降りていく。ティアナのおこぼれのおかげでオルタもお屋敷のお嬢様のような扱いを受けているけれど、やっぱりそれは落ち着かなくて、できれば誰かの役に立ちたい。手が空いているのだし、お手伝いすることないかな、と思い使用人の領域に顔を覗かせる。


「マクレーン夫人、どうしたの?」

 なにやら慌てて人を呼んでいる料理番の声に導かれたオルタは彼女に声をかけた。

「ああ、オルタお嬢さん。いやね、ロイのやつがお昼を忘れて行ったものだから」

「じゃあわたしが届けようか?」


 こういうときこそオルタの出番である。

 クリスが世話をしているロイという魔法使い見習いの少年は学校に通っている。魔法を学ぶための私塾は午後からで午前中はエニスにある初等学校に通っているのである。学校かあ、とオルタは想像してみる。同世代の子供が集団で勉強を学ぶところである。クロフトにはかろうじて教会がその役目を担っていた。しかしオルタのように日々生活をすることで精いっぱいの家の子は通うことができなかった。子供とはいえ貴重な労働力だからだ。


「いや、しかしね」

 お屋敷のお嬢様に使い走りなんてさせられない、とマクレーン夫人は大きな体を少し揺らした。

「わたし時間あるし。ロイともっと仲良くなりたいんだよね」

 オルタはもう一押ししてみることにする。

「けどねえ……」


 首を縦に振ることを躊躇うマクレーン夫人に、オルタは「じゃあトレイシーさんの許可をもらってくる」と言い駆け出した。いくつかの部屋を覗き、トレイシーを見つけ説明をすると彼は「まあいいでしょう」と承諾をしてくれた。オルタは飛び上がって喜んだ。


 エニスの街にもっと詳しくなりたいし、こういう役目をこなす方が自分らしくもある。お嬢様のお仕事はあまり向いていないのである。

 トレイシーはオルタに地図を書いてくれ、あまり目立たない馬車を用立てるという。クリスのお屋敷はお金持ちの住まう区画にあり、一区画がとても大きいからだ。オルタの小さな歩幅ではお昼に間に合わないと言われれば仕方がない。それに、たしかにこの地区は大きなお屋敷が多すぎる。


 オルタは小さな馬車に乗ってロイの通う学校へと向かった。

 お屋敷街を抜けたところで降ろしてもらう。貴族のお屋敷が立ち並ぶ区画を抜けると今度は中流階級の人々が住まう区画へと変化をする。この区画にある学校にロイは通っているのだ。オルタは少し緊張してきた。田舎の町の子が尋ねて行っても平気だろうかと今になって少し怖くなったのだ。オルタは辺りを見渡した。街路樹の立ち並ぶ通りには馬車が走っている。道の端には子供を連れた婦人が歩いている。手を引かれた子供と今の自分を見比べる。恰好だけはオルタも一端のお嬢様だ。


「てことはきょろきょろしなきゃ大丈夫」

「なにが大丈夫なんだ?」

「わぁぁ」

 独り言に返事が返ってきてオルタは慌てた。

 見上げると黒い髪をした紳士がすぐ隣に佇んでいた。


「えっと……カーティス……様」

 あんまり付けたくはなかったけれど、敬称を付けて呼んだオルタに、カーティスは不機嫌そうな顔をした。その顔、こっちがしたいんですけれど、とオルタは思った。この男にいい印象があるはずもない。人の大事な姉に火吹きとかげをけしかけたのだから無理もない。


「呑気に街歩きか。いい気なものだな」

「お使いです。ロイにお昼を届けるんです」


 オルタは歩き出した。

 トレイシーの描いてくれた地図を広げて通りの名前を確認する。クロフトとはけた違いに大きな街なのだ。さすがは王都。最初に到着した時に泊まっていた安宿街の雰囲気とも違う。エニスは王都で、広さはクロフトの何倍もある。ひとつの街にいくつもの表情があるのだ。


「ああ、あの少年か」


 カーティスもロイのことを知っているらしい。

 というか、どうしてカーティスはオルタについてくるのだろう。オルタの視線に気が付いたカーティスは「たまたまだ。兄上の屋敷から馬車が出てきたから」と言い訳をした。


(ああそうですか。未練がましくお屋敷の外を張っていたんだね。暇人め)


 オルタの視線の意味を正しく解釈したのかどうか。カーティスは不機嫌顔でこちらを見下ろした。

「おまえのようなどこの馬の骨とも知れぬ子どもが一端に気取りやがって」

「文句を言いたくてわたしを捕まえたんですか? 暇人ですね」

「なっ、おまえ。生意気だぞ」

「なんとでも。……ええと、この通りを右に曲がるのか」

「ふんっ。学校ならそこをまっすぐ行って四番目の辻を左だ」

「……」

「なっ、なんだ。その目は。話に集中するためだ。地図を読みながらでは私の話に集中できないだろう」


 カーティスの言によると、まだ何か用件があるらしく、こっちの話に集中するための親切心とのこと。まあいいか、とオルタは嘆息した。

 地図をしまって歩き出す。隣にはしっかりとカーティスの姿もある。


「兄上はきみのお姉さんに騙されている」


(それはこっちの台詞なんだけど)

 それはオルタが言いたいことである。ティアナはクリスに騙されているのではないか、と。今は紳士的に振舞っているけれど、いつティアナに対して下心を丸出しにするかわかったものではない。オルタは男女の営みについても、それなりに理解をしている。少なくとも、娼館に売られた娘がどういうことをさせられるのかについての知識は持っている。


「確かに見てくれは美人だ。正直驚いた。ただの町娘にしては、きみのお姉さんは……まあ、見れる顔をしている」


(結構失礼な男だね。そこは素直に褒めよーよ)

 お姉ちゃん大好きっ子としては渋面を作るしかない。貴族ってこういう面倒な言い回しが好きなのかな。確かに、習った詩はやたらとくどい言い回しをしていた。お金持ちって面倒だなぁ、と子供心に呆れた。

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