第20話妹は情緒不安定
「てことがあってね」
さっそくクリスが帰宅をしたのち、ティアナは彼の書斎へと赴いた。
クリスはティアナの報告を聞いて、ぴきりと頬を引きつらせた。気持ちはとてもよくわかる。
「偽物夫婦ってことはトレイシーしか知らないんだし。まあ、そうなるわよね。どうしよう?」
「……どうしようと聞かれても」
「それとも週に一度は同衾の日を作る?」
ティアナはとりあえず提案してみることにした。確かに契約で偽物夫婦とはいえ、周囲にそれを秘密にしているのならプロの妻として同衾くらいはしたほうがいい気はする。
「何を言い出すんだ」
「うーん、わたしプロの妻だし。寝台は大きいから一緒に寝ても差し支えはないかなって」
「その……透け透けの寝間着を着るんだろう? 風邪ひくぞ」
「旦那様が温めてくれるんでしょう?」
「寝言は寝て言え!」
クリスが大きな声を出した。ちょっと冗談が過ぎたらしい。ティアナは「ごめん、冗談だって」と断りを入れた。クリスは「そういう冗談は絶対に言うな」と念を押した。
「あなたが紳士だと知っているから、こそよ」
「あまり簡単に男を信用しない方がいい」
「へえ。あなたでもそういう感情あるんだ」
「……」
そう言うとクリスは返事をせずにジトリとこちらをねめつけた。色々と深入りし過ぎたらしい。ティアナは小さく肩をすくめた。
「でも、このままだとデイジーは納得しないわよ」
「……何か考えておく」
クリスがそう言うならあとは彼とトレイシーでどうにかデイジーを丸め込んでもらおうとこの話題を終わらせようとしたとき、勢いよく書斎の扉が開いた。オルタである。
「ちょっと! そこのむっつりスケベ! どさくさに紛れてお姉ちゃんに手を出そうとしたらわたしが許さないんだからね!」
先ほどからオルタは情緒不安定なのだ。寝具店の次に寄った身づくろいの品を置いてある雑貨店でも、その次に寄ったお菓子店でも彼女は始終むすっとしていた。オルタは心配性なきらいがあるため、ティアナが手籠めにされないかと心配をしているのだ。クリスはそんなことしないし、わたしだって春は売らないわよ、と言ってもオルタはずっと泣きそうな顔をしていた。
「む、むっつり……だと。私は女性に対しては紳士的だ」
「オルタ。だめよ、大人同士の会話に首を突っ込んだら」
「お姉ちゃんに任せておくと流されそうだからだよ」
「あのねえ。クリスは雇い主としてきちんとしているわ。わたしだって、そう簡単に体を許すつもりは無いって」
ティアナがオルタの目を見てしっかり言うと、彼女は口を閉ざして、けれども何かを訴えるような目でこちらを見つめた。彼女は立ち行かなくなったティアナが最終手段をとることを恐れている。ちっぽけな女子供が二人きりで生きていくには世間は厳しすぎる。ティアナにある財産といえば女であることと若さだ。幸いに今のところ体を売る選択は回避できている。しかしオルタの懸念は消えないのだろう。実際ティアナは自分の知らないところで売られかけた。ティアナには庇護してくれる人間がいなかったから。
「私はきみのお姉さんに無理強いはしない」
「そんなこと言っても男は狼だからってシェリーおばさん言っていたし」
「きみたち姉妹はそろそろシェリーおばさん信仰から脱退しろ」
「だって、クリス様お姉ちゃんに馴れ馴れしいもん」
「どっちかというとティアナの方が私にべたべたとくっついてくるだろう?」
「あら、わたしは契約を遂行するために仲の良い妻っぷりを演出しているだけよ」
「お姉ちゃんは演技過剰なんだよ。そういう態度が男を惑わせちゃうんだよ? シェリーおばさんも言っていたでしょ。男は単純馬鹿だからすぐ調子に乗るって!」
「……それは婉曲に私のことを馬鹿だと言っているのか?」
「まあまあ。クリスたら、言葉の綾よ。オルタは昔っから男性不信のきらいがあるから」
ティアナはクリスをなだめることにした。拾ってすぐの頃は警戒心強い野生動物の様なオルタだったが、二人きりの生活に慣れてくるとなかなかどうして口の立つしっかりした子供だった。というか男性嫌いの気があるようなのだ。捨て子とクロフトの町でからかわれて育ったから無理もない。
「オルタ、雇い主にそういう口のきき方をしては駄目よ」
「……はい」
「じゃあちゃんと謝って」
「……ごめんなさい」
オルタは唇を噛みしめ、悔しそうだったがそれでも姉の言うことに従いクリスに謝った。これで機嫌を直してくれるといいのだけれど、とティアナがクリスの様子をうかがうと、彼はゆっくりと頷いた。心の広い雇い主で安心する。
「ありがとう、クリス」
「……いや」
クリスは素っ気なく答えた。それから彼は手紙の返事を書くから先に食堂へ行っておけ、と言い二人を追い出した。最近クリスの帰宅時間は早い。一緒に夕食を食べる機会も増えている。クリスと一緒だと覚えたての食事作法も張り切って使えるというもの。
ティアナはまだ固い顔をしたオルタの背中を押して部屋を出た。彼なら上手くやってくれるだろう。雇われ妻という職業も色々と大変なのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます