第19話勝負下着ならぬ勝負寝間着を斡旋されました

 午前中に座学をしっかり学んだ後、ティアナとオルタは外出着に着替えてエニスの中心部へと繰り出した。先日の街歩きとは違い今日は侍女のデイジーも一緒である。前回おいて行ったことを根に持っているらしく、絶対に付いていきますと言い張ったのだ。本当にぴたりと張り付かれて参ってしまったティアナとオルタはしぶしぶデイジーの同行を認めた。お屋敷の中では奥様として澄ましていなければならず、妹と二人きりで外出をしてみると思いのほかよい気分転換になったのだが仕方がない。


 デイジーはうきうきした様子でエニスの街のおすすめを二人に話して聞かせた。馬車はエニスの商業地区へと向かっている。

 やはりこの前の外出の時に栗やらキノコやら果物を買ってきたのがよくなかったのだろうか。トレイシーがお小遣いをくれて、つい財布のひもが緩んだのだ。ぷっくりと膨らんだ栗がとても美味しそうに市場の屋台に盛られていたからだ。ロイもなんだかんだと美味しそうに焼き栗を食べていたからよかったと思うのに。火遊びはするなとクリスからも窘められてしまった。火が無いと栗を美味しくいただけないというのに。


 二人が連れてこられたのは大きな通りに面した店だった。デイジーは軽やかな足取りで店の扉の前まで歩いていき、ティアナたちのために扉を開けてくれた。奥様扱いにはいまだに慣れなくてしょっちゅう背中がむずむずしてしまう。それにこれに慣れたら駄目だなとも思う。


「いらっしゃいませ」


 お仕着せを着た女性が出迎えてくれる。年上の、黒髪の女である。デイジーはすました顔を作って「新作を見せてくださいな」と話しかけている。ティアナよりもよっぽど慣れている。ティアナはついきょろきょろしそうになるのを必死で我慢しているというのに。


 それにしてもここはどういう店だろう。店内はどこかのお金持ちの私室のような雰囲気である。床には絨毯が敷き詰められ、部屋の中央には応接セットが設えてある。上張布は品のよい緑地の花模様でほつれておらず、よく手入れされているのがわかる。


「さあ、奥様こちらへおかけになってください」


 黒髪の女に促され、ティアナは椅子に座った。そのすぐそばにデイジーが佇み、オルタは少し離れたところにある一人掛けの椅子に案内された。ほどなくして明るい茶色のドレスに身を包んだ婦人が姿を現した。手には布切れを持っている。ここはドレス店だろうか。ティアナの身に纏うものはすべてスウィングラー家へやってきたドレス商が仕立てている。もうこれ以上の衣服は要らないのでは、がティアナの率直な感想である。


「奥様。こちらは新作ですの」


 ティアナよりも年上の年齢不詳の婦人が広げたのは薄い布切れ、いや寝間着だった。それにしてもレースでできた寝間着とは寒そうである。秋もだいぶ深まってきているのだが。


「これは……なんていうか……。だいぶ凍えそうね」

「まあ。殿方がすぐに温めてくださいますわ」

「へぇ……?」

 ティアナは首を小さく傾げた。


「こちらはデュミランレースで仕立てておりますの。この少しだけ透けた肌に殿方は興奮するのですわ。もちろん、レースの下に下着を付けてはいけませんわ。恥ずかしがってはいけないのです。そして、このりぼんを体に巻き付けるのも一興ですわ」

「まあ。とってもそそられますわね! 繊細なレースの寝間着をまとった奥様。あああああ、興奮しては、鼻血が……」


 なぜだかデイジーが鼻を押さえている。


「そうですわ。奥様、ガウンのようになった意匠もございますのよ。これだと脱がしやすいですし、殿方が苛つくこともございませんわ」

 もう一つを取り出した夫人がうふっと微笑んだ。

「ちょっと、ちょっと。ちょぉぉぉっと待った! デイジーさん、お姉ちゃんになんてものを斡旋しているんですか!」


 色々と事態についていけないティアナに代わってしっかり者のお姉ちゃん大好きオルタが三人の間に割って入った。デイジーの腰のあたりを掴みぐらぐらと揺さぶる。


「オルタ様にはちょっと刺激が強いですわね。ちょぉっと控えの間で待っていてもらえますか?」

「いやいやいや。それよりも、こんな透け透けの寝間着、お姉ちゃんには必要ありませんっ!」

「いえ、必要大ありでしょう」

「無いですっ!」


 言い合いが始まったが、そこはデイジーである。抜かりはなかった。ささっと目配せをすると店員が近づいてきた。デイジーと二人がかりでバタバタと暴れるオルタを連れ去ってしまった。

 手際のよいことこの上ない。ティアナは事態を見守り、それから内心、あああやっぱりそういう方に気を回しちゃうわけねぇと大きくため息を吐いた。ティアナはクリスの妻なのに、未だにオルタと一緒に眠っている。私室が二人一緒なのだ。


 本来夫の腕に抱かれて眠るはずの妻が小さな妹を抱きしめて眠っている。そりゃあお屋敷勤めの侍女が不審に思っても無理はない。

 オルタを別室へと追いやり、デイジーがすがすがしい顔をして戻ってきた。


「奥様。わたしはとっても心配しているんですよ。新婚なのに旦那様は奥様と一向に一緒に眠る気配も無いじゃないですか」

「そうねえ……。クリス、仕事で忙しいから」


 ほら、四つ星の魔法使いだし、とティアナは続けた。実際クリスは始終忙しそうである。そして魔法の研究が大好きでもある。トレイシーも言っていたが、魔法使いの間では結婚をしても夫婦別々に眠ることが珍しくないそうだ。魔法研究のためにお互い自分の時間を大切にする傾向があるという。王宮魔法局に所属をしている女性も少なくないからだ。もちろん貴族の本家の娘は令嬢教育も受けているため、社交に勤しみ魔法を使うのは社会貢献としてのみ、という女性も多い。


「奥様がそんな呑気なことでどうするんですか! せっかく毎日お手入れした白い肌もきらきらの銀色の髪の毛も、ぷりっぷりの唇も! もったいないじゃないですか」

「うーん……でもねぇ」


 契約妻なのだから夜は別々に眠って当然だ。クリスとティアナとの間にある契約では夜のお相手は無し、ということになっている。どうしても発散したければ外で適当によろしくやっているだろう。ティアナはとってもドライなことを考えた。


「ほら、こういう寝間着を着ればどんなに枯れた男だって多少はむらむらっと来るものです」

「枯れ……」

「てますよね! 旦那様」


 契約結婚のおかげで妙な誤解を受けているクリスにティアナは同情した。まだかろうじて二十代なのに、枯れている認定されるってどうなのだろう。とはいえ夜のお勤めは……うーん、とティアナは考える。


 クリスは口数は少ないし愛想がいいわけでもないけれど、乱暴ではないし紳士だと思う。若干年上かな、とは思うけれど、ティアナの知っている二十九歳よりは若々しく見える。だから夜のお相手も、と言われたら……。どうだろう。できるのだろうか。自分に。いや、さすがにオルタが悲しんでしまう。まあでも頬っぺたにチューくらいならしてあげてもいい気はする。


 それくらい許せるほどクリスに慣れてきた。手を繋ぐのも腕を組むのも平気なのだから、と思いのほか真剣に考えたティアナは、従業員から好かれるのも雇用主としては大切な資質だな、と結論付ける。


「奥様。せっかくなのでこのデュミランレースの寝間着をお買い上げしましょう。これなら絶対に旦那様もイチコロです」

「わたしとしてはもうちょっとあたたかい寝間着の方が欲しいけれど」

「あら、これからの季節にぴったりのあたたかい寝間着もございますわ、奥様」


 婦人は微笑み立ち上がる。ここは寝具専門店なのだろうか。話題が別のものに逸れてホッとしたティアナはせっかく連れてきてもらったのに、ということもありあたたかそうな寝間着と靴下を買い求めた。デイジーは未練がましくデュミランレースの寝間着もお会計に加えていたのが不安事項ではあるけれども。これは今日絶対にクリスと打ち合わせをしなければ、とティアナは心に誓った。

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