第18話火遊びもほどほどに

「そういえば、奥様はその後いかがですか?」


 職場である王宮魔法局魔法薬部で部下のサディスから問われたクリスは「普通だ」とそっけなく答えた。

 クリスの奇行は魔法使いの世界コミュニティに知れ渡っている。親族からの結婚圧力に反発をして魔力を持たない市井の女性を妻に迎えた変わり者としてである。


 四つ星保持者の電撃結婚に周囲は大変驚いた。クリスに離婚歴があることは上流階級には知れ渡っている。それでも四つ星保持者で元は領主でもあったスウィングラー家と縁を結びたいという家は後を絶たず、見合いの話が持ち上がることは日常茶飯事であった。カーティス以外の人間もクリスにしょっちゅう縁談を持ちかけていたのだ。


「ふ、普通ですか……」


 サディスは曖昧に頬を引くつかせた。クリスとしてもそう言うしかない。クリスが迎えたのは妻といっても仮初の妻だ。お飾りの、職業妻なのだ。同じ屋敷に妻という役割を持った女性が同居しているという感覚なのだ。なかなかに度胸の据わった元気のよい娘ではあるが。


「ええと……。自分も少しばかり関わったため、一度ティアナ嬢の様子を確かめたいのですが。ロイの様子も気になりますし」

「好きにしろ」


 世話好きのサディスらしい言葉である。サディスは魔法薬部のクリスの部下でもある。それなりに優秀な魔法医でもある。なにかと細やかで心配性のサディスは自分のペースを崩さないクリスのいい世話役でもある。ちょこまかとクリスの身の回りの世話をしているうちに周囲からもクリスの秘書認定を受けつつある。


 ちょうどティアナを拾う場面に出くわした彼がその後の行方を気に掛けるのも道理か、とクリスは考え屋敷に連れ帰ることにした。それにサディスは現在クリスの屋敷で面倒を見ているロイの様子も気に掛けている。スウィングラー家の遠縁でもある家に生まれた魔力持ちの子供、ロイは親に持て余され巡り巡ってクリスの元へ預けられた。ちょうど屋敷で雑用係が欲しかったクリスが魔法の知識と制御を教える代わりに魔法部屋の整理整頓を言いつけているのだ。子供への接し方など分からないクリスは部下にするのと同じようにロイにも接している。若干十歳のロイを気に掛けているのはサディスの方である。


 二人で馬車に乗り屋敷へと戻る道中サディスは「そういえばティアナ嬢の妹さんはロイと近い年齢だから話が合いますね」と言ってきた。クリスはどうだろう、と眉を顰める。そもそも日中家にいないため彼らがどのように過ごしているのかが分からない。


「だいたいクリス様は放任主義過ぎなんですよ。もっとロイに対しても積極的に接していかないと」

 ぐちぐちと煩い男である。クリスはサディスの小言を九割がた聞き流し、彼の言葉がまるっと一周回ったところで屋敷に到着をした。黒い蔦は主人に対してはとても忠実である。


「相変わらずおどろおどろしいですね~」

「面倒な客を追い払ってくれる可愛い蔦だろう」

「ははは……」


 屋敷の壁を這う蔦のお陰でこの屋敷はご近所さんからお化け屋敷との異名を取っている。不法侵入者に対しては問答無用で毒をまき散らすおかげで泥棒とも無縁の安心した生活を送ることができる。


 屋敷の中に入るとトレイシーが出迎えた。暇なら現役に復帰しろ、と呼び寄せた元執事はすぐに現場の勘を取り戻し、現在クリスの屋敷を取り仕切っている。おかえりなさいませ、と丁寧な仕草で出迎えたトレイシーにサディスが「どうも、サディス・ディケンズと申します」とへこへこしている。


「今日はお早いお帰りですね」

「まあな」


 日の短くなったこの時分だが、まだ夕暮れ時には少しの猶予がある。上着を従僕に預けサディスを書斎に連れて行こうとしてクリスは思い出した。この男はティアナの様子が知りたいと言って付いてきたのだった。


「そういえばティアナは今日どうしている?」

「奥様はお庭でオルタ様とロイと栗を焼いていらっしゃいますよ」

「栗?」

「今日は街へ買い物に出かけられまして。焼き栗の屋台を見つけて、ぜひにも食べたいと」


 そういうわけで栗を買ってきて庭で焼いているのだという。トレイシーは柔和な笑みを浮かべている。クリスは様子を見に行くことにした。サディスも後ろから付いてくる。庭へ出ることができる扉を開くと、歓声が聞こえてきた。女性特有の高い声である。


「さあヒーくん。思いっきりやっちゃいなさい」


 庭ではティアナが火吹きとかげに向かって元気よく命令をしている。すぐそばにはロイとオルタがいる。少し離れた場所には彼女の侍女の姿もある。カーティスの置いていった火吹きとかげの世話はひとまずロイに委ねた。ロイはティアナととかげを交互に見ている。ティアナはとかげにむかって「さあ!」と急かしている。火吹きとかげが口を開き炎を吐き出す。すると近くにこんもりと積まれている落ち葉がぶわっと燃えた。


「うわあ、便利ね~」


 ティアナは棒を持ち、焚火の中を突いている。傍らではロイが半分固まっていたが、火吹きとかげが、げふげふと炎の塊を吐きだそうとする気配を察知して慌てて口に輪をはめた。魔法封じの口輪である。まだロイに慣れていないため口輪をした後に結界を張った檻に戻すのだ(檻の中に入れたあと口輪を外す)。オルタがロイに何か話しかけているがロイは真っ赤になってうつむいたまま、火吹きとかげを檻に戻す作業を続けている。


「何をしている?」

 見てわかることだったがクリスは尋ねた。ティアナは顔を上げ、締まらないふやけた顔をつくって「栗を焼いているのよ」と答えた。すでに視線は焚火に向けられている。


「どうしてとかげで火をつけるんだ」

「え、だって面白そうだから」

 至極簡潔な答えが返ってきた。クリスは大きなため息を吐いた。それからロイをじろりと睨む。ロイはびくりと肩を震わせた。


「常々ロイとも仲良くなりたかったのよ。あなたの弟子なんでしょう? 使用人ともちょっと違う立ち位置だし、オルタのいい遊び相手になってくれないかなって。ねえ、ロイ。今日はありがとうね」

「い、いえ……べつに」


 にこりと笑いかけられたロイは酸欠の魚のように口をぱくつかせた。横目にその様子を見ていたオルタが「お姉ちゃんの笑顔に他意は無いからね」と冷たい声で念を押している。今のところいい話し相手というより敵視をしているようにしか見えない。オルタはティアナのことが大好きなのである。


「ドレスに燃え移ったらどうする」

「あら、平気よ」


 ティアナは栗にしか興味が無いらしい。ぱちぱちと爆ぜる焚火の様子を熱心に眺めている。それはオルタも同様で、クリスの隣にいるサディスにも気が付いていない様子。やがて栗の皮がぱちっと弾けた。


「うわっ」

 クリスは素早く彼女の体の前に結界を張った。

「ありがと」

「火傷をしたらどうする」


 クリスはティアナの体を引き寄せた。白い肌に傷が付いたら一大事だ。女性はそういうことをことさら気にする生き物だということをクリスはきちんと知っている。


「あら、火傷なんて気にしていたら生きていけないわよ」

「……」


 ティアナはクリスの知る女性とは若干違う価値観を持っているようだ。彼女はぺりっとクリスを引きはがし棒を使って栗を焚火の中から取り出していく。そういうのはおまえがやれ、という無言の圧力に気が付いたロイが慌ててティアナから火かき棒を奪おうとするが自分でやりたいティアナは「大丈夫」と言って離さない。ころころとよく焼けた栗が取り出されティアナとオルタが目を輝かせる。


「美味しそう~。ねえ、クリスも食べ……。あら、あなた……」


 ここでようやくサディスの存在にティアナが気が付いた。存在をほぼ忘れられていたサディスが微苦笑を交え「お久しぶりです。ティアナ嬢」と挨拶をした。


「やだぁ、もう。クリスったらお客様を連れてくるならちゃんと言ってちょうだい。ええと、今更だけれど、ごきげんよう。サディス様」


 ティアナは火かき棒をロイに押し付け火の元から少し離れたところで腰を落とし、優雅に礼をした。毎日嫌になるほど練習をさせられた、と愚痴られたトレイシー主導の淑女修業の成果である。銀の髪はつやつやに保たれ細い鎖の飾りで緩くまとめられている。濃い青色のドレスはふくらはぎ丈。ブーツはつやつやとした飴色に磨かれている。初見とは見違えるほどに娘らしい姿になったティアナを前にサディスは口を半開きにした。驚くのも無理はないと思う。クリスだってティアナの変貌には目を見張っているのだ。驚くほど食の細かった彼女だが最近ではだいぶ食べられるようになり、頬もふっくらとし血色もよくなった。日に日に美しくなるためクリスですら内心、女は化ける生き物だと感心しているのだ。


「ごきげんよう、ティアナ嬢。い、いや、あの。驚きました」

「自分でもびっくりしているのよ。ちょっとはクリスの妻っぽくなったでしょう?」


 ティアナはクリスの腕に自分のそれを絡めた。今は妻を演じるということらしい。普通年頃の娘のほうから男にくっつくか、という突っ込みをクリスはいつものごとく喉の奥に押しこめた。どうやら彼女は本気でなんとも思っていないようだからだ。これも仕事のうち、と割り切っているのだ。どちらかというとクリスのほうが気にしてしまう。妻を演じることに夢中になり無駄に熱々な設定を持ち出されるのも困りものである。彼女の引用源であるシェリーおばさんには是非ともクリスからもよくよく言って聞かせたいものである。どうして彼女に変なことを吹き込んだのか、と。ティアナのでーんと構えた妻っぷりにサディスの方が狼狽えている。


「え、ええ。そうですね」

「クリスの毛生え薬のおかげです。髪の毛、あっという間に長くなって。娘っぽくなったでしょう」


 ティアナはころころと笑った。どちらかというとティアナのその後の努力の賜物だろうと思うのだが、髪の毛の長さで印象が変わるのも確かだ。ぴたりとこちらに体を寄せてくるのにも若干慣れつつあるクリスだ。しかし、それはそれでなんとなく罪悪感がある。きっとオルタのめらめらとした怒りの視線を感じているからだ。


「なにか不自由なことは、と思っていたのですが。そういうこともなさそうですね」

「わたしもオルタもとっても良くしてもらっています。今の生活に慣れたら……駄目なくらいに」


 ティアナはそっと目を伏せた。それからぱっとクリスから離れて手袋をはめた。焼きあがった栗の一部はすでにオルタとロイの胃の中に収められている。ティアナは出遅れたとばかりに焼かれた栗を手に持った。


「今日の無作法は見逃してくださいね、サディス様」


 いたずらっ子のような流し目をされてサディスの頬が赤く染まった。なんとなく、なんとなくだがクリスは面白くなかった。ティアナは「あちち」と言いながら栗を剥きはふはふ言いながら咀嚼をしている。彼女は現在、全興味を栗へと向けている。


 しかし興味本位で火吹きとかげを外に出すのは感心しないため、夕食後にロイと一緒に説教だな、とクリスは誓ったのだった。

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