第17話新妻のおもてなし
今度の箱の中から現れたのは大量のミミズだった。確かに魔法薬の材料にはなるが、生きたものを持ってくる必要性はない。
「あら~。イキがいいわね」
「これも魔法薬の材料になるの?」
ティアナとオルタが箱の中を覗き込む。二人とも悲鳴を上げることもなく、「これだけいれば魚釣りの餌に困らないね」「でもエニスの川って魚釣りできるのかな」「ていうか、これをカーティスが泥だらけになって集めたっていうのがウケるわね」「え~そこは命令したんじゃない?」「兄嫁いびりのためにミミズを収集させられるって……召使可哀そう」などと話し込む。カーティスの眉間に青筋が浮き始める。
「ちょっとは驚け、泥棒猫!」
「わたしは田舎で育ったのよ。カエルやミミズくらいで泣くわけないじゃない。ばっかじゃないの」
ティアナがばんっと両手をローテーブルの上に置いて立ち上がる。
「馬鹿とはなんだ馬鹿とは!」
ティアナの啖呵にカーティスは語気を荒げ、もう一つの箱を持ち上げりぼんをほどいた。中身をむんずと掴み持ち上げるとティアナが「きゃぁ」と息を飲む。クリスは眉間にしわを寄せた。一般人相手にみみっちいことをする弟である。
「さあ、行け!」
カーティスは己の手で掴む火吹きとかげの頭をぺしりともう片方の手のひらで叩いた。するととかげは、けふっと息を吐く体で炎を吐いた。さすがのティアナもこれには驚き身を引こうとする。
「お姉ちゃん!」
ティアナに向かって炎がまき散らされる寸前。彼女の目の前で炎はまるで壁に当たるかのように寸断され、霧散する。クリスが結界の魔法を使ったからだ。口の中で呪文を唱えティアナの前に防護壁を作った。さすがに火吹きとかげに対する耐性はなかったようでティアナはぺたりとクリスの隣に座り込む。くだらない嫌がらせをする弟相手にクリスはそろそろ我慢の限界だった。今すぐ強制退場させてやると、魔法を使おうとしたときティアナが立ち上がった。
「なかなか愉快な結婚祝いだったわ。あなたの気持ちはよぉくわかった。せっかくお祝いをいただいたのだもの。わたしもお礼をしますわ」
うふふ、とティアナは笑顔をつくった。ものすごく迫力のある笑顔である。
「ちょっと待っていてくださいな」
ティアナはスカートの裾を摘まんで可愛らしく礼をした。トレイシー主導で進められている淑女教育の賜物である。据わった目をしていなければこのうえなく優雅で可愛らしい仕草であるはずのそれが今はどこか恐ろしく感じる。それはオルタも同じようでおろおろと視線を彷徨わせていた。ティアナのあとをトレイシーが追っていたから大丈夫だろうと思いクリスはその場に留まることにした。
「ふんっ。ちょっと待っていろとかいって泣いて逃げたんじゃないのか」
カーティスはティアナに一泡吹かせることができたのか口元に誇らしげな笑みを浮かべている。
「カーティス。私の妻に妙な嫌がらせはするな」
「嫌がらせではありません。魔法使いの嫁になったからにはああいう魔法生物への耐性は必須条件。私はあの女の覚悟を見定めるためにあえて心を鬼にしているのですよ」
「なにが心を鬼に、だよ。性格、悪」
オルタがぼそりと呟いた。それを聞きとがめたカーティスが「なんだと。お情けで置いてもらっているお荷物の分際で」とオルタをねめつけた。オルタはぐっと言葉に詰まり悔しそうに歯を食いしばっている。トレイシーからティアナとオルタの間に血縁関係は無いと聞いている。詳細は知らないが二人は義理の姉妹なのだ。オルタは自分がティアナと同じ待遇であることに恐縮している。カーティスは存外にオルタの弱い部分を突いたのだ。
「火吹きとかげをけしかけるのはやりすぎだ。おまえは魔法使いという自覚が無いのか?」
クリスは弟に軽蔑の視線を投げかける。無力な人間相手に魔法生物をけしかける根性が許せない。魔法使いとしての資質を疑ってしまう。クリスの視線の中に本気の軽蔑を感じ取ったのか、カーティスがようやく動揺を見せた。
「あ、兄上……」
クリスはカーティスの視線を無視した。部屋の中に重苦しい沈黙が充満していると、扉が開いた。ティアナが戻ってきたのだ。彼女はお盆を持っている。その上にはカップが置かれている。
「さあ。弟君! わたしもあなたに今日のお礼を作ってきたわ」
元気よく入ってきたティアナは顔に不敵な笑みを浮かべている。クリスとオルタは強気に微笑むティアナに見入った。
「な……なんだよ」
カーティスがたじろいだ声を出す。
「さあ、飲みなさい」
ティアナはにっこりと微笑んでカップをカーティスの眼前に差し出した。カーティスはカップの中身を覗き込む。すると、さあっと顔が蒼白になる。クリスはまさか、と思いトレイシーのほうを見た。彼はあらぬ方向を向いた。
(ティアナが調合した薬草茶か……)
「の、飲めるか……。こんなもの……」
カーティスの声が上擦っている。クリスも同意見だったが、そこまでティアナを怒らせたのはカーティスでもある。あの不味さを一度体験したほうがカーティスにとってはよい薬になるかもしれないと、クリスは口をはさむのを止めた。喧嘩を売ったのはカーティスの方なのだから。
「あらぁ。わたしからお義弟への愛あるお礼よ。お・も・て・な・し、ってやつよ。いいから飲め」
にこにこ顔を崩さないままティアナはカーティスの目の前に立った。カーティスは座ったまま迫力顔のティアナを見上げている。いつの間にか近くにやってきていたトレイシーがティアナから銀の盆を受け取っている。ティアナはカーティスの頭を片方の手でむんずと掴み、上を向かせる。そして口を開いた拍子にカーティスの口の中へカップの中身を流し込んだ。
「ぐっ……うぇっ……」
直接口の中へ液体を流し込まれたカーティスはその場にうずくまり、ゲホゲホと咳をし、そのあと口元を押さえて床に転がる。あの液体を全部流し込まれたらこうなるわな、とクリスは悶絶する弟を見下ろした。まともな材料でここまで強烈な茶を作れることが一種の才能だ。オルタ曰く、料理の腕は普通とのことだが、薬草茶のブレンドの才能とはまた違うものなのか。一度彼女の手料理とやらをじっくり観察してみたい。
ひしゃげたカエルのようなうめき声をあげている弟だが、同情の余地はない。テーブルの上では火吹きとかげが結界に閉じ込められてけふっとゲップのような炎を吐いている。
「あら、おまえも飲んでみる?」
ティアナはいま気が付いたという風にとかげに微笑みかける。
「お代わり、ございますよ」
トレイシーもティアナの言葉に続いた。するととかげはヒッと口を閉じした。
「カーティス、わたしのおもてなしはどう? あなたもお代わりが欲しいなら差し上げますわよ」
「く……そぉ……」
カーティスは悔しそうにティアナを見上げた。
クリスは呆気にとられた。火吹きとかげをけしかけられててっきり怖がったものだと思ったが、ティアナは想像以上に打たれ強かった。彼女は見事自分の腕一つで勝利をもぎ取ったのだ。いや、これは勝利なのか。どっちにしても幼子の喧嘩のようでもある。クリスは口元を緩めた。
「くっ……ははは……」
クリスはティアナを引き寄せた。てっきり怯えているものだと思っていたのに。どうやらクリスの雇った妻は想像以上にたくまししいらしい。
「どうしたの?」
ティアナは眉を顰めている。
「いや。きみは私が考える以上に強い娘だと思って」
「わたしもびっくりだわ。あなた、ちゃんと笑えるのね」
そういえば腹の底から笑ったのはいつ以来だっただろう。クリスはしかし考えることを放棄した。
「火傷はしなかったか?」
クリスはティアナをじっくりと眺めた。結界を張ったとはいえ万が一のことがあっては大事だ。彼女の手を取ってしっかりと確認をする。
「うん。大丈夫よ。あなたが魔法で護ってくれたから。あれってすごいわね。さすがはわたしの旦那様。でも、一応わたしだって怒っているのよ。あなたがいなかったらやけどを負っていたかもしれないもの」
「そうだよ。お姉ちゃんはもっと怒らなきゃ」
「カーティス様。自業自得でございます。トレイシーは悲しゅうございます。まさか坊ちゃまがここまで低俗な嫌がらせをする大人に成長あそばせようとは」
トレイシーの言葉がカーティスにとどめを刺す。誰も口直しの水を差しださないあたり、心の中で仕方なし、と思っていることは瞭然だった。入念にティアナを観察した結果、彼女は傷一つ追っていないことが分かりクリスはほっと息を吐いた。それと同時に年頃の娘の手を断りもなしに触れてしまったことに対して罪悪感が湧いた。慌てて手を放したが、ティアナはまるで頓着していない。
カーティスは四面楚歌の中屋敷をあとにした。やはり出入り禁止は継続だな、とクリスは頭の中に刻み込んだのだが、ティアナはというと「今度の薬草茶はちがうブレンドにしようかな~。次カーティスが来た時が楽しみね」とうきうきした声を出していた。妙にたくましい妻(仮)に対して感心していいのかわからないクリスだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます