第16話弟のせこい作戦

 トントン、と扉を叩くと中から「入れ」と声が聞こえてティアナはそっと扉を開けた。


「クリス、今日はごめんね。死ぬほどまずいお茶飲ませちゃって」

 ティアナが生まれて初めて作った薬草茶は、筆舌しがたいまずさだった。毛生え薬よりも酷いまずさで、二人とも一口飲んで悶絶した。


「あの材料で、あれだけの不味さを作り出せるほうが才能だ」

「そんな才能要らないわよ。あーぁ、せっかくクリスの疲れを取ってあげようと思ったのに」

「ある意味疲れも忘れるほどの味だった」

「……」


 大真面目に言われてティアナはそろそろ怒るところかしら、と考えたが自分の作ったお茶が壊滅的にまずかったのは事実なので何も言えない。

 せっかく妻らしいことができるかと思ったのに。魔法使いの妻というのも奥が深い。

 しゅんと、肩を落としたらクリスがこちらを見た。


「効能は一緒なのだから、まあ。その。今日はきっと疲れがよく取れると思う」

 ティアナは目を瞬いた。クリスなりに慰めてくれているようだ。

「ありがとう。クリス」

 ティアナは微笑んだ。


「それで、もう用件はすんだのか?」

「あ、えーと。そうだ。もう一つ」

「なんだ?」

「あなた、カーティスを屋敷に招くの渋っているんですって?」


「あいつを招いてもどうせ私たちの結婚に不満と文句を言うだけだろう」

「でも、もうわたしたちは結婚しちゃっているわけだし。ちょっと面倒だけど一回会ってあげたらいいじゃな」

「嫌だ」

 実の弟だというのにクリスは心の底から拒否の声を出す。


「えええ~。だって、出禁にしたあと結構な頻度でこの屋敷の周りをうろついているんでしょう? あ、ということは。あなたの職場にも顔を出したりしているの?」

 家に入れてもらえないのであれば勤め先に押しかけたりするのではないかとティアナは懸念したのだが、クリスは「さすがにあいつもそこまでのことはしない」と返した。


「ふうん」

 一応それなりの常識は持ち合わせているようである。

「別にカーティスの機嫌を取る必要もないだろう。私はれっきとした成人男性だ。一度目の政略結婚で懲りたから、もう結婚はしないと決めた。それでも周りがうるさいから妻という者を迎えた。それだけのことだ」


「だって。うっかり屋敷の外で鉢合わせて付きまとわれても嫌だし」

「馬車を使えばいいだろう」

「オルタと街歩きするのに馬車を使うのもねえ」

 根が貧乏人のため人を使う生活に慣れていないのだ。


「街歩きとはなんだ?」

「え、ほら。淑女修業にも慣れてきたし、エニスの土地勘を養いたいのよ。あなたと円満離婚をした後に住む場所の候補とか、治安とか知人とか。こういうのは一朝一夕で培えるものではないから今から人脈作りと引っ越し先の候補を見繕っておかないと」


 女二人で暮らしていくことになるのだから引っ越し先の選定はとても重要だ。家を借りるときに重要なのは口コミである。よい口コミを手に入れるには人脈がものを言う。いずれ訪れる独立の日に向けて今から準備しておくことは重要なことである。エニスではどのような職業があるのか、下宿の相場はいくらか、治安のよいところや悪いところなど縁もゆかりもない街で暮らしていくには下準備が重要なのである。


「まだ先のことなのに、用意周到だな」

「当たり前でしょう。女二人が生きていくのって大変なことなんだから」

 クリスには想像もつかないにきまっている。


「そういうわけで、円満な兄弟関係になってほしいってことでもないけれど、月一訪問くらい許してあげるくらいの間柄にはなってほしいわ」

 ティアナは腰に手を当てて、ふんっと息を吐いた。




 ひょんなことからかかわりを持った少年に売り込みをされたとき、男の働き手よりも女の人手の方が欲しいと言ったのは思い付きだった。正直、弟カーティスの結婚しろ圧力に辟易していたのだ。そんなにも後継ぎが欲しいのならおまえが結婚をしろと何度も言ったのに、カーティスは兄よりも先に結婚などできるはずもない、と一顧だにしない。屁理屈を言いやがって、おまえのほうこそ結婚したくないだけだろうという言い合いに発展したのは一度や二度ではない。弟の結婚問題までこちらに押し付けられてはたまったものではないが、かといって結婚を強要されるのもごめんだった。


 一度目の結婚で懲りたクリスは妙案を思いついた。結婚をしてしまえばいいのだ。そうすればカーティスも引き下がるしかない。とはいえ魔法使いの女はごめんだった。うっかり野心家の女と結婚をすれば人の研究成果を無断で持ち出して隣国へ留学してしまう。お嬢さん育ちの娘も面倒である。夜会やら茶会や演奏会などといって夫を社交の場に連れ出そうとするからだ。


 クリスは自分の魔法研究を第一に生活をしたいのだ。本当なら王立魔法研究機関で自分の興味の赴くままに魔法薬の研究をしたかったのだが、実家と王家の兼ね合いもあり王宮魔法局に籍を置くことになった。煩わしい付き合いや仕事も回ってくるけれどクリスはおおむね今の待遇には満足をしている。王宮魔法局の長官という地位はなにかと役に立つことも多いからだ。


 妻を雇うのはとても良い考えだと思った。銀色のひょろっとした少年が自分のことを女だと主張をしたため、ちょうどその場に居合わせた部下のセディスに言いつけて女の支度をさせたら本当に女だった。条件を言えば存外に食い付いたため、じゃあこの娘でいいかと思い、その日のうちにすべてを終わらせることにした。かくしてクリスの日常に平穏が戻った。


 いや、戻ったのかこれは。と訝しみながらクリスは現在しかめ面で応接間の椅子に座っている。弟カーティスがやってきたのは次の休息日で、部屋にはクリスとティアナ、オルタが座り、部屋の隅にはトレイシーが控えている。召使がお茶と果実水をそれぞれの前に置いて出て行くとカーティスはいそいそと持参した箱をテーブルの上に置いた。真っ白な小さな箱である。


「兄上に結婚のお祝いを持ってきました」


 あれだけ結婚を反対していた弟が晴れ晴れとした顔をしていることが気色悪い。

 隣に座るティアナの視線を感じたクリスは横を向くと、彼女の瞳にも困惑の色が浮かんでいる。一人用の椅子にちょこんと座るオルタは部屋の中に漂う微妙な空気を読み、ひたすらに果実水を飲んでいる。


 ティアナとの結婚に反対をするカーティスは、クリスが彼を出入り禁止にしたあともしつこく手紙を書いて送ってきた。さすがに職場まで押しかけるような常識外れの行動には至らなかったが、トレイシーを呼び戻した後は彼に対して陳情を述べまくったらしい。暇があれば人の屋敷のまわりをうろちょろして、結果ティアナが「うざいから兄弟で話し合え」と言ってきた。もっと丁寧な言い方だったが要約をすればそういうことだ。


 てっきり開口一番に嫌味と文句を垂れ流すのかと思っていたら贈り物。一体どういう了見だ。カーティスの出方を窺っているとティアナは横でつんとつついてきた。小声で「先に進まないから、開けたら?」と言ってきた。彼女は妻を演じているせいもありクリスとの距離が近い。


 クリスはテーブルの上の箱のりぼんに手を伸ばし、仕方なしに開けることにした。箱を開けると中から小さな物体が飛び出してきた。


「うっわあぁ」

 驚いたティアナがクリスにしがみつく。クリスも驚き、目を見張る。オルタも同じように「きゃぁぁ」と驚いた。

「……って、なんだ。カエルか」


 飛び出してきたのは大人の握りこぶしほどの大きさをしたカエルだった。全体的に土色をして、頭の上がレンガ色だ。ゲロゲロと鳴くついでに舌を伸ばす。テーブルの先に舌が触れるとじゅわっと溶けだした。このカエルの唾液は物を溶かすのだ。そうして獲物を捕らえる。魔法使いにとっては低級の魔法生物である。


「毒カエルを仕込むなんて……ガキね」


 ティアナがカーティスを睨みつけた。カーティスはしれっとした顔を作り「これはれっきとした魔法薬の材料です。兄上への結婚祝いですよ」ととぼけた。


 カーティスはぱちんと指を鳴らした。するとカエルの周りにぽわんと膜が張られ、宙に浮く。簡易結界を張ったのだ。確かにカエルは魔法薬の材料にもなるのでありがたくいただいておく。しかし、そこまで珍しいものでもない。ちょっと田舎にいけばゲロゲロガコガコ鳴いている声が聞こえる。


「ほかにも持ってきました」


 カーティスは傍らから箱を持ち上げた。クリスは早くもげんなりしてきた。幼稚な嫌がらせにもほどがある。この茶番に全部付き合えというのか。クリスがため息を吐くとカーティスが進んで箱を開け始める。

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