第15話薬草茶ブレンドの才能

 別の日、オルタが屋敷に帰ってくるなり不審者を見た、と言った。

「不審者?」

「また物騒な」

 ティアナとトレイシーはそれぞれに声を出す。


「なんかね、このお屋敷のことをじっと見つめている人の影みたいなのが馬車から見えた」

 オルタは居間で温めた林檎の果実水を飲んで不審者に付いて語り出す。

「通りの、植木の影にいたんだよ。行きも帰りも。やっぱりお屋敷街って泥棒が多いんだね。あれ絶対に下見だよ」


 オルタは今日ティアナとは別行動をしていた。ティアナとオルタの淑女教育の授業はすべてが同じというわけではない。子供には運動も必要です、とトレイシーがオルタのために公園での散歩を義務付けた。元々元気いっぱいなオルタはとても喜び、侍女を連れて近くの公園に勇んで遊びに行った。いいなあ、と主張をすればトレイシーに「奥様には奥様の修業がございます」と言われ、今日もずっと立ち方、歩き方の練習とダンスの基礎練習をしていた。たしかにこれも運動だが、なにか違う。


「では、少し様子を窺ってきましょうか」

 トレイシーが居間から出て行った。

「ねえ、公園どうだった?」

「うん。楽しかったよ。おおきな池があった。魚いるかな? 美味しいかな?」

「魚かあ。今日の晩御飯なんだろう。魚と聞くと食べたくなるわね」

「うん。わたしも公園でちょっと考えちゃった。せっかくの公園だったのに、お姉ちゃんと一緒がよかったなぁ」

「わたしも公園行きたかった。というか、たまには外歩きたい」


 毎日淑女修業のため屋敷でやることが多すぎてなかなか自由な時間が取れないのだ。けれどもそろそろ生活のペースも出来上がってきたし、外出してみたい。

 姉妹が話し込んでいると扉が控えめに叩かれ、かちゃりと開いた。トレイシーが戻ってきたのだ。


「それで、不審者まだいた?」

 オルタがどこかわくわくした声を出す。

 その声の調子にトレイシーが苦笑しつつ、「ええまあ。不審者ではなく、カーティス様ですよ」と答えた。


「ええっ⁉」

 姉妹はそろって驚いた声を出した。

 二人そろってぽかんと口を開けているとトレイシーが説明を始めた。


「現在カーティス様はこの屋敷を出入り禁止になっておりまして。しかし、お兄様が大好きなカーティス様は、クリス様が一般人であられるティアナ様を妻に迎えたことに対して相当にご不満な様子」

「ええ。そうね。想像がつくわ」


 初対面の時があれだったので、カーティス様がティアナに対して不満を持っているのは想像に難くない。トレイシーの話によると、結構な頻度で屋敷の周りをうろついているらしい。兄のことが気になりすぎるのか、トレイシーが把握をしている限り二日に一度はこのあたりをうろうろしているとのこと。しかし、クリスはまったく取り合わない。出勤に合わせて屋敷の前で張っていても馬車の中にいる兄は弟を歯牙にもかけないのだという。無理に侵入しようとすれば屋敷の壁を這う黒い蔦が毒を吐く。


「そういう事情もあり、ティアナ様はお屋敷の中でおとなしく授業を受けていてもらっていたのですよ」

「なるほど。って、弟のせいで、わたし外歩きできないの? それは困る」


 トレイシーは、ティアナが外出をすることによって、カーティスが外でティアナに接触を図るのではないか、と懸念をしていた。兄を敬愛するあまり、ティアナに対して暴言を吐く恐れもあるからだ。


「カーティス坊ちゃんは昔から兄上であられるクリス様をそれはもう自慢にお思いになっておられまして。今回のクリス様の結婚を気の迷い、いえ、毒婦にそそのかされたのだと一方的に決めつけられておられます」

 本当のところはカーティスによる、クリスへの結婚圧力に嫌気をさした当の本人が仕組んだ契約結婚なのだが。これは限られた人のみが知る真実である。

「詳しいわね」

「実は毎日のようにカーティス様から手紙が届いております」

「ええっ!」

 毎日とはずいぶんと面倒な性格をしている。ティアナの隣に座るオルタも呆れた顔を作っている。


「それで、トレイシー。どうするの?」

「はい。そろそろ一度お招きしてみようかと。このままでは外出もままなりませんし、このあたりで、義弟との友好関係を築いてみるところから淑女修業の成果を発揮してみてはどうかと」

「あ、はは……」

 修行の成果を見せても変化などなさそうだけれど。


「カーティス様を練習台とお思い下さいませ。なにしろ、クリス様の再婚がエニスの新聞で報じられたとき、ひそかに再婚を狙っていた魔法使いの家のご令嬢たちが皆ひっくり返ったとか」

 今後、そのお嬢様をお相手するのがティアナ様ですよ、と言われてティアナは頭がくらくらしてきた。自分は三年間ずっと引きこもりでいい気がしてきた。


「クリスはカーティスを招くことを賛成するかしら?」

 ティアナは苦し紛れにクリスの名前を出した。

「私からお話しますので」

 トレイシーはゆったりと微笑んだのだった。




 ティアナとロイの薬草茶ブレンド授業の成果を見せるときがやってきた。

 トレイシーはあらかじめクリスに許可を取り、彼の持つ薬草の中から使ってよいものを分けてもらっていた。


「せっかくですので、今日はご自分で薬草をブレンドして、実際に淹れてみましょう」


 いよいよ魔法使いの妻っぽいことができるとティアナは喜んだ。

 薬草は一階にある彼の研究部屋に続く、保管部屋に置いてあるという。魔法使いの屋敷らしく、大きな建物の中には研究部屋や書庫、保管庫などが揃っている。外にある温室も同じような役割とのこと。魔法薬の材料を仕舞っている保管庫の横には小部屋があり、そこで薬草茶の実践編の授業を行うことにした。

 ティアナとロイはそれぞれトレイシーから習った通りに材料を混ぜていく。


「では、ここからは各自アレンジしてみましょう」

 先生トレイシーの指示に従い、ティアナはクリスのために疲れが取れるお茶を淹れようと材料を混ぜていく。


「あ、そうだわ。せっかくだからポルテ茸を加えてみようかな」

「……それなら、庭に生えている場所がある」


 ロイが小さな声を出した。話しかけてもあまり反応のない彼だが、一緒に暮らしていくうちに、彼は女性に対してあまり免疫が無いらしいということがわかってきた。十歳くらいの年だと聞いているから難しい年頃に差し掛かっているのだろう。けれども、顔を合わせるたびににこやかに笑いながら挨拶をするうちに、少しずつ返事をするようになってきた。


「案内してくれると嬉しいわ」

 ロイは、少し躊躇したあとトレイシーを見上げた。彼が頷くとロイはゆっくりと口を開いた。

「……わかった」

 彼に連れていかれたのは屋敷の庭の隅っこ。木が多い茂り、日当たりの悪いじめじめした場所に、コケと一緒に金色のキノコが生えている。


「薬草茶の材料が自生しているなんて、すごいのね」

「クリス様の屋敷だから。……この屋敷にはほかにもたくさんの薬草が植わっている。……温室にも」

「さすがは魔法使いのお屋敷ね」

「……気を付けて。動くものの気配を感じると、胞子を撒く」

「え、じゃあどうすれば」

「気合で採る。あと、吸い込まないように気を付ける」

「……なるほど」


 クリスがいたらまた違った答えが帰ってきそうだったけれど、仕方がない。ティアナは手巾を取り出して口元を覆いながらポルテ茸を採取しようと、手を伸ばす。すると本当に胞子をばらまいた。金色の煙が勢いよく舞い上がり、ティアナは思わず目をつむる。しかし、茸ごときに負けるのも癪だ。ロイの言う通り気合で採って、トレイシーの待つ部屋へと帰ってティアナは薬草茶を完成させた。


「……これは……何て言いますか。独創的なお茶でございますね」

「……」

 トレイシーが感想を漏らし、ロイは無言だった。


「確かに匂いはかなり独創的だけど、大したアレンジは加えていないわよ」

 薬草とポルテ茸でつくった薬草茶は、なかなかに刺激的な香りを撒いている。淹れてみると案外美味しいかもしれないではないか。

「じゃあさっそく」


 ティアナはお湯を貰いに厨房へ向かった。どんな味になっているか、わくわくする。疲れに効くお茶ならばクリスの役にも立つかもしれないし、妻っぽい。

 マクレーン夫人からお湯を貰って戻るとクリスが帰宅をしていた。


「早いわね」

「調べ物をしたくて、今日は早くに切り上げた。それに、トレイシーから薬草茶の勉強をしていると聞いたから」

「もしかして興味があるの?」

 尋ねるとクリスは黙り込む。興味があるのかないのかどっちなのよ、と問いただそうとしたらトレイシーが口を開いた。


「クリス様は昔から、研究熱心なお方。ティアナ様が初めてブレンドされたお茶に興味がおありなのですよ」

「ほんとう?」

「まあ……。なんていうか、研究の一環だ」

「素直に飲みたいって言えばいいのに」


 ティアナは笑顔を隠しきれなかった。一生懸命つくったものだから、誰かに飲んでもらいたいし感想も聞きたい。クリスは優秀な魔法使いで、薬草にも長けていると聞く。もしかしたら新しい才能が開花しちゃうかも、とティアナはワクワクしながら薬草茶を淹れる準備に取り掛かった。


 不可思議な香りが辺りに充満してクリスがぼそりと「なかなかに独特な匂いだな」とつぶやいた。


「そりゃあ、特別製だもの」

 すり鉢で煎じて入れたお茶はどろりとしている。こっちのほうが効果が高いのだという。

「さあ、飲んで頂戴」

 ティアナはカップをそれぞれに渡した。ロイとトレイシーは頬を引くつかせている。クリスは匂いを嗅ぎ、「材料は……普通なのに。どうやったらこんな色になるんだ?」と疑問の声を出した。たしかにお茶はなぜだか濃い紫色をしている。


 ティアナとクリスはカップに口を着けた。

 そして。

 二人とも無言でその場にうずくまった。


 違う意味でティアナが薬草茶のブレンドの才能を開花させた瞬間で、ロイは青い顔をして「無理……絶対」と言ったのだった。

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