第13話姉妹の秘密

 スウィングラー家で暮らすようになってから朝寝坊にも慣れてきたが、それでもオルタの目覚めは一般的な貴族の家の娘に比べたら十分に早い。すぐ目の前では銀の髪の美しい少女がすぅすぅと寝息を立てている。昨日オルタが寝台に入ったとき彼女はまだ起きていたからその分遅起きなのだろう。


 クリスの契約妻になったティアナは日に日に美しくなっている。もともと顔の造作は整っていたが、生活が厳しく年頃になっても自分を磨くということとは無縁だった。田舎娘から都会の洗練された淑女へ移りゆく様はオルタにも眩しく映っている。


(お母さん似って言っていたから、お姉ちゃんのお母さんはとってもきれいな人だったんだろうなあ)


 今のティアナを見ればそれは一目瞭然だ。目と髪の色は違うが、ティアナが自分の美貌に無頓着なのは母に似ているということもあるのだろう。ティアナの口癖は「お母さんはとってもきれいだった」である。


 オルタはティアナの母の顔を知らない。

 ティアナに拾われたとき、彼女の母は亡くなっていたからだ。


(それにしても……遅起きすることが主人の務めだなんて……。ううう~退屈だよう)


 スウィングラー家で暮らし始めた当初、日の出とともに起きて活動をしていたら屋敷の召使に苦情を言われたのだ。主人が早起き過ぎるなんて。こっちのことも考えろ、と。そう言っていた召使の女はトレイシーがやってきたあと見かけなくなった。しかし、女の言葉にも一理あることをオルタは学んだ。トレイシーから教えてもらったからだ。主人が早く起きると主人に仕える使用人たちの朝も早くなる、と。屋敷で働く人間のことを考えると自分たちは遅く起きるほうがいいのだ。とはいえクリスはそれなりに早起きなのだが、さすがに日の出とともに起きるわけではない。


 オルタが寝台の中でもぞもぞうごめいているとティアナが目を覚まし「おはよう」と微笑んだ。

 オルタはティアナと一緒に眠ることが好きだ。二人で眠ると隙間風だらけの部屋も薄い掛け布もへっちゃらだった。誰かと一緒なのは落ち着くし安心する。


 やがて正規の起床の時間になりオルタとティアナは朝の準備に取り掛かる。この間から二人の世話をする侍女たちが雇われ、正直とってもむず痒い。だってオルタは人に傅かれるような身分の娘ではないのだから。


 ティアナのことを侍女たちがお世話をするのは当たり前だ。契約とはいえ彼女はこの屋敷の主人クリスの妻になったのだから。それっぽく扱うのは当然だと思う。オルタとしては自分もティアナの侍女になったほうがよいのでは、と考えている。


 朝ご飯を食べ終わったあとオルタはこの数日考えていたことをトレイシーに伝えようと思い彼の元に向かった。彼は執事用の部屋で手紙の開封作業をしていた。


「どうしたました。オルタ様」

「あのね。わたしも仕事がしたい。お姉ちゃんの侍女見習い。いい考えだと思うんだけど」

「はて。どのあたりが良い考えなのでしょう?」

 トレイシーは穏やかな口調で返した。


「だって。わたしはお姉ちゃんのおまけだもん。お嬢様じゃないからこんなひらひらした服着せられても困るよ」

 オルタは自分の纏うスカートの裾を摘まむ。秋ということで落ち着いた深い青色のふくらはぎ丈のスカートだ。

「オルタ様はティアナ様の妹君。れっきとしたお嬢様でございますよ」

「わたしは。……気が付いているかもしれないけど、わたしはお姉ちゃんの本当の妹じゃないよ」

 オルタは自分から明かすことにした。おそらくティアナは言わないだろうから。


「さようですか」

 トレイシーはさして動じることもなくオルタに着席を促した。オルタは部屋の隅に置かれてある椅子にちょこんと座った。

「驚いてないね。やっぱり似てない姉妹だなって思っていた?」

「いえいえ。姉妹で髪や目の色が違うことなどよくあることでございます。もちろん、わたくしはとても驚いておりますよ」


 どうだか、とオルタは心の中で呟いた。柔和な顔付きをしているが、この爺さんが食えないタイプの大人だということは、数日のうちに感じ取っている。


 ティアナは美しい銀の髪をしているがオルタは麦色の髪に薄茶の瞳とどこにでもある目と髪の色。顔だってとっても平凡顔。器量よしというわけでもない。派手な顔つきだったら娼館に売られていたかもしれないので平凡顔でよかったのかもしれないけれど。クロフトの町ではオルタがティアナに引き取られた事情はみんな知っていた。だから特に何も思わなかったけれど、エニスでは誰もティアナとオルタのことを知らない。姉妹だといっても全然似ていない顔立ちと目と髪の色を、みんな内心訝しがっているだろう。


「わたしの父さんと母さんは行商人だったんだ。兄さんと弟がいて、わたしだけある年にクロフトの町に置いていかれた。口減らしだったんだよね。女よりも男手のほうが助かるから」


 寒い冬の日だった。オルタが四歳の頃のことだった。小さな町に寄った両親は珍しく宿に泊まった。いつも野宿ばかりなのに。その日は宿の一階で肉料理を食べたことを覚えている。これから手放す娘へのせめてもの償いだったのかもしれない。両親は兄と弟だけを連れて行ってしまった。置き去りにされたオルタの上でフクロウ亭の女将と亭主が困ったことになったと嘆いていた。


 年端も行かない子供を置いていかれたのだから当たり前だ。この子をよろしく、と置手紙まであった。確信犯だった。オルタにとって救いだったのは娼館に売られなかったことくらいなもの。しかし両親に捨てられたことには変わりない。あまりに突然のことで泣くこともできなかった。


「それでさ。お姉ちゃんが、わたしが育てるって叫んだんだよね。お姉ちゃんだってその前の年に母さんを無くしてまだ子供なのに。食い扶持増やしてどうするんだって親父さん怒鳴っていたけど。それでもわたしが一緒に住むって」


 まだたった十三歳のティアナは親に置き去りにされた小さなオルタを屋根裏部屋に連れて帰った。今日からここがあなたの家でわたしはあなたのお姉ちゃんだと笑った。


 繋がれた手からじんわりとぬくもりが伝わってきて、ようやく涙が出た。

 お母さんに選んでもらえなかった悲しさがたくさんたくさん湧いてきた。どうして自分だけ捨てていくの。女の子だけど役に立つよ。どうしてわたしだけなの。嫌だよ。迎えに来て。ひどいよ。たくさんたくさんの言葉の代わりに透明な雫だけが瞳からはらはらと湧いては下へ落ちていった。


 ティアナはオルタが泣いている間ずっとずっと抱きしめてくれていた。

 わたしもお母さんに置いていかれちゃったの。お母さんわたしを置いてお空に行ってしまった。わたしはまだ来ちゃだめだよって。わたしもひとりなの。ひとりは寂しい。寒いの。オルタ一緒にいて。わたしの妹になって。


 たくさんたくさん二人で泣いて。

 その日からオルタとティアナは姉妹になった。


「だけどさ。やっぱり、わたしはおまけみたいなものだから。お姉ちゃんと一緒にお勉強とかはちょっと。それに、侍女のお手伝いをしたらわたしも将来どこかのお屋敷で働けるかもしれないでしょ?」


 我ながらよい考えだと思った。何しろ侍女という仕事はお屋敷に勤める召使の中でも限られた人しかなれないのだと聞いたからだ。お給金も皿洗いより高いという。

 オルタの主張を一通り聞いたトレイシーはゆっくりと口を開く。


「あなたの考えはわかりました」

「じゃあ―」

「ですが、私には今のオルタ様には勉学こそが必要だと思われます。ティアナ様と一緒に勉学に励むことです」


「歩き方の練習ってわたしに必要?」

 いい運動にはなるけれど、オルタはいいところの奥様になる予定はないし、まず相手にされない。

「ええもちろん」

「発音は……エニスで暮らすなら役に立ちそうだけど。髪の毛梳かしてもらったり、着替えを手伝ってもらったりすると怠けものになった気分になるんだけど」


「慣れます」

「慣れないよ!」


 オルタはぷっくりと頬を膨らませる。

 ややしたのち、トレイシーは顎に手をやる。


「ふむ。子供服は自分での脱ぎ着も簡単ですから、まあそこは妥協しましょうか。女の子は自分で髪の毛を結わえたりするのもお好きでしょう」

「そうそう。わたしもお姉ちゃんのきらきら~な髪の毛梳かしてあげたいし。自分の髪で練習したい」

「わかりました。子供の自立を見守るのも大人の務めです」

 少しだけ自分の主張が認められてオルタは頬をぱあっと明るく染めた。


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