第12話感謝の言葉

「ふうん。よかったじゃないか。女は風呂が好きだろう?」


 気の無い返事にティアナは臍を噛む。この人は何もわかっていない。

 だって、とってもとっても大変だったのだ。


「違うわよ。お風呂に入れることは……確かに嬉しいわよ。今までは濡らした布で体を拭いたり、髪だってなかなか洗うことなんてできなかったから。でもね、あれは……なんていうか……大切なものを失った気がするわ」


 ティアナは遠い目をする。


 昨日からティアナの元に侍女という職業の女性たちがやってきた。トレイシー曰く、侍女というのは女主人専用の召使で女主人のお世話をする役割の女を指すという。お世話ってナニソレ、と思ったティアナだったがすぐにどんなものか理解した。とにかく四六時中ティアナに張り付いて生活全般の世話をするのだ。


 昨日はまだよかったが今朝はすごかった。デイジーという侍女が朝から「奥様のためにお風呂を準備しました。さあ、いまからお体のお手入れをしましょう」と張り切った声を出し水場に連行された。暖かなお湯に浸かること自体は異論はない。だって、これまでのティアナでは到底にできなかったことだから。たまの贅沢でたらいに湯を張りオルタと一緒に湯あみをするくらい。それが一転肩までお湯につかれるのだ。それ自体は天にも昇るほどの嬉しさなのだが。甲斐甲斐しく他人にお世話をされるということに慣れていない。クリスと出会って一番最初に連れていかれた屋敷で女たちに湯に入れられた以上に大変だった。


「だって……全身くまなく洗われて、髪の毛とかなんかよくわからないオイル垂らされるし。体にもいろんなもの刷り込まれるし、湯から上がったら全身揉みくちゃにされるし。想像つく? 全身よ。全身。胸とかおしりとかも揉まれたのよ……」

「……わかったから。男の私にそれ以上のことを言うな」

「だってぇ……」


 ティアナはその場にうずくまる。どうして奥様は他人に体を揉みくちゃにされないといけないのだろうか。意味が分からない。


「しかも……お胸は小さいですけれど揉めばどうにかなりますからとか言われるし。揉むの? 毎日? いや、駄目でしょ……。つか何気に酷い。人が気にしているのに……」

 年頃の娘よりも発達不良な胸はティアナのコンプレックスでもある。

「だからそういうことを私に言うな」

「だってぇ……」


 クリスならなんとなく分かってくれるかも、と思うから言うのだ。この人、自分の雇い主だしとティアナはクリスを見上げた。目が合うとクリスはティアナから視線を逸らした。


「まあ、なんだ。これまでは食事を十分にとれていなかったのだろう? 今は十分に食事をとっているのだから、肉付きもよくなるだろう」


 クリスは魔法を使って明かりをいくつか生み出した。部屋の中にはすでに魔法の明かりが灯っていたのだが、クリスが新しいものを追加したから昼間のように明るくなる。

 ティアナは立ち上がり、ふわふわと漂う魔法の明かりを指でつつく仕草をする。


「不思議ね。熱くないなんて」

「そこは魔法使いの腕の見せ所だ」

 座ったらどうだ、と促されティアナはクリスの正面の椅子に腰を落とした。


「だいぶ血色がよくなってきたな。初めて会ったときは髪の毛が短かったこともあるが、細くて顔色も悪くて少年にしか見えなかった。今はちゃんと女性にしか見えない」

「それはたぶん、この格好もあるんだろうけど」

 ゆったりとした室内着の上に毛織物のショールを羽織っているティアナである。

「だいぶ頬がふっくらとしてきた。ちゃんと食べている証だ」


 クリスもマクレーン夫人もトレイシーもたくさん食べろと言う。そんなにも不健康そうだったのだろうか。ティアナは自覚は無かったけれど、クリスたちが心配するくらいにはエニスに到着をしたころのティアナとオルタはやせ細っていた。


「でも……怖くもあるのよ」

「何が」

 いつの間にかクリスは料理を平らげていた。ティアナは口直しにゼリーを出すと「これはティアナが食べろ」とクリスが言った。

「わたしも同じの食べたのに」


 勧められたティアナは不承不承スプーンを手に取るが、ぷるぷるとした食感に甘酸っぱいゼリーは口当たりもよく、ついもう一口と手が止まらなくなってしまう。


「今みたいにお腹いっぱいにご飯を食べられることに慣れちゃうのが怖い。この仕事が満了になったら……って考えると慣れたらいけない気がする」

「契約が満了になれば報酬を支払うし、次の職場も斡旋する。食うに困ることにはならない」

「そうかもしれないけれどね……」


 それでも、ティアナは怖いのだ。夢のような生活に慣れてしまうのが。生まれてからずっと食べることと生きることが同じ生活をしていた。小さな町だったから不作の年になるとすぐに食卓に反映された。母子一人のティアナの食卓はそれが顕著だった。


「……愚痴っちゃったけど、とてもありがたくもあるのよ。隙間風の無い部屋で、冬の寒さの心配もしなくていい暮らしなんて、初めてだから。それと、オルタも一緒に住まわせてくれてありがとう」


 ティアナは空になった食器を片してワゴンを押して部屋から出て行った。

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