第11話侍女と倦怠期

 大きなお屋敷に雇われてお飾りの妻として日々暇を持て余す生活から一転、淑女修業が始まった。背筋をぴんと伸ばして姿勢を正して歩く練習です、と言われてお屋敷の長い回廊を午前中何往復もさせられる。頭の上に乗せた本を落とすとやり直し。しかも踵の高い靴を履いて、である。へっぴり腰で歩くとトレイシーからお叱りが飛んでくる。


 それが終わると今度は発音矯正。下手にエニスの下町訛りが無いのはよかったと微妙な褒め方をされたが、いくつかの音の発音に微妙なくせがあると言われて語学の教師の前でオルタと共に詩を何度も朗読させられる。


 教師からは地方の訛りもあまり無いし、言葉遣いもそこまで悪くないと言われた。母セラフィーナは昔から行儀作法の躾が厳しかったことを思い出した。


 発音練習から解放されるとトレイシーが「ティアナ様の侍女が決まりました」と伝えに来た。ちょうどおやつを食べていたところだ。


「侍女?」


 ティアナはオルタを顔を見合わせた。鬼教師たちからスパルタ授業を受けているので昼食を食べてもすぐにお腹が減る。甘いお菓子って心がすり減っているときに食べるものなのね、を痛感しているティアナだ。


「ご休憩の後に控えの間までいらしてください」


 トレイシーはそう言って部屋から出て行った。ティアナは甘酸っぱいジャムが乗ったクッキーをもうあと何枚か食べてお茶を飲み干した。こんな贅沢生まれて初めてだった。お菓子を食べることに慣れてしまったら契約期間が満了した後辛いなあと思うが、疲れ果てた心と体に染みわたるのでつい手が伸びてしまう。それはオルタも同じようで、悩ましそうにクッキーが盛られた皿を凝視している。


 食べ過ぎも良くないと思い休憩を終わらせて控えの間に向かうとティアナと同じような年頃の娘が三人ほど座っていた。ティアナとオルタが入室をすると全員が立ち上がる。


「奥様、オルタ様。この三人がお二方の侍女となる者たちでございます」

「はじめまして奥様。オルタお嬢様」

 黒髪の少女が代表してあいさつをするとそのほかの二人も後に続いた。


「わたしはデイジーと申しますわ。奥様のようなお美しい方にお仕えできるだなんて。わたし、とても嬉しゅう思いますわ」


 明るい緑の瞳を一心にティアナに向けている。ティアナは視線をどう受け止めたらいいのか迷った。仕えるってどういうこと、と助けを求めるようにトレイシーのほうに首を向ける。しかし、彼はいつものようににこにことした顔を作るだけで何も言わない。


「ああこの輝くような白銀の髪。そして神秘的な色合いの瞳。大丈夫ですわ。わたしが来たからには奥様をエニス一番の貴婦人に飾り立ててみせますわ! 女は磨けば変わるのです。宝石の原石を丁寧に丁寧に磨けるだなんて。こんなやりがいのあるお仕事……っと、ついよだれが。失礼しました」


 うふ、と首を傾げたデイジーにティアナとオルタは固まったのだった。




 とっぷりと日が暮れて数時間が経った頃帰宅をしたクリスの元に今日もティアナは手押しワゴンと共に参上した。


「んもう。一緒にご飯を食べるって約束をしたのに。旦那さまの意地悪」

 昨日はちゃんと夕食前に帰宅をしたが今日はさっそく遅いご帰宅だ。一日だけ付き合って終わり、だなんて。


「その芝居がかった声は止めてもらおうか」

「んふ。今日こそはあーんしてあげる」

「自分で食える」


「つまらない。これがシェリーおばさんの言っていた倦怠期ってやつかしら」

「そもそも私たちは結婚をして間もないし契約結婚だろう。倦怠期なぞ来るはずもない」


 クリスはこっちへ来い、と書斎の中扉を開いた。隣は書斎よりは狭いながらもテーブルと椅子が何脚か置いてある。控えの間か応接間として使っているのだろう。


「昨日床に置いていた紙を轢いただろう」

 クリスがじとりと睨んできた。

「そうだっけ。ごめんなさい」


 ティアナはワゴンから今日のお夜食を取り出してテーブルの上に並べた。ちなみに本日は魚料理だ。白身魚と野菜をクリームで煮込んだものである。バター控えめということもあってティアナの胃も喜んで受け入れてくれた。

 クリスは短く息を吐き出した後、着席をしてナイフとフォークを動かし始めた。


「それで。何か言いたくて来たんだろう?」

 魚料理を食べながらクリスが問うてきた。ティアナはぶどう酒をカップに注ぎながら「そうなの!」と大きな声で返事をした。


「昨日侍女っていう女の人たちが来たのは知っているわよね」

「ああ」

「今日、わたしがどんな目に遭ったのか想像つく?」

「いいや」

「わたし今日は朝っぱらからお風呂に入れられたのよ」

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