第6話朝の訪問者

 着席をすると従僕がティアナたちの前に朝食の皿を持ってきた。

「うわ。こんなにもたくさん?」

 籠の中にはいくつもの種類のパンが積まれている。ポタージュスープにチーズやハム、それから卵料理。野菜を茹でたものもある。豪華な食事にティアナは目を白黒させた。

「いたって普通の量だろう」


 クリスは不思議そうに首をかしげているが、ティアナとオルタにとってはご馳走だった。毎日の食事はパンと野菜くずの浮かんだスープがほとんどで、夕食は宿屋で余りものがあれば分けてもらえた。とはいえ肉類はほぼ無かったが。おかげでティアナとオルタは痩せっぽちだ。


「ていうか、あなたご飯はもう食べたの?」

 クリスの前には緑色の液体が置かれているだけだ。コップに注がれたそれは中身が半分ほど減っている。白い皿のうえにはなにも乗っていない。

「私の朝食は野菜汁とパンだけだ」

「これ、全部わたしたちの分ってこと」

 嘘でしょう、とティアナは呆然とつぶやいた。


「ティアナは年頃の娘にしては細すぎる。たくさん食べろ。そこの……オルタも同じだ」

「沢山って言ったって」


 いきなりこんなにも食べたらお腹がびっくりしてしまう。

 ティアナはスープを飲みはじめた。美味しい。味がとっても濃厚だ。チーズもハムもめったに食卓には並ばなかったのに。職業嫁ってすごい、と改めて感心してしまう。

 悔しかったが朝食を半分ほど残してティアナの腹は満腹になった。


「もうだめ……お腹いっぱい」

「それだけしか食べていないだろう?」

「わたしたちの食事、いつもパンとスープだけだったのよ。突然にこんなにも食べられるわけが無いわ」


 それにこれから謎液体を飲まなければならないのである。

 ティアナはごくりと喉を鳴らしてグラスの中の液体を凝視する。せっかくの美味しい食事もこの薬の味のせいで台無しになったらどうしよう。不味そうな色である。

 ティアナは意を決して毛生え薬を流し込む。

 ごく、ごく、と喉を液体が滑り落ちる。


(うう……やっぱまずい……)


 ティアナは気合だけで飲み干した。喉の奥がむかむかする。本気でまずかった。ほんとにこんなもので毛が生えるのかと思った次の瞬間。髪の毛がうごめいた。ぶわわ、と銀色の髪の毛が一気に長くなった。


「うわー。こわっ」

 正直な感想が隣から聞こえてきた。オルタである。たしかに突然に髪の毛がぶわわっと伸びるのだからびっくりする光景だろうと思う。本人も若干引いた。

「長さ加減もちょうどいいな」

 クリスはべつのところで感心をしている。ティアナの髪の毛は背中の真ん中ほどの長さで成長を止めた。自分の長くなった銀色の髪の毛を一房手ですくう。

「これは……お金に困ったらまた売れる……。毛生え薬すごい」

「……」

 ティアナの感激のしどころにクリスとオルタが黙り込む。


「その長さの方が今の格好には合っている」


 クリスが咳払いついでにティアナを、褒めたらしい。たしかにレースとリボンがふんだんに使われた今の格好には短髪よりも長い髪の方が合っている。しかし、短い髪の毛は手入れも楽だったのだが。

 扉が突然に開いたのはそんなときだった。

 バンッという大きな音と共に一人の青年が食堂へ入ってきた。


「兄上!」


 大きな声が食堂に響き渡った。三人の目が一斉に扉へと向けられる。扉から入ってきたのは若い男だった。クリスに似た面差しだが、クリスよりも年下だと感じた。彼も同じく艶やかな濡羽色の髪をしている。


「なんだ、カーティスか」

 クリスはティアナからグラスを受け取った。

「なんだ、じゃありません! 結婚したって本当ですか?」

「早いな」


 役所に結婚契約書を提出したのは昨日の話である。昨日の今日でよくも情報が回るものだ。ティアナも呆気にとられた。クリスはティアナに向かって小さな声で「弟だ」とつぶやいた。なるほど、これが噂の、クリスに結婚圧力をかける弟ということか。


「結婚式も挙げずに結婚誓約書に署名をして役所で宣誓って。なんですか、その急展開は!」

「おまえがさっさと結婚をしろ、というからだろう。私にだって相手くらいいる」

 カーティスはクリスに近寄り胸倉を掴んでわさわさと前後に揺らした。クリスは迷惑そうな顔をして、弟から逃れた。

「相手ぇ⁉」

 と、そこでぐるんとカーティスの首がこちらに向いた。なんだか、どこかの魔物のように目つきが胡乱気だ。


「ティアナ・スウィングラーと申します」

「貴様のようなどこぞの馬の骨とも分からぬ女がスウィングラーの名を名乗るな」

 カーティスがどす黒い声を出す。

 いや、けれども。書類上ではすでにティアナはスウィングラーの姓になったのだ。

「私の妻だ。どこぞの馬の骨ではない」

 クリスが弟をとりなした。しかし、彼はそんなことではめげなかった。


「だいたい、どこの女ですか! 私の紹介したお嬢さんがたのどこがいけなかったというのですか。みんな由緒正しい家柄の素晴らしいお嬢さんたちではないですか!」

「魔法使いの女はごめんだ」

「この女は魔法使いではないと⁉」

 カーティスの視線が再びティアナに向けられる。

「え、ええ。まあ」

「なんですって!」

 うるさい男だな、と思った。魔法使いだろうとなかろうとそうも大差はないではないか。


「兄上! 兄上は四つ星の魔法使いなのですよ。デュニラス王国で十人しか存在しない四つ星の魔法使いなのです! それなのに……どうしてこんな女と……」


 くわっと目を見開きカーティスは再び兄の胸倉を掴みゆさゆさと揺さぶる。クリスは弟の腕を引きはがした。


「それはおまえたちがさっさと結婚しろというからだろう。だから俺は妻を見つけた」

「見つけたってどこで」

「そのへんで」

「そのへん?」

「ああ。街中で」

 それを聞いたカーティスはがくりと崩れ落ちた。

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