第5話姉妹の事情

 フクロウ亭の屋根裏部屋がティアナとオルタの住まいだった。十二歳の晩秋に母を亡くしたティアナは宿の女将さんの好意でそのまま母と暮らしていた屋根裏部屋に住むことができ、宿の仕事で日銭を稼いでいた。


 その日も小さな寝台でティアナはオルタと二人で丸くなって眠っていた。毎日くたくたになるまで働いているためぐっすり眠っていた。必死で働いても日々食べるので精いっぱい。それでも冬の前に少しでも稼いでおかなければならない。冬は燃料代が増えただでさえかつかつの生活が余計に苦しくなるからだ。

 眠りについていくらかした頃、屋根裏部屋の扉がトントンと何度か叩かれた。最初に気が付いたのはオルタだった。オルタは少しの物音でもすぐに目を覚ますのだ。小さいころからの習性だという。彼女は行商人の娘だったからだ。オルタはティアナを揺すった。


「ねえ……」

「ん……」


 オルタに起こされたティアナは重たい瞼をなんとか持ち上げた。こんな時間に誰だろう、と誰何の声を出すと、「わたしだよ」という声が返ってきた。世話になっている女将さんである。

 ギィィッと音を立てて扉を開けると女将さんが灯りも持たずに立っていた。


「どうしたんですか? 家賃の督促?」

「あんた。今すぐに出ておゆき」

 女将さんの言葉に眠気が吹っ飛んだ。

「えっ―」

 どうして、なんで、と問おうとすると女将さんに口を塞がれる。それからすいっと部屋に入ってきて扉を閉められた。


「あんたたちには申し訳ないんだけどね。うちの馬鹿亭主がやっちまった。一昨日から下に泊まっている行商人いるだろ」


 ティアナはこくこくと頷いた。フクロウ亭は宿屋だ。小さな町クロフトに二軒ある宿屋のうちの一軒。ここでティアナの母は下宿をして働いていた。母が死んだあとは生きるために宿屋の仕事や町の賃仕事を掛け持って生計を立てていた。


「馬鹿亭主がさ、あんたを行商人に売りつけたんだよ」

「え―」

 今度も女将さんの手がティアナの口元を覆った。


 女将さんの話をまとめるとこうだった。下に泊まっている行商人は今回たまたまクロフトにやってきた。ティアナもその客たちのことは記憶にとどめている。何しろ人の顔をじろじろ見ては下卑た笑みを顔に浮かべていたからだ。嫌な目つきだと感じていたし、あまり関りにならないように警戒もしていた。女将さんも同意見だったが、どうやらティアナの勘は当たっていたらしい。彼らはあまり人様に言えない品物も扱っているようで、要するに非合法な人身売買。世間話の体でティアナが身寄りのない娘で現在フクロウ亭で住み込みで働いていることを聞き出した行商人は宿屋の亭主コリーにティアナを買いたいと提案をしたのだ。酒代に釣られたコリーは了承した。


「わたしゃさ、さすがに寝覚めが悪いからね」


 亭主と行商人の悪だくみを知った女将さんは良心がとがめて、こうして知らせに来たとのことだった。この話はフクロウ亭を切り盛りする夫婦二人が口をつぐめばどこにも漏れない。ティアナの母はこの町の住民ではなく、クロフトに流れ着いた身の上。ティアナはこの町に身内と呼べる人間はいない。


「そ、そんな……」

 オルタが呆然とつぶやいた。

「とにかく、荷物をまとめて出ておゆき」

「ど、どこに」


 突然に言われたティアナは戸惑った。クロフトの町には母の墓もある。それに、ティアナはこの町で生まれ育ちこの小さな町が世界のすべてだ。たまに足を延ばして別の町へ赴くことはあったけれど、知り合いなどいるはずもない。町を出てどこに行けというのだ。


「とにかく、だよ。このままだとあんたは売られちまう。そうしたらどっかの娼館にでも連れていかれるのがオチだ。オルタも一緒にね。荷物をまとめて、厩に隠れておいで。わたしが騒ぎを起こすから夜が明けるのと同時にビースじいさんの荷馬車に乗っけてもらいな」

 女将さんは言うことだけ言ってティアナを急かした。

「お姉ちゃん」


 オルタがこちらを見上げる。ティアナは腹を据えた。これは女将さんの情なのだ。この機会を逃すとティアナとオルタは売られてしまう。ティアナは鞄の中に必要最低限の荷物を詰め込んだ。女将さんは持っていた服をティアナに寄越した。女の格好よりは男の格好の方が目立たないからとのこと。家を出て別の町で暮らしている息子の昔の服だという。


 女将さんは屋根裏部屋から出て行き、しばらくしたあと大きな声で「火事だぁぁ」と叫んだ。

 結構な大音量で、嘘だと知っているティアナたちのほうがびっくりした。カンカンカンと鍋を叩く音に起こされた近所の住民と宿泊客たちがわらわらと部屋から出てくる。「火はどこからだい」「あっちだよ」「煙が」などという言葉が聞こえてくる。ティアナたちも同じように部屋から出て、宿屋の裏にある厩へ移動をした。暗がりの中、厩の隅っこの藁の中に隠れて一晩過ごした。


 緊張で一睡もできなかった。もしも、用心のためにと厩に誰かが来たら。異変を知った親父さんがティアナたちを探しに来たら、と思うと体から力が抜けなかった。姉妹二人でじっと身を潜ませているとやがて外が白み始めた。そろそろ牛乳を売りにビースじいさんがやってくる。

 二人は意を決して厩から出てビースじいさんの元へ向かった。


 深夜の火事騒動のせいか、フクロウ亭もご近所さんもひっそりとしている。ビースじいさんに交渉をしてティアナたちは隣の町まで荷馬車に乗せてもらえることになった。駄賃を少し払って新鮮な牛乳を分けてもらって飲んでじいさんに口止めをする。


 隣町についてオルタと話し合い、とりあえず王都に向かおうということに決めた。王都なら人の出入りも激しいはず。貧しい姉妹二人が流れてきても何かしらの仕事があるだろうと考えたからだ。


 クロフトからエニスまでの路銀としてティアナは豊かな銀色の髪を売った。髪の毛を売るのは生まれて初めだった。お金になるのか半信半疑だったが、珍しい銀髪ということもありそれなりの値段で売れた。飢えることなくエニスまでたどり着くことができた。途中何度か荷馬車に乗せてもらえることもできた。乗合馬車よりも少ないお金で交渉できるからだ。


「ん……朝か」


 起き上がったティアナはぼんやりと考えた。昨日までの安宿よりも上等で大きな寝台で眠っていた。ええと、いったいこれはどういうことだろうか。もしかして、自分たちは結局コリーに売られて娼館に閉じ込められているのではという考えが頭をよぎる。慎重に部屋の中を観察しているうちにゆっくりと昨日の出来事を思い出した。


(そうだ。魔法使いのお嫁さんになったんだった。期限付きの職業嫁。エニスにはホント、いろんな職業があるものね~。お金で奥さんを雇うなんて、すごい発想だわ)

 うんうん、と一人納得をする。


「んー、おはよー」

 オルタも起きた。二人とも朝は早いのだ。


 そっと部屋を抜け出して召使がいそうな屋敷の裏側に足を運んだ。屋敷で雇われている人間はすでに起きていて、女の召使に水が欲しいと言うと部屋で待っていろと言われた。部屋に戻って待っているとお仕着せを着た若い女がたらいと水を持ってきてくれた。顔を洗って昨日のドレスにそでを通す。全部自分たちの手で身支度を行っていると女は唖然としていたが特に何も言わなかった。朝食は階下の食堂で、と言われて指定された時間に降りていく。


 食堂の場所ってどこだよ、と思いながら階段を降りて玄関ホールにたどり着いたところで「こっちだ」という高い声が聞こえた。オルタよりも少し年上であろう少年が立っていた。そういえばクリスが弟子がいると言っていた。


「ありがとう」

 ティアナが返事をすると少年はそっぽを向いて立ち去った。ティアナとオルタは顔を突き合わせて同時に肩をすくめた。

 食堂に入るとクリスがすでに着席をしていた。


「おはよう、クリス」

「おはよう。毛生え薬を調合した。これを飲め」

「今すぐ?」

「いや、朝食後で構わない」


 クリスが差し出したグラスの中には茶緑色の液体が入っている。味の想像がつかなくて、若干気味が悪い。ていうか毛生え薬って、ほんとにそんなものでティアナの短い髪があっという間に伸びるものなのか。

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