第3話新居に到着です
つまりはこういうことだ。
クリストフ・スウィングラー、二十九歳は身内からの結婚しろ圧力に頭を悩ませている。特に彼の弟はことあるごとにクリスに縁談を持ってきて、断ると相手のどこがいけないのかどういう女なら会うのかなどしつこく食い下がる。しびれを切らしたクリスは弟としょっちゅう喧嘩をし、それでもめげずに何度も妻を娶れと迫る弟に啖呵を切った。妻くらい自分で見つけられる、と。
とはいえ妻は面倒だ。女の相手をしている暇があれば趣味兼仕事の魔法の研究をしている方がましである、というのがクリスの考えで、だったら妻業を引き受けてくれる女を探せばよいのではないか、という結論に至った。
「お姉ちゃん……まさか本気で結婚をするなんて。ねえ、ちょっと正気なの⁉」
馬車の中でティアナの袖をがくがくと揺さぶるのはオルタだ。
現在役所からの帰り道である。馬車の中にはティアナとオルタとクリスとサディスの計四人。
「クリス様。本気ですか。妻を雇うなどと……しかも、見ず知らずの少女と本気で結婚契約書に署名など……」
オルタとサディスは仲良く顔を蒼白にしている。
無理もない。なにしろ出会ってすぐに結婚を決めたのだから。クリスとティアナが、である。
「別に結婚したって契約が終われば離縁をすればいいんだからいいじゃない」
「バツが一個付くんだよ?」
あっけらかんといえばオルタがくわっと目を見開いた。
「大丈夫。わたしと結婚したがる男なんて現れないから」
「お姉ちゃん。自分の顔、ちゃんと見て!」
「いいことオルタ。結婚はね、家と家の結びつきなの。顔はこの際どうでもいいの。わたしみたいな親無しっ子をお嫁に貰おうと思う男なんていないって。いたとしても稼ぎの無い飲んだくれだけよ。そういうのはこっちもごめんだし。結果バツがついても平気ってこと」
自分理論を振りかざすとオルタと目の前のサディスが同時にあんぐりと口を開けた。
「思い切りのいい娘だな」
なぜだかクリスは感心口調だ。
「バツが付くよりもお仕事にありつく方が大事です。しかも、娼婦の真似事はしなくていいんでしょう?」
「お姉ちゃん、情緒を持って!」
やっぱりオルタが叫んだ。
「私が必要なのは立場上の妻だ。妻がいれば親族がこれ以上私に結婚圧力をかけてくることも無い。それ以上の夫婦の結びつきは求めない。お飾りの妻で十分だ」
「住み込みで三食昼寝付きってほんとなんですよね。オルタも一緒に」
「ああ。妻として必要なものは全部経費で準備をする」
「それで、妻って何をしたらいいんですか?」
「別に敬語はいらない。私の妻になったんだから」
「そうね。じゃあ……クリス様って呼んだ方がいい? それともクリストフ様?」
「単にクリスでいい。私もきみのことはティアナと呼ぶ」
「愛称でティーナって呼んでくれてもいいけれど。そっちのほうが新婚っぽいし」
「いや、ティアナでいい」
「まあどっちでもいいか」
「それよりも、屋敷に帰ったら毛生え薬を調合する。一応スウィングラー家の嫁という立場になるのだから今みたいな男のような髪の長さでは色々と不都合だ」
ティアナはこくりと頷いた。
クリスは魔法使いだ。自分で魔法の薬も調合できるのだろう。魔法使いの知識などないに等しいティアナにとって、魔法使いというのはとりあえずすごい人、だ。
ティアナの髪の毛が短いのは単に旅の路銀を稼ぐために髪の毛を売ったから。とくに短髪に思い入れがあるというわけではない。
二人は馬車に揺られながら契約内容と対外的な二人のなれそめについて話し合いをした。さくさくと話を進めていく二人に呆れたのかオルタもサディスも口出しをしてこなかった。
そんな風に打ち合わせをしていると馬車が速度を緩め、やがて停車をした。彼の屋敷に到着したのだ。
クリスの住まう屋敷は、なんていうかそれらしかった。
「いかにも魔法使いの屋敷って感じ」
「そうか?」
正直な感想を言うとクリスは首を傾げ、サディスが苦笑いを浮かべた。
周りもお屋敷ばかりの、高級住宅街の一角にあるクリスの屋敷は黒い蔦で覆われていて、なにか奇妙な感覚に陥った。これで曇り空の中黒い鳥が奇怪な声を上げて空を飛んでいれば完璧である。どのへんが、というといかにもという演出的に、だ。オルタがぎゅっとティアナのスカートの裾を握っている。
クリスは一人でさっさと歩いて屋敷へと近づいた。大きな玄関扉の横の蔦に顔を向け、何かを唱えている。なんだろう、と姉妹は顔を見合わせる。
「ああそうだ。二人ともこっちへ」
クリスに手招きをされたティアナとオルタは屋敷の玄関口へ近づき、彼に指示されるまま蔦の葉っぱに手のひらを押し付けた。その直後、呪文が聞こえてきた。
「これは?」
「この蔦は魔法の蔦だ。私の許した人間以外が屋敷に立ち入ろうとすると毒をまき散らす」
「ひぃぃ」
クリスの説明にオルタが頬を引きつらせる。今は屋敷の主人たるクリスと一緒のため攻撃を受けないらしい。
「すごい仕掛け」
「屋敷の中くらいゆっくりと過ごしたいからな」
魔法って便利ね~くらいに感心したティアナは基本的に腹が据わっている。でも、お屋敷には出入りの商人とかいそうなものなのにどうしているのだろうか。うーんと首をかしげるがここで質問をするのも時間の無駄かも、と思ってティアナは促されるまま屋敷の中に足を踏み入れた。
屋敷の中はわりと普通で、玄関ホールに階段、それから奥に扉がいくつかある。
従僕が現れクリスは妻を連れ帰ったことを伝えた。
従僕の青年は軽く驚いたもののすぐに平静に戻りクリスの指示通りティアナ用の部屋を準備しに姿を消した。人の気配のあまりしない屋敷だと思った。お金持ちの家だとたくさんの召使が雇われているものだと思っていたのだが。屋敷の規模の割にしんとした空気が漂っている。
「あなた、一人で住んでいるの? 噂の弟さんは一緒?」
「私と弟子が一人住んでいる。両親は領地で暮らしていて、弟はエニスと領地を行ったり来たりしている。この屋敷は別邸だ」
「へぇ~、弟子がいるの。いかにも、らしいわね」
「といっても遠縁の魔力持ちの子供が下宿をしているに過ぎない」
「ふうん?」
結婚をしろと煩く言ってくる弟と同居ではなくてティアナは少し安心した。人数が少ない方が嘘もバレない。さすがにお金で妻を雇ったというのは外聞がアレなので、そのことはできる限り秘密にすると馬車の中で決めた。しかし、すでに彼の部下であるサディスにはバレているが。
「あの。わたしとお姉ちゃんはしばらくは同じ部屋で寝起きしますから!」
「別に構わないが」
オルタが威勢よく宣言をするとクリスはあっさりと頷いた。
「あ……そうですか」
出鼻をくじかれたオルタの声から勢いが消えた。それでも、絶対に油断はしませんからね、という風にクリスに対して警戒心をむき出しにしている。毛を逆立てる子猫のようでもある。
「部屋の準備が整うまであっちで休んでいろ。私はまだやることがある」
結婚をしたというのに甘さの欠片も無い新婚生活が始まった瞬間だった。
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