第2話三食昼寝付きのお仕事とは
窃盗犯は魔法警備隊に引き渡されて、ティアナの元には無事お金が返ってきた。
普通に窃盗犯を捕まえるくらいなら街の警備隊で十分なのに、ティアナのために魔法を使ってくれた男、いや青年はわざわざ魔法警備隊を呼んだ。しかも、魔法警備隊の隊員はみんな黒髪の青年にやたらと腰が低かった。どうやら結構なお偉いさんらしい。見た目は二十代後半くらいなのだが、人は見かけによらないものである。いいところのお坊ちゃんなのだろうか。それならティアナの故郷でも町長の息子が威張り散らしていたからなんとなく理解できる。
窃盗犯の男は案の定というか、ティアナが細くて弱そうだから狙ったと供述をしたそうだ。悔しかったが、世の中とはそんなものだ。
一通りの手続きが済んだティアナは魔法警備隊の詰め所から外へ出た。オルタと、親切な男性も一緒である。
「無事に財布が戻ってよかったな。あと、これからは往来で林檎を投げるな。当たると痛い」
「ごめんなさい。そして助けてくれてありがとうございました」
ティアナはしずしずと謝った。たしかにりんごを投げたのはティアナだ。
「いや、乗りかかった船だ」
彼は詰め所の警備隊の年かさの男からスウィングラー様と呼ばれていた。彼が一緒だったお陰でティアナたちへの待遇も良かった。お茶とお菓子でもてなしを受けたのだ。朝から何も食べていなかったのでありがたかった。
ティアナはまじまじと青年、スウィングラーの顔を見た。やや神経質そうだが整った顔立ちをしている。髪の毛は前も後ろもあまり頓着しないのか男にしては長めである。視界不良にはならないのかな、と思うくらいの長さだ。しかし着ているものは上等そうだ。マントもしくはローブこそよれっとしているが、中の衣服はきっちりと糊がきいているし革靴もつやつやに磨かれている。これは金持ちに違いないと相手を値踏みをして、ティアナは自分の売り込みをかけることにする。
「あの、助けていただいたついでに不躾な質問ですが。従僕とか募集中ではないですか? 使い走りでもなんでもできます。買い物係とか厩番とかでも。妹と一緒に住み込みでどうですか?」
お金持ちなら従僕の一人や二人もしかしたら募集中かもしれない。
ティアナの売り込みを聞いた男、スウィングラーはふうむと黙り込む。それからゆっくりと口を開く。
「……女手なら欲しいが、男は要らん」
「女なら、いいんですか?」
「ああ」
男の声にオルタの頬が引きつる。嫌な予感がする、とすぐさま顔に浮かび出るがティアナは気にしないことにする。
「わたしこんな格好をしているけれど、女です!」
ティアナは元気に手を上げた。
男はティアナの主張に胡乱気な顔をした。それからティアナを上から下まで眺めて十数秒。
「手を出せ」
「え?」
「手を出してみろ」
「こう、ですか?」
ティアナは両手を前に差し出した。手のひらを男に見せると「手をひっくり返せ」と言われて言う通りにする。
男はじっくりとティアナの手を眺める。
「荒れているが……男の手ではないな」
「きみの言うことが本当なら……確かめさせてもらおう」
男がティアナの腕を取る。
「え、ちょっと」
さすがに流れるように事態が進みティアナも慌て出す。一体どこに連れて行こうというのか。
そのとき、通りの向こうから「クリス様~」という声が聞こえた。
飴色の髪をした男だ。そして彼はティアナの腕を掴む男性に向かって「クリス様、どこに行っていたのですか」と少し息を切らしながら言った。
目の前の男はクリスという名前らしい。
「魔法を飛ばしただろう。林檎が後頭部を直撃した縁でひったくり犯を捕まえた」
「ええまあ、手紙は読みましたけれど。それで、その少年は?」
クリスよりも腰の低い態度の青年がティアナをまじまじと見つめる。
「ちょうどいいから連れて帰ることにした」
「はあ……。って、何にちょうどいいんですか」
クリスの言葉に青年が目を剥いた。状況がつかめないらしい。ティアナもそれは同じことだから説明くらいあってもいいのでは、と思う。いつも元気なオルタもどうしていいのかわからないらしくティアナの腰あたりの布をぎゅっと掴み成り行きをしっかりと見守っている。
「この少年は実は女だと主張をしている。サディス、とりあえず今すぐにどこか女の服装を調達できる店に案内しろ。ついでに着替えと化粧が出来るところも」
「え、えぇぇっ!」
サディスと呼ばれた男の声が辺りに響いた。
ティアナとオルタは店の女たちによって浴室へと連れてこられた。
自分で出来ます、と主張をするのに女たちは頑として譲らずティアナの服をひん剥いて湯の張られた浴槽へ放り込んだ。オルタも同じく、だ。
「大丈夫ですって。自分で洗えますからっ!」
「まあまあ落ち着いて。わたしたちもこういうのには慣れているから」
女たちはティアナの声にも動じていない。
足つきの真っ白な浴槽の中にはたっぷりのお湯が張られていて、ちょうどよい湯加減に緊張をしていた体が弛緩してしまう。ティアナはいつもお湯に浸した布で体を拭くか、旅の途中は河で体を洗っていた。たくさんのお湯を使うことができるのはお金持ちだけだ。
頭からお湯を掛けられてティアナよりも少しだけ年上の女に髪の毛を洗われる。丁寧に念入りにごしごしと洗われてゆくと、埃や汚れが落ち本来の艶やかな銀色の髪が姿を現す。
「ふんふん、きれいな髪だね」
「……」
ティアナは黙り込んだ。髪色を褒められても嬉しくないからだ。
「さて、次は体だね」
「いや、あの。自分で洗いますから」
今度こそ羞恥に叫んだが女はやっぱり動じない。しかしティアナにとっては大問題だ。
ささやかすぎる胸を見られるのも恥ずかしいし、他人に体を洗われるのも初めての経験なのだから。なにか色々なものを無くした気がする。
「お貴族様は生まれたときから召使に世話されることに慣れているもんだよ」
「わたし、お貴族様じゃないですから!」
「わかっているよ。世の中にはそういう人間もいるってことだよ。とにかく諦めて大人しくしな」
どこぞの悪役のような台詞を吐いて女たちはティアナを洗っていった。
湯から上がると一番年かさの女はティアナの体に香油を刷り込み髪の毛をごしごしとタオルで拭いて、今度は生まれて初めてコルセットをつけられ、息が苦しくて吐きそうになった。まだまだこれからだから我慢をし、と勢いよく背中を叩かれ、それからドレスを着せられた。上等な絹のドレスはさらさらの手触りでびっくりした。こんなもの今まで一度も着たことが無い。オルタも同じようにレースのたっぷりとついた子供用のドレスに着替えさせられた。
「お、お姉ちゃん。まずいよ。わたしたち絶対に売られる」
「大丈夫。いざとなったら急所蹴って逃げるわよ」
二人はこそこそと話し合った。
まずい。絶対におかしい。
女手を探しているという男に大きな館へと連れてこられて、風呂場に直行。美しいドレスに着替え髪の毛を整えられ軽く化粧までされた。なんかもう典型的な展開な気がしてティアナは自分の軽率さを呪った。
女たちはティアナの変身ぶりに満足がいったらしい。
一様に誇らしげな顔をして、別の女にティアナたちを引き渡した。金色の髪の毛を高い位置でまとめた二十代くらいの女だ。
彼女に引っ立てられクリスたちのいる部屋へ向かった。
部屋に入るなりクリスにじぃっと見つめられた。
その顔には感嘆が浮かんでいる。
「本当に女だったんだな」
「だから言ったじゃないですか。女です、って」
「ああそうだが。いや、胸が無かったから半信半疑だった」
「悪かったですね! 貧乳で」
気にしていることをさくっと言われてティアナは叫んだ。
「でも今は少しはあるから気にする必要はない」
「少しって……」
ティアナは頬を引くつかせた。何気に失礼な男だ。
「ディケンズ様に彼女たちを女性らしい格好にしてくださいと頼まれたときはどうしたものかと思いましたけれど。汚れを落として着替えたら見違えましたわ。ほら、この可愛らしい顔。とっても美人さん。化粧はほんとうにうっすら。化粧をしなくてもとてもきれい。お肌が荒れているからお手入れは必須ですけれど」
金髪の女が先ほどクリスにサディスと呼ばれていた青年に高い声を出した。
「急な依頼に応えてくださってありがとうございます。バーキット夫人」
サディスが丁寧に返事をすると女は「いいえ。ディケンズ様の頼みですから」と微笑んだ。
「おまえが娼館の常連だとは知らなかった」
「違います。こちらの店には色々な頼みを聞いてもらっているんです。昔から」
「あら、今度はお客として来てくださいな。ディケンズ様」
「ええ、それはまあ……考えておきます」
「ドレス代やら諸経費はサディスに回してほしい。サディス、立て替えておけ」
クリスが言うと金髪の女、バーキットは丁寧に礼をした。
ティアナは口をはさみたいのを必死にこらえていた。
自分たちを置いて、話が目の前でどんどん進んで行く。
(やっぱりこれはいわゆる……娼館に売られる的な……?)
せっかくお風呂に入ったのに背中に嫌な汗をかいてきた。大人数だから全員の急所を蹴り上げる前に捕まりそうだ。あと、地理が分からない。ということはこの屋敷を飛び出したところで自分たちの仮住まいにしている安宿への帰り方が分からない。これは結構なピンチなのかもしれない。
しかもクリスはティアナたちを無視して話を進めていく。
「あとは、髪の毛だな。やはり長い方が見栄えがするか」
「あの」
「屋敷に帰ったら毛生え薬を調合しよう」
「えっと」
「とりあえず次の場所に向かう」
「あの! 人を娼館に売り渡すのが女手がいるってことならお断りよ!」
ティアナはたまらずに叫んだ。
「はあ? 私がそんなことするはずないだろう。金なら余っている」
うわ。ムカつく。こんなときなのにティアナは率直に思った。
「じゃあいったいどんな理由で女手がいるっていうのよ⁉」
「どんな……。簡潔に言うと三食昼寝付きの仕事だ」
「それって住み込みってこと?」
「そうなるな」
「三食って、本当に?」
「おやつもつけたいならつけていいが」
「クリス様、もしかして変なことを考えていませんよね?」
なぜだかサディスの声が若干上擦っている。
「いや。いたって普通だ。合理的に考えた」
「嫌な予感しかしませんが」
「ええと、きみ」
「……ティアナ。ティアナ・リドリー。こっちは妹のオルタ」
「ティアナ。きみの仕事は私の妻になることだ。住み込みで三食おやつに昼寝付き。条件として悪くはないと思う」
至極真面目な声を出すクリスを前に、ティアナはこれが冗談でも嘘でもなくまさしく正真正銘本気なのだと直感で感じ取った。
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