【書籍発売中】魔法使いの契約花嫁になりましたー三食屋根付きの簡単なお仕事ですー

高岡未来@9/24黒狼王新刊発売

第1話王都といえど職探しは難しい

 太陽が真上に昇るまであと一時間ほど。

 この頃になるとデュニラス王国の王都エニスでは通りのあちこちの店からよい香りが漂ってくる。肉が焼ける香ばしい香りは正面の店から。別の店からは香草の香りが風に乗ってふわりと舞い上がる。非常に食欲をそそるよい香りで、お腹がきゅるきゅると切なげに鳴いた。


 しかし腹の虫の音を無視をして、くたびれた上下に身を包んだ線の細い少年はとある食堂の通用口に立っていた。ざんばらに切られた銀色の髪は埃をかぶっているせいか少しくすんでいる。服の袖からのぞく腕も足首もとても細い。少しの衝撃でポキっと折れてしまいそうな小枝のようである。

 厨房を取り仕切る中年男はひょろっとした少年を上から下までじろじろとながめた。


「お願いします! わた、いえ、僕を雇ってください。何でもできます。料理も皿洗いも給仕も掃除も洗濯も! そう、なんでも!」

 やや高い声はまだ声変わり前といった風情で、大きな声で一生懸命己を売り込んでいる。

「で、そっちの妹と一緒に住み込みで雇ってほしいってか」

「はいっ! 故郷から出てきて住み込みで仕事を探しています」


 少年の横にはまだ年端もいかない女の子供が立っている。少年とは違い麦色の髪の毛をした少女ははやりくたびれた衣服を身に着け、中年の男の視線に怯えることなく自分を売り込む。


「わたしもなんでもしますっ! 皿洗いも掃除も店の前で呼び込みも。あ、あと厩番もできます」

「うちに厩はねえよ」

「なんなら厠掃除でも!」

 少年が間髪入れずに言葉を挟む。

「ふうん。……元気だけはいいんだけど駄目だな。そんな細っこい腕じゃあ鍋一つ持ち上げられねえ。ぽきって折れちまいそうだ。悪いな。他をあたんな」

 男は用は済んだとばかりに手を振った。


「そんな!」

「こちとら仕込みで忙しんだ」

 男は少年には目もくれずに仕込み作業に没頭し始める。

 少年は「お時間を取らせました!」と元気な声を出してから食堂の通用口から離れていった。


 人間引き際も大事だ。エニスには店の数は山ほどある。数打てば当たるというではないか。

 少年は頭を切り替えて次だ、次とばかりに別の食堂に向かい同じように頭を下げるもやはり細い、背が低い、見た目が弱そうという理由で門前払いになった。何軒も同じ目に遭い、少年はしょんぼりと肩を落とした。


「そうだ。このへんはもうおしまいにして王宮近くに行こうよ」

 少年の妹、オルタが気分を変えるようにからりとした声を出す。

「王宮?」

「うん。宿屋のおばさんが、王宮近くには役人目当ての食堂がいくつかあるよって言っていたじゃん」

「そういえば……」


 少年は宿屋の女将から聞いたエニスの地理を頭に思い浮かべる。王宮近くには役人が多く勤めていて、そういう人を目当てに食堂が乱立しているとのことだ。勤め人の胃袋を支える食堂。しかも相手は役人。ちょっとやそっとのことでは潰れなさそうだし給金も待遇もよいかもしれない。


 少年と妹は王宮近くの通りへとやってきた。

「王宮ってことは魔法使いが多いってことかな」

オルタが辺りをきょろきょろと見渡す。行き交う人々は取り立てて変わったところのない普通の人間だ。

「貴族は魔力を持っている魔法使いの家系が多いし。そうなんだろうね」

「魔法使いにおねえ……お兄ちゃんは会ったことある?」

「べつにお姉ちゃんでも構わないのに」

「駄目だよ。誰が聞いているか分からないんだから。王都では当分の間、男の振りしなくちゃ」

 少年、いや少女は「けどね……」とため息をつく。

 訳あって男の服装をしているが、このおかげでエニスでの職探しが大いに難航しているのは気のせいではないはずだ。


「あ、ほら。あそこに食堂がある。行ってみようよ、お兄ちゃん!」

 オルタが駆け出したため少年、いやティアナも慌てて付いていく。


 ティアナの銀色の髪の毛は耳の辺りでばっさりと切られている。古ぼけた麻の上衣に丈が微妙に合っていないズボン。それから穴の開いた靴。今のティアナはどこからどう見ても線の細い少年だ。


 食堂は昼のピークを過ぎたのか人もまばらだった。

 ティアナはテーブル席に座って客待ちをしていた女将に「仕事を探しています」と元気に伝えた。

 三十を超えているであろう女将は「間に合っているよ」とそっけなく言い、「ほら、邪魔だから」と二人を追い払った。


 仕方がない。隣の店にターゲットを変更する。

 そういうことを何度か繰り返したが成果は上がらず。

 さすがのティアナの心も折れかかっていた。


(はぁぁ……。王都ならすぐに仕事が見つかると思っていたのに。やっぱり、男の振りして仕事探すのが無理ってもんじゃないの? わたし細いし、同じ男を雇うのならやっぱり筋肉むきむきの人の方が体力ありそうだし、わたしだってそういう人雇うわ)


 やっぱり男の格好をしていると不利になる。


「おね……お兄ちゃん。こういうときはご飯食べよう」

「そうだね」


 ティアナは力なく笑った。妹のオルタの方が前向きだ。薄い布の鞄の中には市場で買ったりんごとパンが入っている。旅の路銀は大切に使わないといけない。食堂に入ってのご飯などもってのほか。パンがあればどうにか食いつなげる。どこか、腰かけられるところはないだろうかときょろきょろとあたりを見渡しているときだった。

 後ろからどんという衝撃を受けた。


「きゃ……」

 つい女のような悲鳴を口から出したのと「ひったくりだよ! お姉ちゃん!」というオルタが叫んだのが同時だった。

「えっ! なんですって」


 ぶつかった衝撃で前につんのめっていたところをどうにか踏ん張ってティアナはささっと体に手をやる。ポケットに入れてあった布袋が無い。


(まずいわっ!)


 ティアナは即座に駆け出していた。

 まさかこんなみすぼらしい格好をした人間を狙うだなんて。完全に舐められた。

 ひったくりは男で、すでに前方を走っている。


「待てぇぇぇぇ!」

 ティアナは走った。


 宿屋の荷物の中にも路銀は隠してある。オルタにも持たせてあるし、下着の中にも隠してある。いくつにも分けて保管をするくらいお金は貴重なものなのだ。それを、人の懐から奪い去るなんて。絶対に許すまじ。


 しかし窃盗犯との距離は増すばかり。こちとら朝食にパンをかじったきり何も食べていないのだ。しかも相手は男でこっちは女。こんな格好をしているが、ティアナは女で腹ペコでずっと歩き詰めで、要するにいま全力疾走をしても窃盗犯に追いつける自信はない。ということでもう一つの方法を取ることにする。

 ティアナは鞄の中から林檎を取り出して、男をめがけて投げつけた。

 とりあえず後頭部に直撃をしてくれればどうにかなるはず。


「いって」

 走りながら投げた貴重なリンゴは窃盗犯ではなく、通りを歩く別の男の後頭部を直撃した。マントを羽織った男である。

(うわ。やば……)

 ティアナはちょっと罪悪感を覚えたが今は窃盗犯のほうが大事だ。

「おい! そこのおまえ」

 走って自分が林檎をぶつけた男を追い抜こうとすると、男がティアナの腕をつかんだ。

「うわ。ちょっと待って。あの男に当てようとしたの! あいつ人の財布盗んだから」

 ティアナは必死で喚いた。こっちにだって言い分がある。

「……なるほど」

 低い声は、一応納得したのか。ティアナは男から解放された。もう一度は知り出そうとしたとき、男の腕で制止をされる。


「ちょっと」

「こっちのほうが速い」


 男はそれだけ言って、口の中で何かを呟き始める。ティアナはよく聞き取ろうと耳を澄ませた。ぶつぶつと風だかなんだかという言葉が聞こえて、それから。

 ティアナからずいぶんと離れつつあった窃盗犯の足元がぐらりと傾いだ。大きく転んだ男は立ち上がろうと足を動かすも、何度ももつれてその場に倒れたまま起き上がることができない。


「え、ちょっと……」


 通りを行き交う人々がじたばたと大きく動く男をちらりと見て、それから何事も無かったかのように歩いていく。誰も男に手を貸そうともしない。皆、こちらを見て、いやティアナの隣の男を確認するだけ。


「魔法だ」

 男は簡潔に言って、大きな歩幅で歩きだした。つややかな黒髪は無造作に肩にかかっている。ティアナよりも背の高い男はやがてうずくまる窃盗犯のすぐそばにたどり着き、鮮やかな手つきで拘束をした。


「うわぁ。本物の魔法使いだぁ」

 いつの間にかオルタが隣にいた。


 ティアナもこくこくと頷いた。生まれて初めて魔法を見た。それから本物の魔法使いも。

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