第666話 大砲のスイッチ
氷の壁に視界がほとんど覆われてしまい、中の様子はほとんどわからない。しかし激しい魔力のぶつかり合いが空気を伝ってビリビリと感じられ、スカドゥラ王国軍の人々は戦慄を覚えているようだ。
リンは無視することも考えたが、あちらからも攻撃されては余計面倒になる。ちらりとジェイスたちを見ると、肩を竦めていた。
「いつかは来るかもしれないとは思っていたよ。リン、ちょっと手伝ってくれるかい?」
「わかりました」
「二人共、こっちは任せとけ」
克臣たちに背中を預け、リンとジェイスは氷の壁の上に立った。見下ろすと、二人に気付いた軍人たちがざわついている。
スカドゥラの一人が前に進み出て、リンたちを見上げ険しい顔をした。腕章をつけかつ金具の多い服装からして、位を持つ者だろうか。
「お前たち、ここで何をしている? 現在、この場所は危険であるため封鎖しているのだが」
「申し訳ありません。ですが、俺たちにも譲れない理由があります。町の守りをお願い出来ませんか?」
「貴様、ヌケヌケと」
忌々しげにリンを睨みつけた男が、部下たちに銃を構えさせた。一糸乱れぬ動きは、流石軍部といったところだろうか。
しかし、背後では激しい戦闘が今も行われている。二人の背中は仲間たちが死守してくれるが、それもいつまでもというわけにはいくまい。
ジェイスが「仕方ないか」と息を吐く。
「この手段は使いたくなかったんだけど」
「何をボソボソ言っている。お前たち、威嚇射撃だ」
男の号令に、躊躇なき射撃が行われる。威嚇射撃という名は守られ、弾は全てリンたちの足元を狙っていた。しかし、それも攻撃をして相手を脅す手段でしかない。
ジェイスは軽く右腕を振り、気の力で見えないナイフを数十本創り出した。それを放たれる相手側の弾にぶつけ、弾が予測不能な方向へ飛ぶように仕向ける。
「うわぁっ」
「な、なんで戻って来るんだ!?」
「お前たち、落ち着かんか!」
スカドゥラ王国軍は、まさかジェイスの魔力によって自分たちの威嚇が無効化されたとは思わない。慌てふためき連携が途切れる中、冷静なジェイスがこの場の司令官である男の前に降り立った。身長はジェイスの方が五センチ以上高く、男はわずかに彼を見上げる。
「……きみたちの上司に伝えてくれ。『必ず脅威は去るから、町の安全を確保することを優先して欲しい』とね」
「貴様らのような怪しい輩の言うことなど、信じられるものか!」
「まあ、そうなるか」
突っぱねられ、ジェイスは苦笑いを浮かべる。それを見ていたリンは、頑張る男に向かって口を開いた。
「お前たちの上司が誰かは知らない。だが、明らかな余所者の俺たちよりも国民を優先するのが国家だろう。――頼む、引いてくれ」
「何を言って……あ、おい!」
スカドゥラ王国軍の制止を無視し、リンとジェイスは再び氷の壁の内側へと戻った。壁は二人が内側へ消えると同時にその高さを増し、外からは完全に内側を覗くことが出来なくなる。
「……」
「どうしますか? 一点集中攻撃をすれば、壊せない壁ではないと思いますが」
部下の一人に提案されたが、司令官の男は首を横に振る。壮年と呼ばれる年齢に差し掛かっていた彼は、幾つかの戦場を経験してきた。その彼をもってしても、明らかに年下の青年に恐ろしさを覚えてしまった。おそらく、自分たちは彼らに勝てない。
「……いや、彼らの言う通りにするよう、ベアリー様にかけ合おう。町の安全を最優先に動くことを最優先にすべきだ、と」
「わかりました」
何か言いたげな部下だったが、足元に落ちていた弾丸が真っ二つになっていることに気付いて口を閉じた。ナイフが弾丸を跳ね返すと同時に切っていたらしい。
「戻るぞ」
背中を向け、振り返らずに坂を駆け降りる。その途中、何かが割れるような音が聞こえてきたが、立ち止まらなかった。彼らには、国民を守るという義務がある。
一方、大砲の射程内に戻ったリンとジェイスは、更に厳しさを増す先頭に身を置いた。
大砲は要らないやる気を出したのか、連射に磨きをかけている。一発一発の間に五秒程の余裕があった先程とは違い、今は一秒以内に次の弾を撃っていた。
紙一重で連射を躱したユーギが、悲鳴に近い声を上げる。
「いや、無理ゲーだから!」
「無理ゲーとか言うなって」
「わかってるよ! こんなもの、ぼくらの敵じゃないね!」
ユキに言い返し、ユーギが飛んで来る弾を自分の方へと誘導する。目の前に迫った途端に横へ飛び退くと、後ろで待っていたのは唯文だ。
「任せろ」
スピードに乗ったまま飛んで来る弾丸を斬り伏せ、更に追撃も打ち返す。大砲の制御を失った弾は力なく落ち、姿を消した。
「リン、ジェイスさん!」
「晶穂、現状は?」
ジェイスに問われ、晶穂はふるふると首を横に振る。
「致命傷は全く与えられてない。そもそも、あれはどうやって止めたら良いのか……」
「ただ戦っているだけじゃ、時間を浪費して疲労がたまるだけが。……どうしてこういう時、守護は何も言わないんだ!」
今までは、守護が良い意味でも悪い意味でもリンの思考を邪魔することで突破のヒントを得ていた。しかし今回、大砲という無機物が相手だ。人を傷付ける兵器であるそれに、思考を求めること自体が無意味なのかもしれない。
リンの言葉に、ジェイスが頷く。
「今回は特に、何の思念もないからね」
「何処かに、大砲を止めるスイッチでもあれば良いんですけど……」
ぼそりと呟いた晶穂に、近くで操血術を展開しようとしていた春直が反応した。
「ぼく、見たかもしれないです」
「見たって……何をだ?」
「あいつの起動スイッチです!」
春直が指差したのは、今まさに彼に向かって口を向ける大砲。リンは撃ち出された弾を真っ二つに斬ると、晶穂に抱き締められ守られた春直を振り返った。
「春直、教えてくれ。何処にあるんだ」
「はい」
リンの問いに、春直は元気に立ち上がって応じた。
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