第378話 手がかり

 視界が真っ赤に染まったと、春直は言った。その時に意識が遠のいたとも。

 春直を休ませている部屋を後にしたクロザは、一人邸の居間へとやって来た。四人掛けソファーに腰を下ろし、息をつく。

「まだ十代前半だったか。そんな子どもに、無意識でとはいえ仲間を傷付けた話をさせなければならないとはな」

 あの時、春直は涙を流しながら話していた。ここに連れてくる前から、春直は眠りながらも泣き続けていた。眠って泣きながら、何度も「ごめんなさい」と繰り返していた。そして、何度も銀の華の仲間たちの名を呼んでいた。

 余程、精神的にまいっているのだろう。

「……」

 じっと春直の目元の涙を拭った指を見つめる。既に涙は乾いてしまったが、あの時の後悔と悲しみに満ちた寝顔が脳裏に焼き付く。

 クロザは一つ深呼吸をすると、再び立ち上がった。次に春直が目覚める前に、彼に見せるための資料を見繕う必要があるからだ。

 資料室でもある書庫は、邸の地下にある。クロザはランタンを持ち、ゆっくりと階段を下りていった。




 春直が姿を消して、既に半日以上が経過した。

 リンたちは晶穂が得てきた目撃証言に従い、北の山脈につながる森へと足を踏み入れていた。鬱蒼と茂った木々の間を抜け、人が通れそうな道を探しながら歩く。時折視界を塞ぐ蔦や蔓は、剣で切り進む。

「本当に、こんなところに春直がいるのかな……?」

 来た道がわからなくならないよう、赤い糸を気にくくりつけながら進むユーギが問う。それに正確な返答を用意することは出来なかったが、リンは正直に口にした。

「わからない、というのが正直なところだ。ただ、町にいたところで春直と出逢える可能性は極端に低い。あの子が、泣き腫らしたままの顔で人前に好んで出るとは考えにくいからな」

「むしろ、人と会わないように森とか山とかの中に入っちゃいそうだよね」

「俺も、そう思ってるんだ」

 リンは目の前を塞ぐ蔦を斬り落とす。すると、人が通れそうな獣道に出た。日頃は猪や狐が使用しているであろう道を、辿ってみる。

 しばらく進むと、不意に唯文が立ち止まった。

「どうしたの、唯文兄?」

「ユーギ、わからないか?」

「何を?」

 首を傾げるユーギを放置し、唯文はリンに顔を向けた。

「この付近に、わずかにですけど春直のにおいが残ってます。きっと、この先に進んだんだ」

「本当か!」

 犬人である唯文の嗅覚は、魔種や人間を遥かに凌駕する。更に意識を集中させたユーギもピクッと耳を立てた。

「本当だ! 確かに、少しだけ空気の中に春直のにおいが残ってる。……うん、この先だよ!」

 ユーギが指し示すのは、森の更に奥。リンたちは顔を見合わせ頷いた。無意識に、全員の歩く速さが変わる。早歩きになって、駆け足になり、最後には走り出す。

 そんなリンたちを遮るのが、木々の枝や草、蔦だ。何度も一時停止を求められる。現状に苛ついた克臣が、剣を取り出した。

「あーもう、鬱陶しい!」

 叫ぶと同時に、竜閃を放つ。金に輝く竜は真っ直ぐに突き進み、遮る植物全てを消し去った。

「克臣さん、やり過ぎでは……?」

 思わず遠慮がちにツッコんでしまった晶穂に、克臣は「だな」と苦笑いを浮かべる。しかし、これで通りやすくなったことは間違いない。一行は、進むスピードを速めた。

 竜閃がぶち抜いた道をひた走ると、一本の大きな木の前に出た。巨木と言って差し支えない程の高さを誇る木の幹は、大人が五人ほど手をつないでようやく一周出来るくらいの太さがある。

 再び鼻をうごめかせた唯文とユーギが、頷き合う。

「団長。春直はここに長く滞在したみたいです」

「うん。……あ、ほら見て」

「あれは……うろ?」

 先行して近付いたジェイスが覗き込むと、そこは人が一人寝そべることの出来る広さの空間がある。そして、溜まった落ち葉は不自然に潰れていた。

「この落ち葉の状況……。リン、ここで春直は雨宿りしたのかもしれない」

「なら、春直は」

 リンが周囲を見渡すが、春直の姿はない。代わりにあるのは、雨に濡れ瑞々しさを増した木々ばかりだ。

「唯文、ユーギ。春直のにおいは……」

 リンの問いに、二人は耳を垂らした。それだけで、言わずともわかる。

「しない、んだな?」

「はい。しないというか、消えていると言った方が良いかもしれません。な、ユーギ」

「うん。昨日の夜は土砂降りだったから、仕方がないのかもしれないけど。……何処に行っちゃったんだろう、春直」

 しっぽまで垂らし、ユーギは目を伏せる。その肩を、ユキが叩いた。

「ここまで来たことはわかったんだ。だったら、きっとこの先にいるんじゃない?」

「この先って言ったって……道なんてないよ」

 しぼむ声が、森の音にかき消される。

 運よく先に進めたとして、あるのはグリゼではないだろう。そちらは観光業で発達した都市であるから、行くにはきちんとした道がある。

 グリゼの更に先、古来種と呼ばれる人々の里がある。しかし、そちらにしても春直が向かうとは思えなかった。第一行ったことがないはずであるし、古来種は春直にとってかたきだ。

「……一度、アルジャに戻るのが賢明か」

 右も左もわからない森の中を彷徨うのは、春先とはいえ危険だろう。前回はアルジャの町にいたおばあさんに、冬山の危険性を説かれたものだが。

「でも、もしもこの近くに春直がいたら―――」

「だとしても、夜になれば同じだ」

 食い下がろうとする晶穂を制したリンだったが、ふと近くで生き物の気配を感じて振り返った。同様に気付いたジェイスと克臣が緊張感をはらむ。

「リン……」

 甘音をかばうように抱き締めた晶穂に頷き返し、リンは剣を手に持ち気配のした方へと駆け出す。行く先にあった草むらを踏み越え、剣を突き出した。

「何者だ! ……えっ」

「あら。久し振りね、リン団長?」

「ここで出逢うとは、思いもしませんでしたよ」

「おまえらは―――」

 思いがけない再会に、リンは瞠目した。

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