第376話 暴走の訳

「何処だ、春直!」

 寝起きの鳥を飛び立たせる呼び声が響く。早朝の町を、水溜まりを踏みながら走る複数の影がある。飛沫で足元が濡れようと、彼らには関係ない。

 朝から賑わう商店街や市場、そして通勤通学者が行き交う街道を文字通り走り回っていた。時折出逢った人に、猫耳の少年を見かけなかったかと尋ねる。

 ほとんど空振りに終わっていたが、晶穂が有力な目撃情報を得る。それは昨晩遅くに帰宅途中、夢中で走る少年を見たという証言だった。

「それは、何処でですか?」

「丁度この辺りだよ。オレも疲れていたからあまりきちんと顔までは見ていないけど、確かに猫人の男の子だった」

 晶穂の問いに答えてくれた魔種の男性は、昨晩遅くまで残業していたのだという。そして、今朝も会議のために早く行かなくてはならないらしい。

「春直……その男の子は、どっちに?」

「ああ、向こうだ」

 男性が指差したのは、北の山脈の方向だ。もしかしたら、春直は森の中を彷徨っているのかもしれない。

「ありがとうございます、助かりました!」

「いいよ。……見つかると良いね、その子」

「はい」

 男性と別れ、晶穂は自分と同じく聞き込みをする克臣を見付けた。

「克臣さん!」

「おお、晶穂。どうだ? 俺は全然だけど」

「証言、ありました。春直は、あっちに走って行ったらしいです」

 晶穂の指差す方を見て、克臣は喉を鳴らした。

「森、か」

「はい」

「よし、リンたちに知らせて早速行こう」

「はいっ」

 克臣が端末を取り出すのを横目に、晶穂は北の森に目をやった。

「無事でいて、春直……」




 大口は、巨大な爪を持つ手だと知った。

 やって来るのは、己の中に眠る強大な力。

 それに呑まれそうになって、あらがいたくて、ぼくは力の限り叫ぶしかなかった。

 怖い。恐い。自分を見失う、その強すぎる力が───


「……あ」

 瞼が、目が痛い。春直がぼんやりと目覚めると、白い天井が見えた。

 見慣れない、白い壁。そして、温かなベッド。横には、抽斗ひきだしのついた小さな机がある。窓には暗めの青いカーテンがついていて、風に揺れている。

 カーテンの隙間からは、日差しが射し込んでいる。既に日が昇ったようだ。

 春直はゆっくりと上半身を起こし、周りを見渡した。やはり、見覚えのない部屋だ。

「ぼく、森の中にいたはずじゃ……?」

 いつの間にか、衣服も寝間着に変わっている。誰かが着替えさせてくれたのだろうか。

 その時、部屋の戸を叩く音がした。トントンというその音に、春直は「はい」と返事をする。

「起きたか、春直」

「お前は!」

 春直の体が硬直する。目を見開き、入って来た男を凝視した。

 短く切った青い髪が歩く度に揺れ、春直よりも薄い紫色の瞳が彼を捉える。彼はってきたその手に暖かいココアの入ったコップを持ち、春直にそれを差し出した。

「ほら、飲めよ」

「……クロザ。ぼくを助けてくれたのか?」

 警戒心をあらわにする春直に、クロザはあくまで冷静に「そうだ」と答えた。

「最近、余所者がよくたむろしていたり歩き回っていたりするからな。警戒のつもりで森の中を巡回してるんだよ。で、急に雨が降ってきたから帰ろうかと思った矢先、お前を見つけたんだ」

 木のうろで膝を抱えて縮こまり、眠っている少年。このままでは凍死すると思って抱き上げて見れば、春直だったというわけだ。

 話を聞き、春直は少し恥ずかしくなった。元敵とはいえ、助けてくれた相手に取る態度ではなかったと反省する。

「……助けてくれて、ありがとう」

「どういたしまして。ほら、温まるから飲めよ」

「うん」

 再三薦められ、春直はココアに口をつけた。甘くて温かな液体が喉を伝って、体の中へと染み込んでいく。

 素直に飲み始めた春直に安堵し、クロザは椅子を引き寄せて座った。自分用のコップにもココアが注いである。

「それにしても、何であんな森の中に一人でいたんだ? リンや晶穂、他のやつらは一緒じゃないのか?」

「あ……えっと」

 瞳が彷徨い、冷汗が頬や背を伝う。顔を青くして、赤くした。そんな挙動不審の春直を凝視したクロザは、不意に立ち上がった。

「ちょっと待ってろ」

「え? あ、何処に行くの?!」

「あいつを呼んでくるだけだ。すぐ戻る」

 言うが早いか、クロザはバタンと戸を閉めて何処かへ歩き去った。一人残された春直は、呆然と呟く。

「いや、って誰?」

 春直の疑問は、五分もせずに解ける。再度パタパタと、今度は二人分の足音を加えた三人分の移動音が近付いてくる。

 誰だろうかと春直が思う間も無く、バンッと戸が勢い良く開かれた。

「よかった! 目が覚めたんだね、春直」

「一晩中見守っていた甲斐があったね、クロザ」

「うるせぇ、ゴーダ」

 クロザと共にやって来たのは、赤髪の娘と青黒い色の髪を持つ青年だ。娘をツユといい、青年の名はゴーダという。

 春直は、クロザ以外の古来種との直接的面識はない。しかしリンたちから話だけは聞いていた。

「あの……」

 春直はおっかなびっくりしながらも声をかけようとする。それに気付いたクロザが、困り顔でわずかに微笑んだ。

「ああ、悪いな。ツユ、お前に頼みがあるってのはさっき話しただろう?」

「わかってるよ。この子の中を見ればいいんでしょう?」

「中を見る?」

「そう。あたしは奉人まつりびとだから、特殊な力も備わっているんだ」

 ツユは春直の手を取り、ベッドの横に膝をついて目を閉じた。すると春直の体の中に、温かい何かが触れるような不思議な感覚が起こる。目を丸くしていると、ゴーダが「大丈夫ですよ」と微笑んだ。

「今、ツユの力があなたの全身を巡っているんです。もう少しの辛抱ですよ」

「はい……」

 不安げな春直はじっと動くことを我慢し続け、ふとツユの眉間にしわが寄っていることに気付いた。そのまま目を開き、険しい表情のままでツユは春直を直視した。

「……あなた、最近自分じゃないみたいに強い力を使ったことはない? あるいは暴走したみたいになって、仲間を傷付けたことは?」

「……あり、ます」

 昨夜、ユーギと唯文を傷付けたばかりだ。

「そう」

 何かを考える様子を見せたツユは、言うべきかを迷い、結局嘆息して春直を見詰めた。

「あなたは、封血ふうけつの力を使いこなせていない。眠らせたまま、積もり積もってせき止めていた力が、今膨らんで、暴走を引き起こしたのよ」

「封血の、力?」

 思いがけない原因を指摘され、春直は目を見開いた。

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