第358話 神子が生まれた訳

「……倒すべき敵であり親友を亡くしたヴィルの悲しみは計り知れず、しばらくは声をかけることすら出来なかったよ」

 長い話を語り終え、レオラは茶を喫した。ふう、と息をつく。

 食堂は、沈黙に包まれた。まさかよく知られた神話の裏に、これほど壮絶な物語が隠されているなどと誰も思わなかったのだから。甘音あまねもまた、絶句している。

 しばしの時間を置き、ユキは素朴な疑問を口にした。

「……姫神は、時を置いて交代させることは出来ないのですよね? その天歌さんと次代の間はどうしたんですか?」

「天歌が生み残した子が娘だったからな。一時的に彼女に継がせたんだ」

 娘にも姫神の才は引き継がれ、神木が枯れることはなかった。生まれ落ちたその時から、娘は世界を支えたのだ。

「娘の名は、シンファ。天歌の黒髪と我が白い瞳を受け継いだ子だった」

「だったということは、彼女は……」

「人と神の間の子だ。シンファの次代の姫神を定めた後、ソディールへと出した。人の親のもとへと渡し、人として幸せになれるように。……その後のことは、追わずにいた。だが彼女の子孫が古来種となり残っているということは、シンファはもうこの世にはいないのだろう」

「手元に置いておこうとは思わなかったのですか?」

 晶穂の問いに、レオラは緩くかぶりを振った。

「我が不義の子だ。シンファに罪は全くないが、ヴィルの気持ちを考えるとそうすることも出来なかった。せめて、ただの人として生きられれば良かったのだろうがな」

 シンファが神庭を出て数百年後、古来種と魔種たちとの間に戦争が起こった。

 魔種を上回る魔力を保持した古来種は、優勢となり魔種や人間、獣人たちを圧倒した。村や町は破壊され、新たに古来種の都が築かれた。

 しかし、古来種の時代は長く続かなかった。

 戦争が終結してから百年ほど後、蜂起した人々によって古来種の王権は倒された。創造の女神の力が働いたという噂も流れたが、定かではない。

 古来種は北の寒い地域に追いやられ、いつしか人々から忘れ去られる存在に成り果てた。彼らの末裔が、北の大陸で暮らすクロザたちである。

 また、逃れた中には魔種や獣人たちに紛れて生き延びた者たちもいた。その子孫がとおるとなろうか。

「当時、ヴィルはこの二つの戦いを終わらせるために、自らの力を一部の人間に分け与えた。癒しの力を持つ少数の人々、彼らは神子と呼ばれた。敵味方問わず、その怪我の治療にあたったらしい」

 レオラは晶穂を見て、微笑んだ。

「お前のその力は、ヴィルが世の平穏を願って与えた力だ。世に混乱が起こる時、その力を持った者が生まれる。……お前は見事、その役割を果たしてくれているようだ」

「ヴィルさんが……」

 神話上では、創造の女神がもう一人の女神との争いの中で生み出したとされる神子。その本当の意義は、全く別のところにあった。

 晶穂はきゅっと胸の上で両手を握り締め、己の力に誓った。――神子の力は、他人を助けるために使い続ける、と。

 彼女の様子に目を細め、レオラは改めてリンたちを見回した。

「神話に語られた物語の真実は、今ので全てだ。正直、シンファが何処へ行きどうして古来種を繁栄させたのかも、彼女がどのように生きたのかも我は知らぬ。いや、知ろうとはして来なかった。……何故今になって、ヴィルが我がもとを離れてしまったのかも、まだ答えは出ぬ。だからこそ、お前たちに頼もう。甘音を神庭へと送り届け、ヴィルを探し出してくれ」

 神らしい傲慢さで命じるのではなく、あくまで依頼という形を取るレオラ。そこにすら、彼の性格が反映されている気がした。

 リンは、仲間たちと目を合わせた。どの顔も、この依頼を拒否するものではない。それどころか、神話の真実を知ったことでより強くこの依頼を成功させようと意気込んでいた。

「――言ったはずだ。銀の華は、レオラの依頼を受けたと」

「リン……助かる」

 明らかにほっとした表情を浮かべるレオラに頷き返し、リンはレオラの隣にいる甘音に手を伸ばした。目を見開いてこちらを凝視する甘音に「どうした?」と笑いかける。

「甘音、俺たちと共に神庭を目指してくれるか?」

「……うん、お願いします!」

 一瞬考え、甘音はちらりとレオラを見上げた。すると彼は「大丈夫だ」という風に頷く。それを見て、甘音は改めて覚悟を決めたようだった。

 小さな手が、リンの手に重ねられる。神庭にたどり着くまで、彼女を守り通すのだ。

 甘音がリンたちを受け入れたのを見届けると、レオラはその場から姿を消そうとした。

「―――待って!」

 レオラに待ったをかけたのは、晶穂だった。

「どうしたのだ、神子?」

 頭にクエスチョンマークを浮かべるレオラの胸に、晶穂は人差し指を突き付ける。そして、真剣な眼差しでレオラを見つめた。

「ヴィルさんが何故あなたのもとを離れたのか、きっとその答えは難しくない。……きっと、あなたなら気付けるはず」

「……神子、お前にはわかっているのか?」

 虚を突かれた表情を浮かべるレオラに、晶穂は「たぶん」と苦笑してみせる。

「でも、正解を知っているのはヴィルさんだけだから。レオラ、あなたが直に彼女から聞かなくては」

「ああ、わかっているさ」

 苦しそうに顔をしかめ、レオラは今度こそその場から消えた。瞬間移動のような力を使ったのだろう。

「晶穂、お前……」

 リンが晶穂に、レオラへ放った言葉の意味を問おうとした時だった。

 ――ドンッ

「うわっ」

「何だ!?」

 急に建物が揺さぶられた。

 春直がバランスを崩し、克臣の手が彼の襟を掴んで支える。唯文とユキはジェイスが肩を掴み、ユーギは甘音をテーブルから落ちるコップから守った。

 グラグラと数十秒揺れを感じた後、唐突にそれは止んだ。

「止まった……?」

「ああ」

 晶穂の頭を抱えるように抱き締めていたリンは、己の無意識の行動に動揺した。しかし、恥じ入る暇は残されていない。

 晶穂もそれをわかっているためか、いつものように大騒ぎはしなかった。その代わりに、顔は真っ赤に染まっている。きっと、リンも同じようなものだろう。

 晶穂を抱き締めたために起こった心臓の暴走とは別に、リンは何処か緊張感を感じていた。

「……ちょっと、外を見て来ます。晶穂はここでみんなと居てくれ」

「わかった」

 リンが食堂の外に足を向けると、彼の後ろについて来る人影が二つ。ジェイスと克臣だった。

「わたしも行くよ、リン」

「俺も。唯文、こいつらを頼んだ」

「はい」

 唯文と晶穂にその場を任せ、三人は用心しながら真っ直ぐに駆ける。廊下にもともと物をあまり置いていなかったのが幸いしたか、走り辛いということはない。

 玄関が見えてきた。何かが待ち構えている。リンの直感がそう警告した。

「―――くっ」

 体当たりするように戸を押し開け、外へと出る。その瞬間、悪寒が走った。

「おい、リン。見てみろ!」

 克臣が指差す空を見上げ、リンは硬直した。

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