女神の一手

第356話 神話の真実 前

 創造主たるレオラは、女神ヴィルアルトと共に地上に降り、結ばれて三つの種族を生んだ。

 一つは、魔種。魔力という特殊な力を持ち、三つの中で最もバランスの取れた種族だ。魔力には分類があり、光・水・火・和・気などと称されるが、実数は不明。

 一つは、獣人。獣の特徴をその身に宿し、獣の耳やしっぽを持つ。三つの中で最も戦闘に優れた種族であり、犬人・狼人・猫人・鳥人・竜人の存在が確認されている。

 一つは、人間。魔力も獣の力も持たない弱い存在だが、その器用さに置いては他の追随を許さない。

 それらが全て生きていける大地として、ソディールは名付けられた。人々はそれぞれに干渉したり交流したり、時には利益を求めて争ったりした。

 争いが起こる度、大地は警告を発した。それは天災として現れ、創造主の意思を示した。

 始めは天災を恐れ悔い改めていた人々も、いつしか神を信じなくなる。恐れ敬うことを止め、我は落胆した。


 そうした現実に失望した我らは、地上を離れて天界へと帰ることを決めた。しかし自分たちが創った世界の行く末を案じることを止めはしなかった。

 我らは、地上の人のうちから一人の娘を選んだ。彼女は姫神と名付けられた。姫神の役目は、地上のあらゆる出来事を我ら神に伝えること。その如何いかんによって、その後の世界の行く末を取り決めた。

 初めて選ばれた娘の名は、天歌てんか。その名の通り、天にも届く美しい声を持つ者だった。長い黒髪を組み紐で結って、青と銀の髪飾りをつけていた。

 天歌は当時から鬱蒼うっそうとしていた北の大地に身を隠し、とある巨木を神木と仰いで祈りを捧げた。この世界が平穏であるように、日々が大切に紡がれるように。

 彼女の姿は、我らから見ても神々しく、美しく儚い花のようだった。

 元々才があったのか、神木と仰いだ巨木は祈りを蓄え変化した。いつしか緑ではなく大空のような青い葉をつけるようになり、その葉は落ちることがないのだ。

 天歌はヴィルとも友情を結び、我らと彼女は定期連絡以外にも話をするようになった。コロコロとよく笑う天歌と話をすることは楽しく、我らの癒しでもあった。

 もしかしたら、これが遠因となったのかもしれない。


 ヴィルが所用で留守にしたある時。天歌から神木─命の樹─を通じ、我と話がしたいという連絡が入った。そのために、神庭かみのにわに降りてきてほしいというのだ。

 神庭とは、姫神のための空間。何人も入ることを許されぬ、禁断の地として地上では知られていた。

 我は何度も神庭に降り、姫神の話し相手となっていた。それは、ヴィルも同様である。

 だから、何の疑問にも思わずに了承した。

 神は神木を依り代として地上に降りる。我も同様に、命の樹を目印として神庭へと降りた。

 天歌の姿は、それまでしばらく見ていなかった。初めて出逢った時には十代の娘であったが、今や妙齢の女となっていた。何百年ぶりかわからぬ再会とその美しい変化に驚く我に、天歌は言った。"覚えておられますか?"と。


「何を覚えていると言うのだ」

「わたくしにこれを下さった時、おっしゃいましたよね。……我が、お前が消えるまで守ろうと。それは、覚えておられますか?」

 涼やかな声で、天歌は言った。

 天歌が胸に抱いていたのは、この地に彼女をつれてきた際渡した守り矢だった。そこには我の神威が籠められ、矢を中心に強固な結界を創り出していた。

 勿論覚えている。そう答えると、天歌は花のように微笑んだ。そして、信じられないことを言ったのだ。

「わたくしは、宿。守り矢に籠められた神威が、わたくしをはらませたのです」

「───何?」

 信じられなかった。言の葉を紡ぐことを困難にした。我は、天歌に渡した矢にそのような力を与えたはずがないのだから。

 何も言えずに押し黙る我に、天歌は言った。くすくすと笑いながら。

「約束は、お守りください。わたくしの、見守ってくださいませ」

 天歌はまだ膨らんでもいない腹を撫で、幸せそうに微笑した。その横顔に、我は悪寒を覚えずにはいられなかった。

 たばかられた、と初めて気がついた。謀られたというのが間違いであるならば、我はこの娘に利用されたのだ。

 後にこの時の子が、古来種の祖となる。

 絶句する我に、天歌は畳み掛けた。

「ヴィルさまには、このことを先程申し上げました。ただし、わたくしが子を宿したということだけを」

「……」

「ヴィルさまは一瞬押し黙られた後、祝福してくださいました。その声に、わたくしは安堵致しました」

 でもきっと、天歌は無邪気にも見える表情で微笑む。

「気付いておられるのでしょうね。わたくしの子が、レオラさまとの子であることに」

 天歌がこの神庭に来て、既に何百年もの月日が経っている。外からやってくる男も女もおらず、時折覗くのは我やヴィルのみ。そんな場所で天歌が子を宿すとすれば、相手は一人しか考えられなかった。

「ふざけるのも大概にしろ。我は、お前を姫神とするためにここへ呼んだ。それに、お前も応えてくれていたではないか! ……どうして、波風を立てる?」

「どうして? 不思議なことをおっしゃいますね」

 天歌はくすくすと笑った後、ふと影のある表情を見せた。

「……あなたを愛してしまったから。それでは、理由になりませんか?」

 レオラが神であろうと人であろうと、天歌にとってはどうでも良いのだ。ただ最も近くにいて、長い時を共に生きてくれた者。笑い、泣き、怒り、全てを包み込んでくれたのは、レオラとヴィル以外にいなかった。

「わたくしは、ヴィルさまも大好きです。……ですが、わたくしが愛したのは、レオラさまでした。あの方と敵対したい訳ではありません。……でも、目覚めてしまったものは、もう取り消すことなど出来ないのです!」

「……天歌」

 強い口調で自分への愛を語る天歌。その気持ちは素直に嬉しいものではあったが、我は彼女に応えるつもりなどなかった。

 我は嘆息し、考えた。天歌をこの場から去らせ、ソディールに戻せば良いのではないかと。しかしそれを実行した途端、彼女の時間は急速に進む。

 神庭は、隔絶された土地だ。ソディールにありながらも、外とは違う時間の流れを持っている。ここに長くいた者は、外に出た瞬間に死ぬだろう。

 それでは、あまりにも可哀想ではないか。

「レオラさま。もしもあなたさまが姫神の交代を考えられているのであれば、止めておくことをお勧めしますわ」

 レオラの思考を読んだかのように、天歌は言う。何故かと問えば、圧力さえ感じる笑みをたたえた。手を神木に触れさせる。

「何故なら、神木に力を授けたからです。呪いとも言えるかもしれません」

「呪い、だと?」

「ええ。……姫神の力を一瞬でも失えば、この木は枯れてしまいます。この木は、天界と地上を繋ぐくさび。失われれば、困るのではないですか?」

「天歌、お前そこまで……」

「長い時間を生きてきました。これくらいのことは、出来るようになるのですよ」

 天歌は、顔を青くする我に微笑み、踵を返した。

「何処へ行く?」

 我に尋ねられ、天歌は足を止めて振り返った。

「あなたさまこそ、ここにいて良いのですか? ヴィルさまに真実を話さなければ、あの方は勘違いしたまま離れていってしまいますわよ?」

「……っ」

 天歌の言葉に追い立てられるように、我はヴィルのもとへと駆け戻ったのだ。


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