第103話 フレンチトーストとオムライス
少し時間を遡って、同日の昼前。
初日の食事当番はリンだった。彼は長く組織の長をしてきた人間だ。だから家事は全て人に任せてきたかと言えばそうではない。自分のことは極力自分でしてきた。時々食堂の調理場に入って料理を習ったものだ。
晶穂がそれを事実として初めて目にしたのは、二人きりになったその日の昼食だった。
温かなフレンチトーストとサラダ。フレンチトーストにはメープルシロップがたくさんかかっている。
食堂に恐る恐るやって来た晶穂の前に、それらが無造作に置かれる。
「ほい」
「……女子?」
「は?」
眉間にしわを寄せたリンは、青いエプロン姿だ。何着ても似合うなあと感心しつつ、晶穂は普段クールなリンとフレンチトーストというふわふわなものとが合わない、と笑いながら告げた。途端にリンはふいっと顔を背けてしまった。
機嫌を損ねてしまったかと晶穂は慌てて言葉を紡ごうとした。
「ごめん、何か……」
「……お前が喜ぶかと思ったから作ったのに」
「……っ」
リンの耳が赤く染まっている。それが可愛らしく見えて、晶穂は戸惑いと嬉しさではにかんだ。
「もういいから、食え!」
「……うん。リンも、食べよ」
「ああ」
お互い気恥ずかしく会話も少ない中、昼食は終わった。
夕食もリンが腕を振るってくれたのだが、晶穂は昼の出来事が頭を過って平静でいられず、リンと目を合わせることが出来なかった。
それから一日。晶穂は二日目の昼食を作るべく調理場に立っていた。
「……どうしよ」
大学に入る前まで施設で生活していた晶穂は、料理は出来る。毎日のように食卓の当番はしていた。だから得意だ。しかし、である。
(……好きな人に作る料理って、どうすればいいの?)
特別なことは反対に相手に気を遣わせる。それは分かっているのだが、普通に「はい」と食卓に出せる料理を作れるかと問われれば、口をつぐんでしまいそうだ。
「……考えてても仕方ないよね。オムライス作ろうかな」
結局、失敗の少ない得意料理を選択する。手の込んだものは作れない。どうせありのままで接するしか、手はないのだ。
昼食まではもう少し時間があった。出来たら呼んでくれ、と言われていたため、それほど時間のかからないオムライスはまだ作らなくて良いだろう。
「暑いし、何か冷たいデザート……」
何が良いかと冷蔵庫を物色していると、オレンジジュースと柑橘が見つかった。これでゼリーを作ろう。
柑橘はクロラというレモンに似た姿の果物だ。その味は酸味よりも甘みが強い。リンはアイスクリームもそうだが甘味が好きだ。スイーツ男子とまではいかないが、あれば好んで食す。
晶穂はクロラの皮をむき、中身を食べやすい大きさに切る。オレンジジュースとゼラチンを合わせて、その中にクロラを入れる。量を整えたら冷蔵庫にしまう。そうしてから、改めてオムライス作りに取り掛かった。
フライパンに油をひいて、卵を流し入れる。ある程度卵が固まったら、その上から事前に作っておいた鶏肉入りのケチャップライスを投入する。くるんとご飯を包んで、皿に載せた。
「うん、上出来かな」
うまく卵が破れることなく収まっている。晶穂は温かなそれを食卓に運び、リンを呼びに行った。
「うまいな」
「え、ほんと?」
「……嘘吐いてどうすんだ」
呆れ顔のリンをまじまじと見て、晶穂はほっと胸を撫で下ろした。
「……よかったぁ」
心配事がなくなりちゃんと昼食をおいしく食べられるようになった晶穂は、にこにことしつつスプーンを口に運ぶ。それを何気なくリンが眺めていることにも気付かずに。
「「ご馳走様でした」」
食後すぐ自室に戻ろうとするリンを、晶穂は引き留めた。
「あっ、待って!」
「……おま、シャツの端持つとか反則だ」
瞬間的にリンは顔を赤らめた。それに触発されたのか、晶穂も真っ赤になって伸ばしていた手を引っ込める。「ご、ごめんなさい」とリンを見上げるためになる晶穂の上目遣いが、リンを更に焦らせているなど思いもよらない。
リンはばっと音を立てそうなほど素早く身を引くと、晶穂に引き留めたわけを尋ねた。
「……で、用事は?」
「あ、うん。……ゼリー、食後のデザートにどうかなって」
「手作り?」
「そう……」
晶穂は踵を返し、冷蔵庫に駆け寄る。戸を開けて、二つの容器を取り出す。透明なビンの中には、きれいなオレンジ色のゼリーが入っている。それにスプーンをつけ、一つをリンに差し出した。
「……よかったら」
「もらう」
指先が触れ、晶穂は手を離しそうになるのを必死に堪える。ゼリーがリンの手に渡り、ほっと息をつく。
立ったまま、リンはゼリーを口に運んだ。つるりとしたゼリーは、暑さに火照った体を冷やしてくれる。甘酸っぱさが口の中で弾けた。無意識に目が細められる。
「美味いじゃん」
「……っ」
いつもより無邪気なリンの微笑。晶穂は胸の奥がわしづかみされる感覚を味わった。ドクンと高鳴る心臓が、疾走して落ち着かない。
「……」
「……」
赤面した晶穂につられて顔を赤くしたリン。二人して相手から目を逸らした。
(いつまでもこんなことじゃ、日常生活にも支障をきたす。……わかってはいるんだが)
ちらり、とリンは目の前で一生懸命にゼリーを食べることに集中しようとする晶穂に目をやった。彼女のことが愛しくて仕方がない。今も懸命に意識しないように努めているのが丸分かりだ。
このままでは埒が明かない。何か別の話をしなければ。場を和ます意味でも、リンは晶穂に話題を振った。
「……俺さ、父さんの記録を整理し始めたんだ」
「初代のドゥラさん、の?」
「そう。最近手帳みたいなもの見つけたし。そこに、銀の華のことも書かれてたんだ」
「銀の華って、実在するの?」
「幻の花だけどな」
銀の華という名しかリンは知らない。伝説を集めた書籍をあたり、ようやく今日の午前中に幻の花に関する記載を発見した。
「この五日間はゆっくり調べ物が出来るから、図書館に通おうと思ってる。他にも記録があるかもしれないからな」
「今日見つけた記述って、どんなもの?」
「ああ、来るか?」
「うんっ」
食べ終わった二つの容器をシンクに置き、水で中を満たす。さっと洗剤で洗い、水切り籠に伏せた。それからリンの後について、晶穂は彼の部屋へ向かった。食器を布巾で拭いて片付けるのは、後にしよう。
部屋でリンが晶穂に見せたのは、ドゥラの手帳とまとめたノートだ。リンは晶穂が以前プレゼントしたペンとノートを愛用しているらしく、それらはまだ机の上にあった。リンが今回開いて見せたのは、その青いノートではない別のものだった。
「こんな記述を見つけた。『世界の何処かに咲くという、銀の花びらを開かせる花。花は一度咲くと種を作るまで咲き続ける。獣も鳥も風も介さず、同じ場所で子孫をつなげる。伝説では、世界の危機に立ち上がった一人の勇者が花に願い、世界は息を吹き返した。これにより、花を見つけた者は、願いを一つ叶えられると伝えられている』。これは、父さんの手帳は書かれていなかった。図書館の本の一部だ」
それがこれだ。そう言ってリンが手にしたのは、分厚いハードカバーである。書名は『世界の伝説』とある。その古めかしい表紙を撫で、晶穂は呟いた。
「……リンのお父さん、叶えたいお願いがあったのかな?」
「きっと、狩人に荒らされるソディールを見ていられなかったんだと思う。だから、この組織の名も伝説の花の名前にした」
「……きっと、とっても優しい人だったんだね。リンみたいに」
「俺、そんなに優しくないぞ……」
本を乱暴に机に置き、ぶっきらぼうになるリンの言葉。それでも背けた頬が赤いのは丸わかりだ。晶穂は声もなく微笑み、そっとリンの手に触れた。
「……優しいよ。照れ屋でぶっきらぼうで、みんなに頼られてる。人のために一生懸命で、自分が傷つくのも厭わない。わたしは、もうちょっと労わって欲しいけど」
でも、そんなところがあると知ってしまった。全て、彼の全てに惹かれた。
にこりとまなじりを下げた晶穂の顔を直視し、リンは息を呑んだ。
「~~~~っ」
晶穂が触れる場所から熱が生まれる。それは血液を介して全身を駆け巡るようだ。
向かい合ったまま、二人は無言で見つめ合う。リンは触れていた晶穂の細い手をとった。びくりと彼女の体が震えた気がしたが、それにかかずらっている余裕はない。
指をからめ、きゅっと握った。
しばらくの間、そのまま二人で立ち尽くす。ぽすん、と晶穂がリンの肩に頭を預けた。それが恥ずかしくも嬉しくもあり、ただ心臓の音が目の前の少女に聞こえるのが怖かった。
空いた手を無意味に彷徨わせ、リンは結局ただ自分の体に添わせるようにだらりと下げた。
「……俺さ、銀の華をこの目で見たいんだ」
「……ドゥラさんが探した花を?」
心地良い無音空間に耐え切れなくなったリンが話題を引き戻す。あのままいたら、何かを越えてしまいそうだった。
目を瞬かせて首を傾げる晶穂にベッドに腰かけるよう促して、リンは一つ頷いた。手は、名残惜しかったがすっと自然に離すよう努力したつもりだ。
「それが、父さんや母さんへの供養になるんじゃないかと思う。……自己満足だけどな。それに、もし探し出せたら願いを一つ叶えられるんだろ。俺は、自警団のいらない世界を願いたい」
「……ほら、優しいよ」
「…………それはもう、勘弁してくれ」
理性が追い付かない。そんな柔らかな表情でこちらを見ないでほしい。
リンは深く息を吸い込んで吐き出し、感情を落ち着かせる。そうしてから、ここ数日で自分が見つけ出した銀の華に関する記述と考えを晶穂に聞かせることに集中した。
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