銀の華~宿命は扉の向こうに~

長月そら葉

 ──歯車が回り出す。これは、とある花の名を冠した者たちの物語。




 いつの頃からか、幾度となく同じ夢を見てきた。

 わたしは幼く、ハイハイしか出来ない赤ん坊だ。

 わたしを心から愛してくれる両親との穏やかで幸せな日々。

 ――しかし、その日常は一変する。

 いつものように暮らしていた家族は、突如何者かに襲われ、父と母は消えてしまう。わたしは真っ白な世界に一人、取り残されるのだ。




 もぞもぞと布団の中で動くものがいる。腰まで伸びた髪が、ベッドからはみ出している。手だけを出してスマートフォンを手に取り、時間を確認した。

「朝、か」

 三咲晶穂みさきあきほはベッドから起き上がると、うーんと伸びをした。淡い桃色のカーテンを開けて、部屋に朝日を呼び込む。眩しい日の光に目を細め、昨夜のうちに出しておいた薄緑色のワンピースに袖を通す。そして、黒よりも灰色に近い髪を束ね、シュシュでくくった。

 トントントン、と階段を降りて一階へ行く。その途中から賑やかな声が届いてきた。

「あ、あきほちゃん。おはよー!」

「おはよう」

 数人の幼稚園児が晶穂に駆け寄ってくる。黒い瞳を細めて彼らに挨拶し、晶穂はコンロの前に立つ年かさの女性に声をかけた。

「園長先生、おはようございます」

「おはよう、晶穂。……今日、出て行くのね」

「はい。みんなと離れるのは寂しいですが……。大学、頑張ってきますね」

 晶穂は物心つく前に両親を亡くし、この私立水ノ樹学園へとやって来た。この施設は幼稚園から高校まであり、孤児も引き取り育てている。園長の裕福だった祖父が始めた場所だという。

 しかし、晶穂がここで過ごすのは今日が最後だ。彼女は学園を卒業し、大学生になる。一人暮らしを始め、いずれは社会に独り立ちするのだ。これからへの不安は勿論あったが、新たな生活への期待に胸を膨らませていた。

「最後の朝食は、白米に味噌汁、目玉焼きと塩鮭よ。たくさん食べて行きなさい」

「はい!」

 晶穂は笑顔で食卓に向かうと、年下の家族に混ざって箸を取った。これが終われば、さよならだ。幼いきょうだいたちはそれをわかっているのかいないのか、いつも通り賑やかに騒がしく、口から白米を飛び散らせる。それを晶穂は、いつものようにタオルで拭いてやるのだ。

 食事を終えて歯を磨き、晶穂は自室に置いていたボストンバッグを肩にかけた。それ以外の荷物は、昨日のうちに全て引っ越し業者に引き渡している。片付けられた部屋は、少し寂しかった。

「荷物はそれで終わり?」

 玄関に向かうと、園長先生が尋ねた。晶穂は頷き、靴に足を入れる。

「はい。あとは、新しい家に全部送ってもらいます」

「そう」

 寂しげに微笑んだ園長は、そっと晶穂を抱き締めた。

「元気でね。いってらっしゃい」

「……はい。また、お会いしましょう」

 いつもは優しさよりも厳しさが先立つ園長の目に何かが光った気がしたが、晶穂はあえて見ないふりをした。

 それから、晶穂は皆に見送られた。中には泣き出す子もいたが、晶穂は笑顔で手を振った。

 最寄り駅のプラットホームで、電車を待つ。その頃になって、何故か目に涙が滲んだ。

「あれ、おかしいな……?」

 笑おうと思うのに、うまくいかない。晶穂はベンチに座り込み、誰もいないホームで泣き続けた。


 明日は、晶穂が新たな生活を送る星丘大学ほしおかだいがくの入学式。


 この時はまだ、何も知らなかった。

 あの幼い頃の夢が、これからとわたしを繋ぐ歯車だったなんて。

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