第6話 這い寄る死神(2)

話は水星時間2時間ほど前に戻る。照りつける太陽が沈み夜が訪れ始めた。工事の終了時刻を告げるブザーが鳴り響き現場のそこかしこから労働者たちが現れオートシャトルに乗りこんでいく。彼らの向かう先は工事現場から約2マイルほど離れた歓楽街である。その一角にある酒場の前で火星人の若者と大柄の土星人の用心棒が言い争っていた。

「なんど言えばわかるんだ? ロボットは入れねえ」

「そう固いことは言いっこなしにしようぜ。こいつとは今日現場でしりあったばかりなんだが、なかなか話せるやつなんだぜ」

その火星人の若者 エドワードはそう言って隣にいるロボット ハンマーの胸のあたりをゴンと叩いてみせた。

「ハイ ワタシハ ナカナカハナセルロボットデス」

ハンマーは土星人の用心棒の両脇に手を差し入れるとその巨体を軽々と持ち上げ店の入口からどかした。地面にポンと置かれた用心棒は、ほんの一瞬呆けた顔をした後、思い出したように怒りの表情を浮かべ殴りかかろうとした。その出鼻をくじくように、ハンマーの指がすばやく用心棒の額を軽くピシャリと弾いた。木星人が郷土料理に使う大家族用の大鍋を殴ったような音がすると、用心棒の頭が後ろにゆっくりと傾き、やがて全身がグニャリとなって地面にへたりこむ。エドワードはそれを待っていたかのように用心棒を受け止め、体に異常がないことを軽く確かめる。そして、酔っ払いを介抱するように用心棒の体を抱えると酒場の壁によりかからせ座らせるとハンマーを後ろに従えて意気揚々と店に入っていく。

扉を開けた途端、地球産 火星産、金星産の煙草の匂い、冥王星産の極低温苔の葉巻の甘い香り、むせかえる汗と体臭、嬌声と歓声が入交った店内の興奮がエドワードとハンマーを押し包んだ。エドワードはその空気を楽しむように冗談めかして鼻を鳴らしてみせた。

「いいんですかい?あんな派手なことしちまって」

ハンマーが超指向性の声でエドワードに耳打ちする。

「そろそろ誰かさんに気づかれている頃合いだろう。かき回してお出ましいただいて、丁重にお話を伺おうという算段さ」

「そんなにうまくいくもんですかね・・・それじゃあ こんな格好しなくたってよかったんじゃ・・・」ハンマーがモゴモゴと独り言ちる。

「マスターエドワード あの男です」ハンマーが一人の男を指さした。

「名前はルーニー・ムル。多分偽名でしょうが。肌の色からして地球人と火星人の混血でしょう」

エドワードはカウンターに独りで酒をあおっているその男を見る。彼の表情には先ほどまでのおどけたものはなく、全てを見通しそうな鋭い目で男を観察するエドワードがいた。ルーニーはすでにかなり出来上がっているようだ。酒を絶えずあおりながら体が左右にゆっくり揺れている。

「じゃあな ハンマー 騒ぎが起きたらそれがお前の出番の合図だ」

「わかりやした」

そう言うとハンマーは壁に背を預けた状態にすると一切の動きを停止した。その姿はまるでこの酒場がオープンした時からあった置物のようだ。エドワードはクスリと笑う。


ルーニーが酒を口に運ぼうとした時、突然彼の横から声がした。

「俺にこの旦那と同じものを一杯くんな」

隣の椅子に男がドサリと座る音がし、ルーニーの目の前に手がニュッと差し出された。

「おれぁ 今日からこの現場で働き始めたジョン・キューっていいます。よろしくです旦那」

ルーニーは何も聞えなかったかのように酒を一口あおる。

「マスター エドワード こいつぁなかなか手ごわそうですぜ」

店の奥で周囲を見渡しているハンマーの声がピンポイントでエドワードの耳に届く。

「むだだよ そいつぁここにきてから一言もしゃべったことがない変わり者さ 周りからは だんまり口のルーニーって呼ばれてるんだ」

エドワードの前に置かれたグラスにひどい金星訛りの店主が金星ラムを注ぎながら話かける。エドワードは ほお という顔をするとルーニーの目の前にグラスを掲げ酒を一口で飲み干す。エドワードは先ほどの店主を指で招く。

「おやっさん 俺は今はしがないブル転がしだが、一旗揚げて太陽系一の実業家ってやつになるつもりなんだ」

そう言ってからエドワードはとカウンターに札束をドスンと置く。

「ここに俺がずっと貯めてきた全財産10万ソルクレジットある。今日は俺の夢の始まりを祝いって、これでここのみなさんに酒をおごりてえんだ」

最初はうさん臭そうにエドワードを見ていた店主の目がキラキラと輝き始める。

「そいつは そういつは、いいこって」

エドワードの顔に自分の顔を擦り付けそうな勢いで店主がすり寄ってくる。

「ただし、俺の名前を出すのは粋じゃねえ。親切な御仁からの寄付ってことでお願いするぜ」

「はいはい かしこまりました」

店主はうやうやしく札束を懐に仕舞うと店中に響く大声をあげた。

「おおい!みんな聞いてくれ!さる親切な御仁が今日のみなさん飲み代を持ってくれるそうだ!」

おおおおおおお!という叫びとも歓声ともつかない声が店内にとどろき、騒がしかった店内がさらに騒がしくなった。

「マスター エドワード そんな無駄使いいいんですかい?またサントス長官にドヤされますぜ」

ハンマーの声がエドワードの耳に届く。

「いいんだよハンマー。これでゆっくりルーニーの話を聞ける」

店内は酔客と女たちの声で耳を聾するくらいだがハンマーの人工耳は確実にエドワードの声を聴き分けることができる。

ルーニーは周囲の騒ぎを気にした風でもなく酒を飲み続けている。

「旦那 どうです?簡単な賭けしませんか?」

勿論ルーニーの反応はない。エドワードはポケットからコインを取り出すと左手を握り指の背にコインを乗せる。

「旦那 よ~く見ててください、これからこのコインが生きてるみたいに動き出しますぜ」

すると、小指と薬指の間に挟まったコインが薬指と中指の間へコロンと転がり、中指と人差し指の間へ転がっていく。これは魔法でもなんでもなくエドワードが指を器用に動かしているだけなのだがコインはまるで生き物のように見える。

「さあさあお立合い。コインが右へ左へ左から右へ自由自在に動きます」

エドワードは左手に右手を添える。左手の親指から小指を往復していたコインは右手へ移り右へ左へと生き物のようにコロコロと動く。ルーニーはまるで関心がないようにしていたが、エドワードがチラリと様子をうかがうと彼の目がこのコインを追い始めたのがわかった。これはエドワードが得意とする催眠誘導テクニックの一つで、もともとは手術の指先の訓練としてノートが編み出したものだ。それをエドワードが見よう見まねで始めたのだが、今ではノートが舌を巻くほどの腕前だ。

「さあさあお立合い。この生きているコインがもっと早く動きます」

右から左、左から右へ。コインの動きはより滑らかに、より速くなっていく。ルーニーの目も左に右にコインを追いかける。と、突然エドワードはコインの動きをピタリと止めた。ルーニーの目の動きもそれに合わせてピタリと止まった。エドワードがルーニーの目を見ると、その目は酒の酔いとは違う光を湛えてエドワードの向こうを見つめている。エドワードは頃合いとルーニーに語りかける。

「さあ ルーニー。本当の名前を言ってくれ」

「ク、ク、ク」

「さあ 名前 本当の名前を言ってくれ」

「ク、クレオ・モンテネール」

おそらく数年ぶりの声が、クレオの口から洩れた。

「よし。クレオ・モンテネール 一体何があった?君がこうなった原因は何だ?」

「オ 俺は、あんなことになるなんて知らなかったんだ。マスティ、モンゴー、ムールカウ、許してくれ、許して・・・」

告白と嗚咽がまじりあった、苦悩がクレオの喉から搾りだされる。

「クレオ 落ち着くんだ。さあ、もう一度このコインを見るんだ」

エドワードは再びコインをクレオの目の前にかざす。と、その時、店の奥で客たちが立てるのとは違った種類の音が鳴り響いた。

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