第3話 歩き回る死体
「それで どうなったんです?」太陽光が燦燦と降り注ぐオフィスの中央に据えられた金星の砂中虫・マブンカの甲皮で誂えられたソファに腰かけた男は、絵本を読み聞かせる親にお話の先をせかす子供のように体を前に乗り出した。マブンカの甲皮の表面に生えている刺し毛と物が擦れ合う時に生じる特有の美しい音色をソファがかすかに奏でる。
ここは地球の首都都市アントニオにある太陽系惑星連合警察機構本部ビルの最上階・101階にあるカリン主席のオフィスである。話の先をせかした男。髪は黒く鼻はほり深い。濃い茶色の瞳。そして、一度見たら忘れない自信にあふれた笑み。年齢は20代後半くらいにみえるがはっきりとは分からない。名はエドワード・ハミルトン。彼はソルジャーメンとよばれるチームのリーダーである。冒険家であり、太陽系一の科学者としても有名である。その隣に座っているメガネを掛けた男はナイン・ノート。髪は淡い金髪。瞳は澄んだ青。歳はエドワードより少し上の32歳。やや神経質な顔つきをしているが不快ではない。むしろ誠実な性格をうかがわせる。エドワードの親友であり科学者、そして太陽系一の名医としても知られている。太陽系中に名をとどろかせるこの二人だけでも衆人の目を引く存在であろう。しかし、もし何も知らない人間がこのオフィスに入った時、最も人の目を引くのはエドワードとノートが座るソファの後ろ、そこに立つ、いや、そこにそびえ立つ巨人 ロボットであったろう。深い青の体。身長は7フィートはあろうか。名前はハンマー。エドワードとノートの二人が共に作り上げたロボットである。顔には黄色く光る人工眼が二つ。人間の口に当る場所には人工声帯スピーカー用の丸い穴が格子状に開いている。顔の耳にあたる部分には短い円筒状のものが左右に突き出している。ハンマーが今何を考えているのかは表情がないために分からない。しかし、ただ前を向いて立っているようにみえて、この話に興味をそそられている雰囲気を全身から醸し出していた。
「パトロール艇はかろうじて破壊は免れたよ。地球時間で約1日の間そこから動けなかったが」エドワードたちとテーブルを挟んで向かい側のソファに深々と座る男が答えた。声はやや低く柔和で物腰はやわらかい。しかし、その声にはどんな人でも従わせる強い意思と威厳を感じさせる。年齢は68歳。灰色の髪。彼こそがこのオフィスの主であり太陽系惑星連合警察機構の全権限を握る男 カリン主席である。
「放り出された隊員たちは?」ノートが訊ねた。
「全員助かった。まだ意識はもどっていないが。重力だまりだったのが幸いしたようだ。これが通常の宇宙空間であれば助からなかっただろう。だが、救助までの約6時間 低生命維持モードで漂っていたために後遺症が残る可能性があるようだ」
「あとで彼らのカルテを回してください。低酸素症によるものであればお役にたてると思います」ノートは手元のコムパッドにメモをとりながら言った。
「無人のはずの船が突然動き出し、パトロール艇にコンテナを意図的にぶつけた。それだけでも大事件ですが、まだ何かあったんでしょう?主席」ニコリと笑ってからエドワードはカリン主席に目線を投げた。
「ここからはサントス君に説明してもらおう」カリン主席はオフィスの奥で控えていた初老の男に命じた。肌は浅黒い褐色。初老といってもその辺りの若者よりも体つきは頑強に見える。彼は太陽系政府が定める青年義務教育期間を終えてすぐ太陽系惑星連合警察機構に入り40年以上現役でありつづけた叩き上げの猛者である。
「問題の貨物船は水星のアリストン貨物港に到着した」エドワードは ほお という顔をして顎を右手の上に載せた。
「乗組員は見付かったんですか?」
「いや。無人だった。ただ、」
「ただ?」
「男の死体がひとつ、船橋で椅子に座った状態で見付かった」エドワードがぐっと体を前へ乗り出すとソファが美しい声で鳴いた。
「陰音階」後ろでハンマーが人工声でつぶやくのが聞こえた。サントス長官はチラリとハンマーを見たが、鋼でできたハンマーの顔から彼の意図を読みとることはもちろんできない。その様子を見たエドワードとノートは愉快そうに一瞬目を合わせる。
「死因はなんですか?」ノートはサントス長官に目線を戻して訊ねる。
「高々度酸素による窒息死だ。もっとも、そうでなくても息はできなかっただろうが」
「というと?」
「肺・食道・胃・腸にいたるまでツェルシッシがぎっしり詰まっていた」
ツェルシッシ(ツェルシッシは水星語で 溺れる の意。半両水棲人種である水星人にとって溺れることは最大の恥辱と考えられている。水星人に溺れるという概念があることにも注目したい)はここ数年で水星人(マーキュリアン)の間で流行している麻薬である。水星の赤道のごく一部で繁殖する海藻であるが、細かい乾燥粉末にしたものを人工補助肺を介して吸入することで高々度酸素を摂取し酩酊感と高い昂揚感を得ることができる。もちろん、麻薬の常として脳に深刻な障害をもたらすことから太陽系惑星連合警察はここ数年取り締まりを強化している。
「無人の貨物船に麻薬 そして死体がひとつ」エドワードはぶつぶつといいながらテーブルの上をじっとみつめる。
「パトロール艇による船内の捜索が始まった時にはすでに死んでいたと思われる。問題はその死体が船内を移動した跡があったことだ」
「跡?」エドワードとノートはほとんど同時に言った。
「貨物船の積荷のほとんどは水星の洋上大陸造成工事に使われる火星産の砂だった。その砂が船内のいくつかのブロック、そして死体が発見された船橋まで続いていた」
ノートはふと気になり隣に座るエドワードを見ると、彼の口元が僅かにいたずらっぽく吊り上り、事件を楽しんでいるような笑みができあがっていくのがわかった。それは常に彼と行動を共にしている者にしかわからない程度のものだったが。しかし、サントス長官はそれを見逃さなかったようだ。腹に響く咳払いをするとエドワードを一瞥する。エドワードはすまないという風に左手を軽くひらりと挙げてみせた。
「つまり長官は死んだ男が船内を歩き回っていたと?」
「そうは言っていない。ただ、そう見える。ということだ。ここ数年、水星は空前の洋上開発による好景気で沸いている。人口が増えるつれ犯罪率はうなぎ上りだ。認めたくはないが水星の惑星警察も手が回らないことが多い。そこにこの不可解な事件だ」サントス長官の声には自分たちで手がかりさえ見つけられないことへの苛立ちが感じられた。
「エドワードくん 引き受けてもらえるかね?」カリン主席が切り出す。勿論、カリン主席にはエドワードがすでにその気であることは分かっていた。
「わかりました主席。お引き受けしましょう。詳しい情報はいつものようにプラネット号の方へ回しておいてください」エドワードはニコリと笑うと小型連絡艇のような素早さでソファから立ち上がる。
「たのんだよ。エドワードくん ソルジャーメンの諸君」カリン主席が言い終わった時、エドワードはドアをくぐってオフィスから出ていくところだった。それをあわてて追いかけるように足早にノートとハンマーが続く。
「サントス君。こういう時の彼らだよ。多め目に見てあげてくれたまえ。それに今回はただの犯罪事件ではないような気がする」
何か言いた気な様子のサントス長官をなだめるようにカリン主席は言った。カリン主席はソファにもたれ軽く目を閉じた。陽光はすでに夕方のものへと変わりつつあった。
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