第6話 大切な人


 夢の途中で、ふっと意識が浮上する。

 美琴はゆっくりと瞼を上げた。白い天井が目に入る。どうやら自分はベッドで横になっているらしいと、どこか他人事のようにぼんやりと思った。

 自分の身に何があったのかを思い出そうとすると、何故だか頭が痛くなる。

(なんだろう……昔の夢を、見ていた気がする……)

 記憶が朧気であまり覚えていないが、美琴は自分が何かとても大事なことを忘れてしまっているような、そんな気がした。

 自分が何を忘れているのか思い出そうと思考を巡らせても、頭痛が増すばかりで何も思い出すことができない。ズキズキと痛む頭に我慢できず、つい声が漏れた。

「う……」

「美琴ちゃん!? 良かった、目が覚めたんだね!」

「はる、ひと……?」

 横を向くと晴人が泣きそうな表情で美琴の顔を覗き込んできた。驚いて数回瞬きを繰り返す美琴を見て、晴人は安堵したように深く息を吐く。

 晴人に支えてもらって美琴はベッドから上半身を起こした。少しだけ目眩はするが、今朝ほど酷くはない。

 どうやら美琴が寝ていたのは保健室のベッドのようだ。

 ベッドの周りは白いカーテンで遮られていて、保健室の全体は見えない。カーテンの外に人がいる気配はしないので、恐らく保健室の先生は不在なのだろう。

 枕元の近くの椅子に腰掛けている晴人は、美琴の手をとって両手で包み込むように握った。

「無理はしないでって言ったのに……僕、すっごく心配したんだよ」

「ごめん……私は晴人に心配ばかりかけてるね」

「君が無事ならそれでいいんだ。でも、もっと僕のこと頼ってくれると嬉しいな。君は昔から一人で我慢する癖があるからね」

 美琴は色々と頼っているつもりだったのだが、どうやら本人はそう感じていないらしい。「私は、晴人が居てくれるだけで十分心強いよ」と美琴が伝えると、晴人は寂しげに笑う。

 その時、戸をノックする音が耳に届いた。

 ガチャリ、とノックの後に聞こえてきた音が、誰かが保健室に入ってきた事を告げている。保健室の先生が戻ってきたのだろうか。

 それを合図に晴人は美琴から手を離して立ち上がる。

「もう行っちゃうの?」

「うん……ずっと一緒に居てあげられなくてごめんね」

 名残惜しそうに美琴の頭を撫でると、晴人は仕切りになっているカーテンの隙間から出て行ってしまった。

 そして、晴人が出て行ったところとは反対側のカーテンが開く。驚いてそちらを見れば、そこには雷門と白雪が立っていた。

 上半身を起こしていた美琴を見て、雷門はほっとしたような表情を浮かべる。

「なんだ、起きていたのか」

「おっ、良かったじゃないかめぐみ! 今日の午後はお前ずっと彼女のことを心配していたようだったからな!」

「黙れ央」

 白雪の鳩尾に握りこぶしを叩き込んだ雷門は、何気ない顔でカーテンの中へ入ってきた。

 美琴の視界から消えた白雪の「ぬおぉぉ」という痛みに身悶える声が、カーテンの外から聞こえてくる。

 多分これが彼らには日常茶飯事なのだろうが、美琴は若干白雪のことが心配になった。

 しかし、すぐに何事もなかったかのように雷門に文句を言いながら戻ってきた白雪を見て、どうやら身体については何も心配する必要がないらしい事を悟る。

 白雪も近くにあった椅子を引き寄せて、雷門の隣に腰を下ろした。

「お前の鞄を持ってきた。調子はどうだ?」

「……ありがとう。寝たら少し良くなったよ」

 そうか、と目元を緩める雷門はいつもの仏頂面とは違って、雰囲気が別人のように柔らかく感じた。

 美琴が見ようとしていなかっただけで、彼は心優しい人間なのだろう。

 美琴のようにあまり自分を表に出さないからその優しさが分かりにくかったり、誤解されやすかったりするだけなのだ。そう思うと、急に親近感が湧いてくる。

 今まで晴人以外の同級生には目を向けてこなかった美琴は、過去の己の考えを今後は改める事にした。

「それにしても、なんで君は資料室で倒れていたんだ? そんなに体調が悪かったのかい?」

「…………資料室で、倒れていた?」

「……覚えてないのか? お前がなかなか教室に戻って来ないから様子を見に行ったら、資料室の中で気を失っていたんだ」

 美琴を保健室まで運んでくれたのは雷門らしい。

 偶然、美琴が教師に日直の仕事を頼まれたところを見ていたようだ。その直後に再び襲撃してきた白雪の相手をしている間も気にはなっていたが、いつまで経っても帰って来ない美琴を心配して、様子を見に来てくれたのだとか。

 そもそも何故、自分はそんなところで倒れていたのだろう。思考に白い靄がかかったようだと美琴は思った。

 資料室で何があったのかを思い出そうとすると、微かに頭が痛む。

 それでも必死に気を失う前の記憶を辿ると、美琴の頭の中に白い腕と長い黒髪がフラッシュバックした。

 そうだ……あの時、私の肩の上に現れた女の顔はニタァと歪んだ笑みを浮かべると、まるで耳まで裂けたような大きな口を開いて──


 ──『 ツ カ マ エ タ 』


「いやぁぁあぁああぁああッ!!?」

「!? おい、どうしたんだ……!!」

「君ッ、落ち着け!!」

 限界を超えた恐怖により、錯乱状態で叫び声を上げる美琴を雷門と白雪は必死に宥める。

 酷く怯えながら、もう嫌だ、許してと涙声で繰り返す美琴の様子に二人も、彼女の身に尋常ではない何かが起こっているのではないかと考えた。

 落ち着かせる為に雷門は美琴の手を握り、白雪は背中を何度もさする。暫くの間そうしていると、徐々に美琴も落ち着きを取り戻してきた。

 それでも、まだ顔色は真っ青なままだ。

「お前、本当に何があったんだ……?」

「俺達で良ければ話してくれないか?」

 心配そうに見つめてくる二人に、精神的に限界だった美琴は自分の身に起こった事を全て話す事にした。

 誰かに話して楽になりたかったのかもしれない。一人で抱えるにはあまりに辛すぎたのだ。

 夢で見た事、現実で起きた事、そして資料室で自分が倒れる前に一体何があったのか、普通に考えたら有り得ない事ばかりだったが、雷門と白雪は最後まで真剣に美琴の話を聴いてくれた。

 美琴が全て話し終えると、三人しかいない保健室に沈黙が落ちる。

 その沈黙を破って、初めに口を開いたのは年長者である白雪だった。

「……君が話してくれた内容と似たような話を前任の生徒会長から聞いた事がある。学校の七不思議というよりは都市伝説に近いかもしれないが、この学校で実際にあった話らしい」

「どんな話なんだ」

「あー、それは……」

 白雪はちらりと様子を伺うように美琴へと視線を移す。恐らくこの話をする事で、更に美琴を怯えさせる事になるのではと考えているのだろう。

 その先輩の優しさに、美琴の胸が少し温かくなった。

「私は大丈夫です。話してくれませんか」

「……わかった。俺も伝え聞いた事だから全て覚えている訳じゃないんだが──」

 そう言って、白雪は滔々と話始めた。


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