第2話 悪夢の始まり
美琴は晴人や祖父母に黙っている事があった。
それは、ここ最近自分が見ている夢についてだ。夢といっても人が胸に抱く希望に満ち溢れた夢ではない。悪夢といったほうがわかりやすいだろうか。
普通であれば夢なんて、目覚めた後もはっきり覚えている事のほうが珍しい。殆どは見た事すら覚えていなかったり、忘れてしまう事のほうが多いだろう。
しかし、美琴は少し前から同じような悪夢に毎晩魘されていた。しかもその夢の内容は何日経っても鮮明に覚えている。
まだ初めの頃は不思議な夢だなと思っていた。夢なのに妙に意識がはっきりしているし、匂いや感触も現実に近く、夢であって夢でないような変な感じだった。
一番初めにその不思議な夢に出てきたのは、人気の無い田舎道を歩く美琴と、その前方に遠くで俯いたまま動かない白いワンピースを着た黒髪の少女。
自分と同い年くらいの少女の横顔は、長い髪に隠れていて美琴がいる位置からは見る事が出来ない。その夢では、結局いくら歩いても最後まで二人の距離が縮まる事はなかった。
次に見た夢も、同じように田舎道を歩いている美琴の前方には少女が立っていた。
ただ、前と少しだけ違っていたのはその少女との距離が少しだけ近くなっていた事と、俯いている少女の体の向きが美琴の方に向いていた事だ。
その子が前に見た夢にも出てきた少女と同一人物だと髪型や服装でわかったが、その時はそういう事もあるんだなと軽く考えていた。
しかし、そのまた次に見た夢では流石の美琴も違和感を覚えた。
全く同じ道を歩く自分と、白い服を着た少女。美琴が彼女を目にしたのはこれで三回目だ。
前回の夢より更に縮まったお互いの距離と、気のせいか俯いていた少女の顔が少しだけ上を向いている。黒い髪に覆われていた顔は、肉が削げ落ちたような顎が僅かに見えていた。
夢を重ねる度に少しずつ自分に近付いてくる少女。徐々にその両目で自分の姿を捉えようとしてくる少女の青白い顔。
その事に気付いてしまった美琴は戦慄した。初めてこの連続する奇妙な夢に恐怖を感じたのだ。
このまま同じ夢を見続ける事で自分と少女の距離がゼロになった時、自分は一体どうなるのだろう。
その日の朝、夢から覚めて飛び起きた美琴は水でも浴びたかのように全身汗だくになっていた。
四回目に見た夢で、美琴はとうとう少女に背を向けて逃げ出した。
前髪に隠れていて見えなかった顔は、口元まで確認できた。赤みのない薄紫色の乾いた唇はしっかりと閉じられていて、まるで生気が感じられない。明らかにこの世の者ではなかった。
息が切れるまで暫く走ってから足を止めて、恐る恐る後ろを確認した美琴は小さく悲鳴を上げた。
少女との距離は少しも開いていなかったからだ。さっき見た時と変わらない距離に彼女は美琴の方を向いて佇んでいる。
その時、彼女からはもう逃げられないんだと絶望した。
その夢を見続けて今日で一週間経つ。
昨夜の夢ではとうとう美琴と数メートル程しか離れていない距離に少女は立っていた。
恐ろしくてはっきりとは見ていないが、最早殆どその顔は見えてしまっているだろう。逃げる事が出来ない美琴は、蹲ってただひたすらに自分の目が覚める事を祈った。
ただいつもと違ったのは、その夢が覚める直前に少女がぽつりと一言だけ何かを呟いた事だ。
耳を塞いで蹲っていた美琴には少女が何と言ったのかまではわからなかったが、彼女が声を発したのはそれが初めてだった。
そして今日、今まで夢の中の住人だった彼女がついに現実世界にまで現れたのだ。教室で見た白い服の少女は、自分が夢で見ていた少女で恐らく間違いはないだろう。
美琴は愕然とした。まさか安全だと思っていた現実でも、あの少女の影に怯えて暮らさなければならないなんて考えたくなかった。
相談をするにしても、こんなオカルトな話をして誰が信じるというのか。正直自分でも信じられないし、出来れば信じたくはない。
それに、たとえ信じてくれたとしても祖父母や晴人に心配はかけたくなかった。
*
次の日の朝。
美琴は頭痛や体のだるさを誤魔化しながら、いつもの田舎道を歩いていた。
少しでも気を抜くと足元がふらついてしまう。結局、昨日は眠る事が出来なかった。
体調は頗る悪いが、学校を休むという選択肢は今の美琴の中には存在しない。家でじっとしていても眠くなるだけだし、何よりもうあの夢を見たくなかった。
それに、学校に行かないと晴人に会えないのだ。晴人は美琴にとってかけがえのない友であり、心の支えでもある。
追いつめられている今だからこそ、晴人の傍に居たかった。その為には多少の無理は致し方ない。
家を出て少し経った頃、後方から自分の名前を呼ぶ声が聞こえて、美琴は後ろを振り向いた。予想通り晴人が手を振りながら笑顔で此方へと歩いてくる。
しかし、美琴の顔を見た晴人は、ぎょっとしたように慌てて駆け寄ってきた。
「どうしたのその顔!?」
「おはよう晴人」
「あ、うん、おはよう……ってそれどころじゃないよ! 君いくらなんでも顔色悪すぎるだろう!?」
「問題ないよ。少し寝不足気味なだけだから」
晴人の言う通り、美琴の顔色は最悪だった。目の下には濃い隈が出来ているうえに、全体的に血の気がない。
どう見ても大丈夫ではない美琴の様子に、晴人は呆れたように長く溜め息を吐く。
そして徐に美琴の手を取り、今来た道を引き返そうと掴んだその手を引っ張った。
「えっ……ちょっと、晴人!?」
「美琴ちゃん……帰ろう? 今日は学校休んだほうがいいよ。それに寝不足だったらしっかり寝ないと」
「ッ、やめて!! 私は寝たくないの!!」
晴人の手を思いっきり振り払ってから、我に返った。酷く驚いたように目を丸くする晴人から、美琴はバツが悪そうに顔を逸らす。
大きな声で怒鳴るつもりなんてなかった。自分を心配してくれている晴人を傷付けてしまったことに、美琴は心の中で己を責めた。
どうやら考えているよりもずっと心身ともに追いつめられているらしい。先程の自分の言動を晴人はどう思っただろうか。
「ごめん……でも、本当に大丈夫だから」
「……わかったよ。僕こそごめん、少し強引すぎたね。だけど無理はしないと約束して欲しい。じゃないと僕は君が心配でどうにかなってしまいそうだ」
「……それは大袈裟すぎない?」
「大袈裟なもんか。それだけ君が大切なんだよ」
真剣に晴人は美琴の身を案じてくれていた。晴人も自分を大切な友人だと思ってくれている。
その言葉を聞いた美琴は、嬉しくてつい笑みがこぼれた。
美琴の笑顔を見て、晴人も柔らかく笑う。この時だけは、あの正体不明の恐怖を忘れる事ができた。
逆に、晴人がいなかったら自分は今頃どうなっているのだろうと考える。両親は喪ってしまったけれど、晴人の事は何が起きても絶対に自分が守らなければと美琴は心の中で決意した。
早く行かないと学校に遅刻しちゃうよ、と晴人に急かされて二人で通学路を並んで歩く。
その様子を離れた所から鋭い眦で見つめている色の黒い男子学生がいた事に、美琴が気付く事はなかった。
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