第4話 夜の台北
この人とするんだろうな、っていうのは大体わかる。付き合うんだろうな、じゃなくてするんだろうなあ、という感じ。
で、そんな風に始まった関係は、二度目があるかないかということがわりと重要になる。不倫や浮気は、一度目は事故だけど、二度目からは確信犯だからだ。
博樹は、昔『事故』を起こした相手だった。
その日はパーティがあった。仲間の一人が芸術賞をもらったので、みんなで祝おうと集まったのだ。会場は音楽関係者が多く華やかなムードで、わたしもミモレ丈のドレス、知り合いもドレスやタキシード姿が多かった。
そんな中、博樹のカジュアルな姿はけっこう目立っていた。博樹は画家で、美大の講師をしている。特別なものを着ているというわけではないのに、さりげなくお洒落な感じを受けるから、やはりセンスというものが備わっているのといないのとでは違うのだなと感心する。
(涼し気なイケメンぶり。相変わらずカッコいいな)
最後に博樹に会ったのはもう十年くらい前なので、わたしはすぐに話しかけることはせず出方を伺った。博樹もこちらに気がついてはいたようだけど、話しかけてきたのはしばらく後だった。
「久しぶり。元気?」
「元気だよ。そっちは?」
「俺は、相変わらず」
わたしは博樹に、ここ十年で結婚離婚を済ませ、すでにバツイチなのだと話した。 博樹はくすくすと笑った。
博樹とは年齢が同じなのだが、この男は早くに結婚し、子供が二人いる。奥さんはひと回りくらい年上で、かなりのお金持ちだと聞いている。初めて会ったときはまだ二十代前半だったけれど、すでに既婚者だった。
「和香ちゃんらしいな。大人のたしなみってやつ?」
「ひどい言い方しないでよ。したくてしたわけじゃないんだから」
「結婚を?」
「離婚に決まってるでしょ?」
軽口を叩き合っていると、二人の間の空気が昔の感じに戻っていく。
(まずいな。この感じは……)
前もそうだった。博樹とは、いつ会っても同じ感じがする。二人の間の空気も温度も、変化がないのだ。
「ねえ、そろそろ抜けない?」
誘われたけれど、先約があるので断った。久しぶりに会う連中が多いので、この後も二次会三次会と続く予定なのだ。それに、この男は危険だということもわかっていたから。
(初めてじゃ、ないし。それに、ずるずると二度目は、ちょっとね)
男女の仲を深めるのは愛情の有無だけではなくタイミングだということをわたしは知っている。無理はしない主義だ。
博樹は残念そうだった。
「じゃあさ、パスポート持ってる?」
「え? パスポート?」
桃園国際空港からバスで一時間ほど揺られ、気が付くと、窓の外には漢字表記の派手なネオンサインが大量に浮かび上がっていた。台北に着いたんだなと思った。
バスを降りると空気は湿り気を帯びていた。そう何度も来たことがあるわけではないけれど、台北の空気は大抵いつも湿っているように感じる。
チェックインするとわたしは早速外へ出た。もう遅い時間だけど、台北は夜が遅い街なのでマッサージやエステもやっているし、もちろん台北名物夜市もそこかしこで営業している。お腹が空いていたので、屋台で水餃子を食べると少し落ち着いた。
会うのは明日以降と思ったが、とりあえずWifiスポットへ行き博樹に連絡した。最近はどの国へ行ってもある程度の都市部であればスマホが使えるので便利だ。
(唐突な男って強いよなあ)
はっきり言ってこんなの、呼ぶ方も呼ぶ方だけど、来る方も来る方だ。まとめて休むために昨日まで仕事で死にそうになっていたけれど、ここに来てしまったらなんだかすごくウキウキしてきた。
(ほんと、悪い男だなあ。ま、お互い様か)
博樹は一か月ほど台北の大学で講義を担当するとかで、先に来ているのだ。
喉が渇いていた。大きなグラスでジントニックが飲めればどこでもいいやと思いながらブラブラして、目についたスタンディングのバーに入った。
『お、着いたんだ。どこにいるの?』
早速ラインが送られてきたので、今いる場所を知らせるとわりとすぐにやってきた。会うとすぐに、手を握ってきた。まるで恋人みたいに。
「本当に来たんだ」
「うん。たまにはいいかなと思って」
「俺と会うのが?」
「旅行よ」
「どっちにしてもうれしいよ。ここなら安心だしさ」
本音だろう。奥さんはかなり怖い人らしい。わたしも怖い目には遭いたくないから、誰にも見られないところがいい。
「じゃ、行こうか」
「どこに?」
「俺のところに。泊まるでしょ?」
「ホテル取ってあるよ」
「そんなのキャンセルしちゃえ」
タクシーに乗った。台北の街はそれほど大きくないし初乗り料金が安いのでつい使いたくなってしまう。ホテルに寄ってもらい荷物を取って、博樹が滞在しているウィークリーマンションに移動した。日本人専用のところみたいだった。
ちょっと見は豪華だけど日本の建物とは雰囲気が違っていて、全体的に鉄っぽいというか、ガッチリした感じのマンションだった。
窓の向こうには台北101(タイペイイチマルイチ)が見えた。高層ビルとして名高いところだ。
「きれいだね」
「だろ? 大学で用意してくれた物件なんだけど、眺めはそのへんのホテルよりずっといいんだよ」
部屋は狭くて、キッチンもついていない。ホテルみたいな感じで、ベッドは窓際に置いてある。ソファなんてないからそこに座るしかない。
前に来たときはあのビルに上った。でもビルは上るよりもこうやって眺めるほうがわたしは好きだ。靄がかかった街だと、夜景は期待できないから尚更。
柔らかく抱き寄せられた。動作はわりと静かなのだけど意外に強引なのはもう知っている。今日が初めてじゃないから。
「明日、どこ行こうか。どっか行きたいところ、ある?」
「別にない。前も来てるし、観光はもうしなくていい」
「じゃ、お茶でも飲んで美味しいご飯食べてだらだらしようか。いい感じの茶芸館が近くにあるんだ」
「うん、そうする。あとね、いっぱいいちゃいちゃしようよ……」
唇が重なってきた。次第に深くなってくる。息苦しいくらいに。嫌いじゃない。すごくいい。少し困ってしまうくらい。
(三日間だけ恋人モードで、たくさんしたいな。だって、しに来たんだもん)
十年ぶりに会っても全くテンションが変わらない男。ひとことで言えば危ないやつだけど、憎めないのは自分と似ている気がするからかもしれない。
(本当に楽しい瞬間なんて、滅多にないから)
例えばそれは今だ。なだらかな日々の中にふと現れた落とし穴。いきなり落ちるのは危険だけど、縄梯子を用意しておけば良いのだ。
そのままベッドに倒されながら、ふと気が付いた。
(あ、そうか。これも事故だ)
二度目でも事故っていうことがあるのだ。すでに穴でもない。ふわりと浮遊しながら、中空の部屋で愛し合う。どこにも辿り着かない。
夢中になると、お腹の奥が熱くなってくる。切ない。
「好き……」
博樹の首に手を回しながら言うと、俺も、と言いながらキスしてくれた。そのためらいのなさが、やっぱりわたしと似ているなあと思った。思わず笑ってしまうと、笑うなよ、と言われてキスがさらに深くなった。
「何これ、おみやげ?」
「そう。台湾烏龍茶」
『ナイト・ストーリーズ』で飲む一杯が、やはり一番落ち着く。他に客がいない夜で須賀ものんびりしている。
「台湾? 誰と行ったの?」
「友達」
「男だな」
「事故みたいな感じだよ」
「全く。怪我するなよ?」
「大丈夫。わたしの相手はみんな殺陣のプロだから」
「なるほど。それなら安心だな」
なだらかな日々は、これはこれで悪くない。
メナが足元に寄ってきたので、抱き上げて膝に乗せた。
終わり
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