第5話 聖夜の黒猫

 根が張っていないはずの巨大な樅の木が、街の中心部に煌びやかにそびえ立つ季節。そう、クリスマス・シーズンだ。

 この時期、街は一気に華やかさを増す。色とりどりのイルミネーション、そしてクリスマスセール。プレゼントを買いましょう! 街中のポップ広告がそう言ってる。

 暗い冬を明るくしてくれる行事だから好きだ。でも自分はもう……イブに楽しんだり、何かを貰ったり、そういうことは無くていい。本当にそう思うのだ。街がきれいなだけで、そしてそれを見ているだけで充分だ。

 そんな十二月半ばの夜、わたしは久しぶりに既婚の友人真奈美と『ナイト・ストーリーズ』で女子会を開催していた。

「クリスマスプレゼントの季節よね。和香は何か欲しいものある?」

「無いねえ、何も。真奈美は?」 

 大抵の女は贈り物が好きである、特に恋人からの贈り物は格別のはず、と男は思っている。

 そんなことはない。女もいい年になってくると、男からのプレゼントに素直に喜んでばかりもいられなくなってくる。

 なんだかピンと来ないアクセサリーにも洋服にも『彼が選んでくれたものだから』なんて理由で喜べるのは若いうち、そして恋愛が熱い時期だけだ。

 もう身に着けるものはいらない。かといって、花やお菓子もいらない。この年になってくると、好みじゃないものはいらないのだ。

 だからプレゼントなど、考えれば考えるほど『お気持ちだけで結構です』ということになる。

 と、そんな話で真奈美と盛り上がっていたら、

「そういうの可愛くないよ。男は女を喜ばせるのが好きなんだ。嘘でもいいから嬉しいって言わないとモテないぞ」

 マスターの須賀からツッコミが入った。

「そんなことわかってますよぉ。ちゃんとその場では『嬉しい、ありがとう』って言いますよ」

 真奈美が須賀に言う。昔から清楚な美人で鳴らした彼女は元アナウンサーだ。姿だけでなく声も美しい。

 が、この女は相当悪い。常に男を二~三人転がしているのだ。別にいいのだけど、清楚な見た目に騙される男は本当に多いんだなあと思うだけだ。

「うちの旦那なんて、いまだにぬいぐるみとか買ってくるのよ。そんなのいらないんだけど、ちゃんとありがとうって言うよ。ベッド脇に飾ったりしてさ」

「へえ。わたし、ぬいぐるみなら欲しいけどなあ……」

「和香ったら、ありえないよそれ。じゃ、うちの旦那と結婚すれば良かったね」

 それは願い下げである。真奈美の旦那はデブなのだ。

「真奈美はいろいろ貰ってるんだ。旦那じゃない男からも」

「まあね、たまに男ってプレゼントくれたりするじゃない。でもさ、貰ってもほんと困るのよね。旦那が割と敏感だから、新しいアクセサリーとかつけると『それどうしたの?』ってすぐ聞いてくるんだもん。一回ヒヤッとしたことがあってさ、それからは彼氏くんたちに旅行のお土産とか貰ってもその場だけニコニコして、駅のトイレのゴミ箱に捨ててくることにしてるの」

 真奈美は浮気相手連中を『彼氏くんたち』と呼ぶ。彼らは二十代から五十代までのバラエティに富んだイケメン軍団だ。

「うわ、それひどくない? そこまでしなくても」

「それくらいクールじゃなかったら人妻の浮気は成り立たないの。独身の和香にはわかんないのよ」

「派手にやってるもんね。何人かいたらそれもしょうがないか」

「好きで転がしてるわけじゃないの、数人いないとバランスが取れなくなっちゃうのよ。そうやって誰かひとりを好きになりすぎないように調整してるの。わたしだってがんばってるんだから」

 何をどうがんばっているのか疑問だが、そんな真奈美の旦那さんは弁護士だ。事務所の手伝い、家事、おまけに子供は三人。よく体力が続くなあと素直に感心してしまう。英雄色を好むというがその女版だろうか、こういうのは。

「和香だって人に言えないじゃない」

 フローズンダイキリを飲み干しながら真奈美が言う。もう五杯目だ。昔は二杯も飲めばフラフラしていたのに、どんどん可愛くなくなっているのは、これは仕方のないことなのかもしれない。いつまでも『女の子』ではいられないから。

「そうなのかなぁ。でも続いてるのは少ないよ。あまり相手に負担をかけたくもないしね、すぐ面倒になっちゃって、誰とでもそうなんだけど、たまに会う程度が楽しいっていうか……」

「ふうん。でもクリスマスプレゼントくらいは貰うんでしょ?」

「そんなのないよ。そういえば去年は内藤がケーキくれたけど。それくらいかな」

 内藤というのは元ピアニストの同級生だ。今は普通のサラリーマンだが、バイセクシャルなので彼氏とは言えない。

「そうでもないだろ?」

 須賀が話に入ってきた。

「この間貰ってたじゃん、近澤さんに」

 近澤は既婚の開業医である。不倫というほどの関係でもなく、いわゆるセフレだろうか。

「ああ、そういえば。ノートパソコンね」

「ノートパソコン?」

「うん。ここで一緒に飲んでるとき、パソコン買い換えなきゃってなんとなく言ったら、その場でインターネットから注文してくれちゃったんだよね」

「そんなもん貰って、うれしいの?」

「うれしいよ。役に立つし」

「近澤さんも、和香ちゃんに何かあげたいと思ってたんだろうな。愛があるじゃん」

「愛じゃないでしょ。こういうのは……」

 わたしは笑った。真奈美のスマホがブルッと震えた。 

「あ、最年少の彼氏くんからラインきた。クリスマスなんか会えるわけないのにさ、独身の子は寂しいみたいで。最近ちょっとしつこくなってきたんだよね。もう、切ろうかなあ」

 真奈美はスマホを弄り始めた。わたしは隣でジンバックをお代わりした。

「年末だから慌ただしくなってきたよな。もう来週はクリスマスだもんな。和香ちゃんはなんか予定あるの?」

「仕事してるよ。このお店が開いてれば来るかもね。他に行くところもないし」

「開けるに決まってるじゃん、何しろ稼ぎ時なんだからさ」

 須賀が笑った。


イブの日は本当に仕事に追いまくられていた。やっと少し目鼻がついたときにはもう時計が十二時を回っていて、胃が痛くなるくらいにお腹が空いていた。

(コンビニにケーキでも買いに行こうかな)

 そう思いながら外に出ると雪がチラついていた。傘をさして深夜の静まり返った住宅街を歩いていると、次第にお酒が飲みたい気分になってきた。

(やっぱりバーへ行こうっと)

 『ナイト・ストーリーズ』への階段を上りながら傘を閉じる。ドアを開けると、黒猫のメナと須賀が迎えてくれた。

「遅かったじゃん。今日は早めに客がはけたから、もう閉めようかと思ってたんだ」

「え、そうなの、ごめん。入って大丈夫?」

「大丈夫だよ。何飲む?」

「ジントニック。でさ、お腹も空いてるんだよね。何も食べてなくて」

「了解」

 ペペロンチーノにジントニック。膝にはメナ。お腹が落ち着いてくると、酔いが少し頭に回ってきた。

「はいこれ」

 須賀がひょいと包みを差し出した。

「ん? なに?」

「クリスマスプレゼント。開けてみてよ」

 わたしは包みを開いた。

「わ、可愛い!」

 入っていたのは、メナそっくりの黒猫のぬいぐるみだった。

「この前、ぬいぐるみなら欲しいって言ってたじゃん。ふと思いついてさ」

「うれしい。ありがとう」

「そのセリフ、嘘でも言うんだろ? 和香ちゃんはたぬきだからな」

「きつねに言われたくないよ。さすが須賀さん、女のたらし方が一味違うね。なんかわたし今痺れてるもん、やられたって感じ」

 笑いながら言うと、わたしは目の前にぬいぐるみを置いてシャンパンを注文した。

「一緒に飲もうよ」

「クリスマスだもんな」

「ねえ、須賀さんって伝説のホストだったって本当?」

「どっから出てきたんだよそんなデマ」

 メナが呆れたようにわたしの膝から降り、床に立つと尻尾を上げて伸びをした。聖なる夜は静かに更けていった。



                                   おわり



 

 




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