3話 スヴィパル
(1)
黒い物体たちはツウィンカの片手を掴んだ。逃げ出さなければと思うが思考がまとまらない。首を斬られたイトカが目の前にいて、自らの細腕は掴まれている。
幼馴染の憐れな姿を目に焼き付けたくないと思いながらも、目を
この不安を、悲しみを、そして怒りをどうすれば良いのかツウィンカには分からず、頭が真っ白になりながら声を出し続けた。絶叫する
顔を真っ青にさせ、頬を煤けさせているバルブロだった。
彼がこの状況をどうにかしてくれることを期待したわけではなかったが、見知った顔に自分の名前を呼ばれることはツウィンカを深く安堵させた。常には色の白いバルブロの顔が今は紅く、黒い。髪には煤が幾重にもついている。
まるで火事にでもあったようだ。聖なる炎などではなく、何もかもを喰らいつくす、禍々しい炎だ。あの美しい、魔性の炎。ツウィンカは祭の炎を思い出した。そうだ。祭りが始まっているのだ。
はたと思い至って、ツウィンカは口を開けて呆けた。ここからも見えるほどの炎。煙だけならまだしも、赤く燃え上がる炎が用意していた焚き木で出来上がるものなのか。
――この恐ろしい気づきは勘違いではないだろうか。
「何をしていたのです」
ツウィンカは更に震えた。少年の声が冷淡だったからではない。その言葉が他ならぬバルブロに向けられていたからだ。バルブロはツウィンカと同様に、大きな体をびくりと震えさせた。
体格の良いバルブロが、自分よりも幾分も小さい少年の言葉に動揺している。異様ともいえる光景が一つの疑惑を植え付ける。
「突然消えてしまっては迷惑です。我々はヴォルヴァの姿も知らないのですからね。ですから、あなたのお世話にならなくてはならなかったというに」
慇懃の中に非難めいた色がある。その会話が意味するところは一つしかないではないか。ツウィンカはバルブロを見たが、バルブロは目を背けた。確信がツウィンカを突き動かした。
「あんた、村を裏切ったの」
「違う」
バルブロは首を振った。その言葉に
「船から落ちてしまえ」
何かがツウィンカの口を借りたような、自分でもこれは自分のものだろうかと疑問に思う程、低く、地の底から湧き出るような声だった。
バルブロは刺されたように顔を真っ青にさせ、顔を歪ませた。
船から落ちろというのは、ミュルクヴィズにおける最大級の呪いの言葉である。死後に乗る船から落ちた魂は、次の人生に進むことが出来ずに永遠に狭間を彷徨い続ける。船は大きく、海原に何かが浮かんでいるかなど気にも留めずに進んでいく。落ちた魂は未来永劫船に乗ることはできない。
口に出すのも
「こんなことになるなんて知らなかったんだ」
バルブロはツウィンカに言い募った。
「俺はただ、この村を出たかっただけだったんだ」
悲痛な声だった。常に感情を抑えてるバルブロの確かな本音だ。それでも、ツウィンカにはそれを受け取る余裕も義理もなかった。ツウィンカはバルブロを睨みつけたまま許さなかった。バルブロは次の言葉を続けようと口を動かしたが、やがてどんな言葉も意味がないことに気づいたように、項垂れて口を閉じた。
少年は目の前のやりとりを興味深く見ながら目を瞬かせ、そして両者を見比べて笑いだした。
ツウィンカには何故笑うのか分からなかったが、理解したいとは思えなかった。
この少年の所作はどこまでも作業のような動作だ。大げさな動作が余計に不自然さを煽り立ててくる。その不愉快さは、いつか行商人達が持ってきた時に見た操り人形を連想させた。悲しい展開などない陽気な喜劇だった。面白がるイトカをよそに、ツウィンカはどこか不気味さを感じて楽しめなかった。糸が見え隠れしているのがどうにも慣れない。自らとは違う意思によって動かされている、それも人の姿を模したものの存在が気になって、肝心の話が入ってこなかったのだ。
あの時の気分をもっと煮凝めたら、きっとこんな気分になっただろうとツウィンカは思った。糸が見えない操り人形は一層悪趣味で、残酷で、気味が悪い。
ツウィンカは捉えられていない片方の手を服に突っ込むと、少年や黒衣を
少年も、ツウィンカの腕を掴んでいた者も、まるで熱した石でも投げかけれらた様に小さく悲鳴をあげた。少年は投げつけられた方の腕を、観察するようにまじまじと見た。
そして今度ばかりは意識をもってツウィンカをその瞳の中に入れた。けれどもその視線は対等な者に抱くものではなく、目の前の目障りな虫を見るような不愉快さを伴った視線である。咄嗟に掴まれた手が離されたツウィンカは、地面に投げ出された勢いを使って跳ね上がり、村の方へと駆けだした。
ツウィンカの恐ろしい考えが当たっているのならば、村はもはやツウィンカが見知っている村ではない。それでもツウィンカはリースヒェンとカイに会わなくてはならなかった。
少年が後ろからツウィンカに声をかける。特別足が速いわけではないが、駆けているにも関わらず、声はツウィンカの耳元でやはり囁いているように、穏やかでそしてよく響いた。
「成程、あなたもまた巫女なのですね」
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