(5)

「いけない。もう祭りが始まっているわ」


 イトカが慌てた様子で村の方向を指し示した。幼馴染の指し示す方向を見たツウィンカは驚いた。確かに、村の方向から炎が上がっていた。

 こんなに離れている森の中からでもよく見える。毎年見ている光景のはずなのに、こんなに大きな炎だったとは知らなかった。一瞬、ツウィンカは呆けた。

 見慣れない大きさの炎は、禍々しく、そして美しかった。魅入られたようにその場から動かないツウィンカに、イトカはしびれを切らしたように手を引いた。お遊びの色が濃いとはいえ、祭りは大晦日の行事である。

 祭事の不参加は許されない。我に返ったツウィンカは、イトカと二人で慌てて村へと戻ろうとした。

 その時だった。


「待って下さい」


 ひどく静かな、よく通る声だった。

 さえずるようでもあり、耳元で直に話しかけられたようでもある、不思議な感覚である。

 二人の前方には見知らぬ少年が立っていた。

 声の主は少年しかありえないが、それが解けたところで不可解なことに変わりなかった。年の頃はツウィンカ達よりも少し上だろうか。一見して男や女という性別の色が薄い。身体の線を覆い隠すマントのせいなのかもしれなかったし、無機質な声のせいなのかもしれなかった。

 声は少年にしては高く、少女にしては低く、そして抑揚がない。子どもが大人にならずに、そのまま成長したような不思議な印象があった。

 あるいは少女である可能性もあったが、ツウィンカ達はこのような格好をする女を未だかつて見たことがなかった。最も、男であればどうかと言えば、自信はない。

 少年と思わしき人物は、全身をフードの付いたマントで覆い隠していて体の輪郭が見えない。髪の毛さえも隠れているので、仮面を被れば背丈以外の本人に関する全ての情報が消えるだろう。

 その姿はさながらリースヒェンから聞いたいにしえの大晦日の姿のようだった。

 唯一見える部分の顔の肌は、切磋された陶磁器のように美しかったが、それが一層その少年の無機質さを強調しているような気がした。表情は穏やかであり、同時に無表情である。笑っているようにもみえるが、ただ口角が上がっているという印象を受けた。

 総じて人間味を感じず、滅多に外の人間を見たことがない二人は知らぬうちに身を寄せ合った。


「あなた方は村の人間ですよね。もしかして、どちらかはヴォルヴァという女性の娘御ではあるまいか」

「そんな名前の人、村にはいないわ」


 二人は顔を合わせた。生まれてからずっとこの村にいるが、二人の記憶する限り、そんな名前の女は知らなかった。

 少年は、首を傾げた。その様は人形のようであった。人形劇の人形は、感情を分かりやすく表す為に、悲しい場面では顔に手を当て、嬉しい場面では両手を広げる。

 こういう時にはこうするのだと指示通りに行動しているような、生きてる人間からは感じることのない違和感である。


「ああそうか。それではリースヒェンと言う女性ならご存知か」

「それなら私の母親よ」


 口に出してから、少し不安になった。果たしてこの見知らぬ存在に母親のことを告げて良かったのだろうか。イトカと顔を見合わせた。イトカも不安そうに首を振る。

 ツウィンカ達の様子を感じ取ったのだろう。少年は再び無機質な所作で小首を傾げた。


「怪しまれているのでしょうか。申し訳ない。こういうことは不慣れなもので、手順が滅茶苦茶ですね」


 なんの手順なのか分からなかったが、少年はそこには触れずに、おもむろにフードを外した。真っ黒な、光沢のある漆黒の髪が現れる。未だかつて黒い髪の人間など見たことがなかったので、そう見えただけかもしれないが、見慣れない黒い髪はまるで作り物のようだった。

 どうりで違和感が付きまとうわけだ。少年の顔つきはツウィンカ達が知っている何とも違う顔つきだったのだ。恐らくは、遥か南の国の人間か、その国に縁がある人間なのだろう。

 同時に、そんな人間がこんな山奥にやって来る理由が分からず、警戒心はより強まった。少年が緩やかに目配せをすると、どこからか少年と同じような格好をした人たちが木の合間から現れた。

 少年とは違って皆一様に黒い布を耳から下げているので顔すら隠れている。背丈から判断するに、成人している大人だろう。一見すると何個もの黒い塊が突然現れたようだった。少年は指図するように、くいと首を持ち上げ、そして細く長い指をツウィンカに指した。


「こちらの娘は生け捕りに。もう片方は不要です」


 それから先は妙にゆっくりと時が流れていった。ツウィンカにはそう感じた。

 イトカの身体が持ち上げられて宙に浮いた。その拍子に操り人形のように足が舞う。頭を掴まれたイトカの細い首筋が見えた。

 ――ああ、お守りがないわ。

 ツウィンカの頭に咄嗟に過ぎったのはそれだった。イトカは魔除けである目玉を持っていなければ、服の首元に刺繍を施しているわけでもない。

 加えて今日は一年で唯一人外が現れる日、大晦日なのである。今のイトカは何もかも無防備だった。鋭い切っ先がイトカの首をかすめ、イトカの首から鮮やかな血が噴き出た。

 ツウィンカは絶叫した。

 大晦日の儀式は縁のある優しい死者だけではなく、まがつ者まで呼び寄せてしまったのだ。




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