2話 大晦日

(1)

 ミュルクヴィズには数多くの民話がある。厳しい土地柄、冬に家に籠るミュルクヴィズの住民たちは、架空の話によってその間の寂しさを紛らわせた。

 ツウィンカが特に好きだったのは、魂を運ぶ船主を騙し、まんまと生き返った男の話である。

 船に乗るということは死が確定して次の人生へ進むということだ。だが、男は船主の大切な宝を隠し、巧みに駆け引きを持ち帰る。その末に船を引き返すように誘導することに成功するのだった。

 最後には、男はまだ土に帰っていなかった半身を取り戻して生き返り、無事に恋人と再会するのである。

 このお話は他の話と比べると、知恵比べの快活な明るい中にもぞわりとした恐ろしさもあり、幼いツウィンカの冒険心を大いに刺激した。加えて、船主が知恵比べで劣勢になると言い放つ『死を侮辱するのか!』という言葉は幼いツウィンカの耳にはとても印象深く残った。

 ツウィンカにとって死ぬことは恐怖であり、近くに寄せたくないものだったからだ。死に寄り添う船主の発言が理解できず、得体が知れない。

 得体が知れないにも関わらず、船主の性格は、男の挑発に安々と乗るような道化めいたところがあった。

 幼いツウィンカにとって、その不均等さが癖になるような面白さだったのである。



「大晦日にやって来る死者たちは、あのお話の男みたいに船を降りてやって来るの?」


 ツウィンカは木枯らしの吹く外をぼんやりと見ながらリースヒェンに尋ねた。大晦日には死者たちが生きている人間に混ざってやって来ると信じられていた。

 人外のモノがやって来るのは、古来より空間の上でも時刻の上でも境界であることが多い。

 境目が本来ならば存在しない者が入り込む隙間を生じさせるからだ。大晦日は一年の上で一番大きな境界の日である。この日ばかりは死したる人間もこの世に舞い戻ってくる。

 彼らがやって来るのを手伝うために、ミュルクヴィズでは大晦日に祭りという名の儀式を行う。仮面を付けて、誰が誰なのか判断できないような曖昧さを作り、死者の道を引く。村人は実りの秋を迎えると、その次には冬に備えながらこの大晦日という祭りの準備を始めるのだった。

 ツウィンカに問われたリースヒェンは繕い物をする手を止め、首を傾げ、そして左右に振った。


「あなたが好きなおとぎ話の? あれは生きて帰ってきているのだから、大晦日に来る人たちとは全く別物よ」

「じゃあ、仮面を被ってやって来るのは一体何なの? 人は死んだら船に乗って生まれ変わるのでしょう?」

「そうよ。死んだら魂の半分は船に乗って、次の人生を歩み出すの」

「半分?」

「お話にも合ったでしょう。男は半身に出会って、生き返ることが出来たって。死んだら魂は半分に分かれるの」

「へぇ」

「半分は土に帰って、半分は次の人生を歩き出す。土に帰った魂は残りの半分と違って、生きている時に親しかった人たちを守ってくれるの。だから、死んだからと言っても縁が切れるわけではないのよ」


 初耳だった。

 生まれ変わることとご先祖様が守ってくれることは、ツウィンカに慣れ親しんだ考え方として同時に存在し、矛盾に違和感を感じたことなどなかった。

 一応は理屈があることだったらしいが、それにしてはリースヒェンが説明する内容は如何にも影が薄かった。少なくとも、村人たちがそんな話をしているところをツウィンカは聞いたことがない。

 説明した後、リースヒェンは嬉しそうに笑った。

 彼女の感情の在り方が分かったツウィンカは共犯者のように笑いかけた。


「じゃあ、大晦日には父さんがやってくるかもしれないのね」


 ツウィンカは父親の顔を知らなかった。

 だが、その話題が禁忌になるほど、リースヒェンは夫の死に囚われてはいない。

乞われればなんの拘りもなく子どもたちの父親の話をしてくれた。


「そうね、そうだと良いのだけれど」


 そう言ってはにかむ時、リースヒェンは母親ながらに少女のようだった。

 若くしてツウィンカを産んだ母は、ツウィンカの年の離れた姉と言っても不自然はない程である。

 けれども、リースヒェンは母親の手つきで慈しむようにツウィンカの頭を撫でた。


「あなたの蜂蜜のような髪の色も、空色の明るい瞳も、お父さん似なの。仮面をつけていても、髪の色ですぐ分かるわね」


 嬉しそうに語る母に対して、ツウィンカは複雑な思いだった。亡くなった父親には悪いが、ツウィンカはどうせならリースヒェンの方に似たかった。

 美しい母の容貌も、吸い込まれるような美しい翡翠の瞳も、受け継いでいるのは姉弟のうちではカイだけである。

 だからだろう。リースヒェンがカイの世話をする姿を見ると、何となく疎外感を感じてしまう。空色の自分の目が嫌いなわけではないが、二人の翡翠色の瞳と比べると、自分の瞳は陳腐な色のように思えた。

 少なくとも翡翠色は森に入ったからと言って直ぐに目に入るほどありふれた緑色ではない。

 リースヒェンがこの蜂蜜の色をした髪を、太陽に愛でられた色だと鋤いてくれても、憧れるのはやはり二人や他の村人たちの持つ月の色だった。






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