(2)

「ツウィンカ、森へ遊びに行こう」


 後方から声をかけてくるのは、ツウィンカよりも一つ年下のイトカだった。

 ツウィンカの明るい金髪よりも尚も薄い金色の髪を、左右に三つ編みに揺っていた。母親にやってもらったのだろう。縄のようにきつく結うと、イトカの薄い色の髪の色も少しだけ濃く光って見えた。

 頬にそばかすを散らしたイトカは、歯を見せて笑った。

 イトカとツウィンカは双方貴重な遊び相手で、特別なことがない限りは二人はいつも一緒にいる。

 森は柵の外にあった。

 大人たちは森を遊び場にすることに良い顔をするわけではなかったが、彼ら自身もこの村で幼少期を過ごていたので、遊び盛りの子ども達を満足させるものがここには数少ないことを、彼らは身をもって体験していた。

 深入りはするなと軽い注意を耳にしながら、子どもたちは笑い合いながら森へ入っていった。森にそびえたつ木々は色味が薄く、太陽の恵みを我先にと受けようと高く細くと生えている。

 まさに、色素が薄くひょろりと背が高いノルズリの人々のようだった。

 ノルズリを含むミュルクヴィズ地方には、太陽に恋をする白樺の話がある。

 年頃の娘が、あろうことか太陽に恋をするという筋の話である。恋しい太陽ばかり見ている娘は崖から足を滑らせて亡くなってしまう。彼女の遺体は土に帰らず白樺に姿を変えた。そして白樺は、生前の想いを忘れずに、今でも上へ上へと太陽を求めて伸び続けている。

 ツウィンカはこの話を身の丈に合った行いをしないと不幸になる教訓の話として解釈たが、村のばあやから一緒に話を聞いていたイトカは恋心は永遠に不滅だと受け取ったらしい。

 ツウィンカよりも年下のイトカは恋に憧れるところがあり、このまま村の男に嫁ぐことを密かに恐れていた。村の男が嫌いなわけではなかったが、幼い頃から見知っている彼らに今頃恋は出来そうもなかった。


「村の外に嫁ぐかもしれないじゃない」

「そうなったらツウィンカに会えなくなってしまうわ」


 顔を曇らせたイトカが愛しくて、ツウィンカはイトカを抱きしめた。

 ツウィンカ自身はイトカと同じ身の上だというのに、彼女のような心配事をしたことがなかった。

 どの運命さえも受け入れられる覚悟を持っているわけではないと思う。

 むしろ未来は今の日常の延長線上に感じられた。今の日常はツウィンカにとっては不変である。いつまでも母と弟と三人で暮らす未来しか想像がつかなかった。

 けれどもそれはイトカと比べて、自分自身の人生を真剣に向き合っていないからだろうと密かに自覚していた。


「ツウィンカは良いわね。特別な家の子だもの」


 だからイトカが口に出した言葉に、ツウィンカは首を傾げた。察しの悪いツウィンカに、イトカは演技がかった調子でため息をついた。肩をすくめると、美しく刺繍された首元にしわが寄った。

 ミュルクヴィズの人々の服には首元と袖口に見事に刺繍がしてあるのが常だった。村ごとで刺繍は異なるが、たいていが細かく色鮮やかな模様が施されている。

 刺繍は装飾であり、同時に魔除けである。

 外から魔が入ってこないようにと、服の中で穴の開いた部分、つまりは袖や襟元には必ず刺繍が施されているのだ。


「ツウィンカのおうちはヨリシロ様がいるお家じゃない」

「だから?」

「だから、普通と違って嫁ぐ必要が無いかもしれないわ」

「そうかなぁ」


 ツウィンカは再び首を傾げた。イトカが言わんとすることは分かるが、合点がいくわけではない。

 イトカの言う通りツウィンカの母はツウィンカに嫁いで出ていけと脅すような人物ではなかった。だがそれは母がそういう人柄であるだけで、特別な家だからという理由に寄るものでない気がした。

 確かに、ツウィンカの家は“ヨリシロがいる家”として村の中でも特別な立ち位置にあるともいえたが、だからと言ってそれがツウィンカの将来に影響するのかは不明である。

 それを予感させるほど、村人はツウィンカのことを特別扱いしているようには思えなかった。


「それに、ツウィンカがいなくなったらリースヒェンは寂しいと思うわ」

「そうねぇ」


 リースヒェンとはツウィンカの母親の名前ある。早くに夫を亡くした彼女は、再婚せずに二人の子どもたちと共に家庭を営んでいた。

 ツウィンカは少女のように儚げな母親を思い出した。確かに、ツウィンカがいなくなったら母は寂しいかもしれない。ツウィンカも出来ることならずっと今のままでいたかった。

 女は男に嫁いでこそ幸せだと村の大人たちは口をそろえるが、夫のいないリースヒェンが不幸せには見えなかった。それにツウィンカには物心ついた時から父親がいない。話に聞く幸せな家庭を経験したことがないので憧れようがなかった。

 だが、恋をしたことがないイトカが恋に憧れているように、憧れは必ずしも経験の有無では判断できないもかもしれない。

 家族に思いをはせたツウィンカは、それじゃあと音を立てて手を打ち、妥協案を提案した。


「イトカがカイと結婚して、我が家に嫁いでくるのはどう? そしたらずっと一緒にいられるわ」


 そしたらツウィンカの家はイトカという労働力も増える上、彼女も他の村に行かずに済む。尚且つイトカとカイは同年代ではないとはいえ、村の他の男たちと比べればまだ年近い。

 あとはイトカがカイに対して恋に落ちれば完璧であるのだが。

 本音を言うと、ツウィンカもこの稚拙な思い付きが本気で実現したいと思っていたわけではなかった。

 ただのお遊びの延長である。

 実現しない仮定を面白おかしく言い合おうとしたに過ぎない。だが、案を聞いたイトカはツウィンカの予想に反して即座に顔を真っ青にさせた。


「冗談でもそういうことは口にしてはいけないんだよ。言葉には呪力が宿るんだ」


 イトカは全身で恐れを表現した。

 灰色の瞳にツウィンカが映るのが確認できるほど顔を近づけ、手でツウィンカの口をふさぎ、まがつ言葉を封印した。

 物々しい様は何かの儀式のようだった。

 怯んだツウィンカは口を塞がれたこともあって何も言えなくなった。手を離されて咄嗟に謝罪したツウィンカは、自分の失言を反省した。

 ツウィンカ自身は特別な扱いを受けたことはなくとも、村人たちにとってカイは歴然と特別な存在であり、侵してはならない存在である。ツウィンカにとっては家族でもあるので、距離感を間違えてこうした失敗をしてしまう。

 カイは家の外で気軽に話題に出して良い存在ではなかった。ツウィンカの弟は普段は家から出てこず、村の人間と触れ合わない。

 だから村人にとってのカイと、ツウィンカにとってのカイとで齟齬が発生するのだった。何となく気まずい雰囲気になってしまった二人は、気を取り直して村で遊ぶことにした。

 恋に生きた乙女がツウィンカ達を取り囲んでいる。白樺の話を伝えてきたミュルクヴィズの人間は、身分が違う人間に恋することに禁忌を感じ、同時に同情する気持ちもあったのだろうか。

 娘の恋は叶わず、思いが届くことすらなかった。

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